こんばんは、わこです。
最近歌舞伎関連の記事が増えていますが、
 
今日は私が
歌舞伎にはまらなかったときの話
をしようと思います。

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以前このブログで、初めての歌舞伎の話をしましたが、

(以下の記事参照↓

実はこれは3回目の歌舞伎で、
初めて「自分で調べて」「自分一人で」観に行ったときの話です。

つまり、能動的に観に行った最初の歌舞伎体験ですね。

では最初の2回はどうだったかというと、
実はそれほどはまらなかったんです。

面白くなかったわけではなく、
それなりに楽しみはしたのですが、
「また行こう!」「来月も行こう!」とはならなかった。

それはなぜだったのでしょうか。

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私がはまらなかった2回はこんな感じ↓

①大学の研修で鑑賞。
予習の講義もばっちりで、解説付きの上演。
観劇の後はレポート提出あり。

大学の友人たちと誘い合って観に行った。演目を失念。

もう②は演目忘れてる時点でだめですね笑


それぞれ思い出してみると、どちらにも共通しているのは
「分かろうとしすぎた」ことだった気がします。

レポート提出があるから。
日本文学を専攻する友達と一緒だから。

観ながら何とか理解してやるぞ!という
気負いがあったんですね。

それに加えて、②は条件もよくなかった気がします。
会場内が、不用意に笑いすぎた。

本来なら不気味さを表すはずのカラスの鳴き声や、
悲しさを表すはずの赤子の泣く声に、
場内から笑い声が起きていたのです。

もしかすると笑っていい場面だったのかもしれないのですが、
私は素直に「何だか不吉」「どうやら悲しい」と思って観ていただけに
笑い声で一気に冷めてしまったというか、
入り込めなかった部分はあります。

ただまぁ、これは仕方がないですね。
捉え方はそれぞれですもんね。

いずれにせよ、歌舞伎の空気そのものを楽しむよりも、

話の筋を理解しなくては!
良さを見つけなくては!

頭でっかちになっていたような気がします。

何ですかね、 

学生なのに歌舞伎を観に来ているインテリな自分✨ 

という像を作り上げすぎたのかな。笑

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一方で、以前記事にした『霊験亀山鉾』はどうだったかというと、

あれはとにかく「仁左衛門さんの当たり役を観ておきたい!」だった。

筋を理解するよりも何よりも、
とにかく見て、聞いて、感じるために行ったのです。

だから、逆説的ですが、
筋書はあらかじめ熟読しました。
観劇中、理解するのでいっぱいいっぱいにならないように、
ただひたすら舞台に集中できるように、
準備して臨んだのです。

そして、見事にやられた。

冷徹に笑いながらあっけなく人を斬り、
刀を拭う立ち姿の凄みに、
ガーンと衝撃を受けた。

今はそういう瞬間に出会うのが嬉しくて、
歌舞伎を観にいっているのかな、と。

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というわけで、

歌舞伎に興味を持ったなら、
無理に観ながら理解しようとしない方がいいかもしれない。

予習をした方がいい、筋書があるといい、と
このブログで何度も書いているのは、
とにかく芝居の空気だけに集中できるようにするためなんです。

観劇しながら理解しようとすると、
少なくとも私は、純粋に芝居そのものを楽しめなくなってしまいます。

あらかじめざっくり分かっておいて、
あとは舞台の空気を楽しむ。

これが今のところ、ベストな楽しみ方です。

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以上、歌舞伎にはまらなかったときの話でした。
結局はあの名言に落ち着きますね。

考えるな、感じろ。

何だか言葉を尽くして説明した甲斐が
なかった気がしてきましたよ…