9月は貴重な、「東京で文楽を観られる月」です!
(国立劇場の文楽公演は2月、5月、9月、12月しかないのです…)

本当は昼夜チケットを取りたかったのですが、昼があっという間に売り切れ…
夜が取れただけでもありがたい!というレベルで文楽はチケットが取りづらい。。

ということで、わくわくしながら行って参りました!

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今月の筋書の表紙、景清と糸滝の再会の場面。写真一枚でこんなにドラマティック。 

夜の部は「嬢景清八嶋日記(むすめかげきよ やしまにっき)」「艶容女舞衣(はですがた おんなまいぎぬ)」の二本立て。
「嬢景清~」は今年11月に、国立大劇場で歌舞伎でも上演予定。(詳細は国立劇場HPへ)
「艶容女舞衣」は、先月女流義太夫で堪能した演目で(この記事)、いずれも他の観劇に繋がるのが嬉しい二本でした(^^)

まずは「嬢景清八嶋日記」から感想をば。


1.花菱屋の段

(太夫:織太夫さん、三味線:清介さん)

初っ端から、花菱屋の女房(人形:文昇さん)がパンチを効かせてます。笑
早口であちらこちらへとびしばし指示を飛ばし、これは主人が尻に敷かれっぱなしなのもよく分かるなぁと。

この女房はじめ、そこそこキャラの濃い登場人物がとにかくたくさん出てくるのですが、語り分けが鮮やかで、途中で一人の太夫さんが語っていることを完全に失念
文楽はこういうところが面白い!!

歌舞伎だと、女方は美しい声で台詞を言うことが多いように思います。
対して文楽の太夫さんが語る女性は、決して「美しい声」ではないのです。
にもかかわらず溢れ出る、糸滝(簑紫郎さん)のかわいさ…!不思議だなぁといつも思います。

この場面、父に一目会いたいと暇乞いをする糸滝にみんなが優しくしてあげるのですが、先ほどの
女房が糸滝にかける言葉が良いんです。 

「皆の衆さへする餞別、おれが負けて立つものか。十年の極め五年にして、五年の年を餞別」 

負けず嫌いなのか優しさなのか、恥ずかしいのをごまかしているのか。笑
何にせよ、年季を五年も負けてくれるんだからすごいです。結果だけで見れば、もう圧倒的に思いやりの塊です。
結局この場面、遊郭とは言えものすごく情に溢れた経営陣なのです。


2.日向嶋の段

(太夫:竹本千歳太夫さん、三味線:豊澤富助さん)

能の謡の厳かな雰囲気から始まり、最初は景清(玉男さん)一人の場面。
平家の仇討ちを為し切れなかった不甲斐なさ、自ら盲目となり、乞食となっている今の境遇を嘆くのですが、

ここが凄くて。

盲目の景清、最初は杖をつきながらよろよろ出てくる。
でもこの感情を露にするところは一変して、動き方や語り方が強くて凄みのある武士そのものなんです。
心臓抜かれそうなほど迫力があった。

ここに、左治太夫(簑二郎さん、先ほどの花菱屋に糸滝を連れてきた女衒です)に連れられ、糸滝(簑助さん)がやって来ます。
 
あぁもう、簑助さんの人形はなんでこんなに表情が出るんだろう。
顔は変わっていないはずなのに。泣きも驚きも全部分かる。

景清と糸滝の出会う場面、泣けて泣けて仕方ありませんでした。(最初に載せた写真の場面はここです)
見えない目をかきむしり、必死にこじ開けようとしてもやっぱり娘の姿を見ることが叶わない、父としての苦しみ。
それでも父が自分を抱き寄せてくれたことに気付き、はっと驚き、涙にくれる娘・糸滝。

「親は子に迷わねど 子は親に迷うたな」という景清の詞、文で読むといまいちしっくり来ないのですが、
聴きながら、これは非常に愛情深い台詞だったんだなぁと思いました。
ここまで来てくれたことへの感謝、苦労を掛けたことへの侘び、忘れていた娘への愛情、たぶんそういういろんな思いが詰まっているんだろうなぁ、と。
心から娘を労い、愛しく思っている言葉のように感じました。

糸滝、親が話している間も、常にそれに反応しながら、何かしらの感情を表しています。本当に生きている。
簑助さんも凄いし、それに付いていく左遣い・足遣いの方々も凄い。

それから左治太夫、倫理的に見たら職業としてはいかがなものかというところなのですが、人柄としてはとても優しいんですよね。
私は彼が、糸滝の涙をそっとぬぐってあげているのがたまらなく好きでした。

この左治太夫、景清には糸滝が身売りしたことを隠し、大きな百姓家に嫁いだと偽るのですが、景清は武士として、この結婚に猛反対。

…と見せかけて、船に乗り込んだ娘へ「今のは全て偽り」と、愛ある言葉をかける父親の姿も本当に泣かせるんです。

「今叱りしは皆偽り。人に憎まれ笑はれず夫婦仲よう長生きせよ。与へし太刀を父と思ひ肌身も離さず回向せよ」
 
かける言葉は、紛れもなく一人の父親で。ちょっと屈折してますよね。でも間違いなく愛してるんです。

その後、娘が結婚したというのは嘘で、実は身を売ったