国立劇場の2月文楽公演、第三部に行ってまいりました!

『鶊山姫捨松』より「中将姫雪責の段」と、
『壇浦兜軍記』より「阿古屋琴責の段」の二本立て。
全体的に女性が責められるラインナップとなっております。

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雪責めから助け起こされる中将姫と

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無心に三味線を弾く阿古屋。左手の指にご注目!
※写真はいずれも筋書より。

それぞれの感想を綴ります。



*中将姫雪責の段


文楽の人形の、女性の美しさが好きです。
ちょっと角度が変わったり、目が閉じたりするだけで、全然違う表情になる。

今回の演目は、それを堪能できたな、と思います。

雪責の場面、私は今回下手側での観劇だったのですが、
ちょうど中将姫を助けにやってくる桐の谷(※中将姫に仕えています)の表情がよく見える位置でした。
桐の谷は吉田一輔さん
中将姫への惨すぎる仕打ちに心底腹を立てながらも何もできない悔しさが、人形の表情から伝わってきて、胸に迫りました。

ちなみにこの桐の谷、寒さに震える中将姫へ自分の着物を投げてあげるのですが、これがナイスパスなんです!
人形を遣うお三方の息の合い方がさすがですね。

そして何と言っても、吉田簑助さんの中将姫が圧巻です。

雪の中に薄着で引き倒され、打たれ、髪を引っ張られる中将姫。
寒さと痛みと、継母とは言え母である人物からの仕打ちに対する悲しみとにうちひしがれる、その様子があまりにもリアルで、何だかよく分からないけれどどきどきしてしまった。
 
見てはいけないものを見てしまっているような、
でも一挙手一投足から絶対に目を離せないような。

簑助さんは、昨年拝見した『夏祭浪花鑑』のお辰がとても好きでこの記事、このお辰はすぐに舞台からいなくなってしまうので、もどかしかったのです。
今回、こんなに簑助さんの人形を味わうことができたのがとにかく嬉しい。

***

この中将姫、どれだけ酷い目に遭わされても、継母である岩根御前を守るのですが、
その健気な語りのときに、胡弓の音が聞こえるのです。
胡弓は野澤錦吾さん細く澄んだ音が、この場面の切なさを増します

音楽面での工夫、興味深いです。

***

語りで興味深かったのは、「サァそれは〜サァサァサァ」の掛け合い。
歌舞伎でよく見るスピード感のあるあのやり取りを、あの速さで一人で語り分けるのか!と。
この場面は竹本千歳太夫さん。太夫さんって凄いですね…!


*阿古屋琴責の段


いやもう、これは本当に人生の財産になるなぁという感じでした。
桐竹勘十郎さんの阿古屋。

一度歌舞伎で観ている阿古屋(感想はこの記事
「三曲琴、三味線、胡弓を演奏する」という拷問にかけられる、一人の傾城の物語です。

阿古屋の詞(義太夫はセリフのことを「詞(ことば)」と言うらしい)にものすごく好きなところがあり、それを文楽の語りで聴きたい(そしてあわよくば床本を手に入れたいという思いと、
三曲をプロが演奏するとどんな感じなのか、そして人形がどうやって三曲を演奏するのか…
いろいろと気になる要素は最初から多く、とても期待していた演目ではあったのですが、

予想を遥かに凌駕しました。

琴責の場面だけに流されないようにしようと思いつつ、琴責があまりにも凄くて。

最初は琴。ちゃんと爪をつけるところから始まります
ちょっと身を乗り出し気味に、押さえる手を確認しながら。何で弾かされているのか分からないなりに没頭していく様子。
全てがものすごく精密です。

さて、この琴のあとの詞が私は大好きなのです。
阿古屋が景清との馴れ初めを語る部分。

「羽織の袖のほころび、ちょっと時雨の傘(からかさ)お易い御用。雪の朝の煙草の火、寒いにせめてお茶一服、それが高じて酒(ささ)一つ、…」

何となく顔を知り合い、些細な何でもないようなやりとりが、だんだんと深まっていく。
毎度思いますが、少女漫画のようだなぁ、と。
この始まりの何気なさが、今の別れの切なさを際立たせるような気がします。
日々の生活の中の、取るに足りない瞬間の幸せって、特別意識していないけれど、知らないうちにものすごく楽しみにしていたりするものだと思います。
その何気ない幸せを、知らないうちに失ってしまう哀しさ…

この床本が手に入ったのが嬉しくてたまらない。
好きなことばを身近に置いておけるって、何だか良いですね!

さて、琴に続き、阿古屋は三味線の演奏を求められます。

びっくりしたのですが、人形も指が動くんですね!
左手がちゃんとツボを押さえるように、指先まで独立して動くようになっているのです。
それを右手に合わせて、本当に弾いているように遣うのは左遣いさんも凄い
詳しくないため、失礼ながらどなたがなさっていたのか分からないのですが、ぜひ筋書に書いていただきたいです。

三味線を弾きながら、思い溢れて手が止まってしまう阿古屋。
その崩れる形の美しさ。。

そしてとりわけ素晴らしかったのが、最後の胡弓です。
歌舞伎で観たときにも胡弓の場面が一番感動的だったのですが、文楽はまた違った感動があります。

とにかくまずもって、胡弓の演奏がすごい

劇場内に響き渡る、広がりのある音色。
抑え込んでいたものを一気に解き放ったかのようです。
もう阿古屋は迷いません。重忠の求めに素直に「アイ」と返して、凛と前を向いて、堂々と演奏します。

胡弓は、弦をはじいて音を出すタイプの琴や三味線と違い、弓によって音を出し続ける(音を長く伸ばす)ことができる楽器です。
それがまた効果的で、歌のようで、声にならない心の叫びのようで、素手でこちらの心を掴みにくる
思い出しただけで目が潤むほど良かった。

前を見据えて一心不乱に演奏する阿古屋を見ながら、
胡弓は、阿古屋の中で何かを超越した瞬間なのかな、と思いました。

三曲は鶴澤寛太郎さんなのですが、寛太郎さんが演奏されていると分かっているにも関わらず、そこにいる阿古屋が弾いているとしか思えないような強烈な一体感がありました。
自分が今何を聴いて何を観ているのか、一瞬分からなくなるような、いい意味で混沌とした時間。

凄いものを経験してしまった。

だからどうか、

後ろの岩永くんは静かにしていてほしい。笑
いや、胡弓に合わせて調子に乗る岩永(人形:吉田文司さん)、かわいいし大好きではあるのですが!笑


※追記※
どうやら阿古屋は左:吉田一輔さん、足:桐竹勘次郎さんだった模様です。


*まとめ


チケットを取れて本当に良かったです。

どうやら2月の文楽公演は三部制なので、二部制の公演よりも人がばらけて、チケットが取りやすいらしい。
文楽に興味があるけれどなかなかチケットが買えない、という方は、2月が狙い目かもしれません。

よくよく考えると女性としては看過ならない二本立てなのですが(笑)、
それはそれとして、本当に素晴らしかったです。文楽を好きになって良かった、あの空間にいられて良かった。

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ちなみにこの三曲、それぞれの楽器に専用の手があるようで、演奏の場面になるときに付け替えるのだそうです。
琴のための爪のついた、親指から中指までが動くようになった右手、
三味線のための撥を握った右手、
三味線と胡弓のための、指を動かしてツボを押さえられるようになっている左手。

国立劇場のページに、阿古屋を遣った勘十郎さんのインタビュー動画があります(国立劇場サイトはこちら。とても興味深いのでぜひ。

ちなみに阿古屋の帯についている二羽の蝶は、勘十郎さん手作りだそうです。
昨年9月公演の『夏祭浪花鑑』でも、団七九郎兵衛の倶利伽羅紋紋は勘十郎さんによるデザインとのお話ですし、凄いですね…

人形の衣装を縫い止めたりするのも、人形の方が自らの手でしていらっしゃるようです。
人形を遣うとき以外の場面でも、手先の器用さが活かされていらっしゃるのですね!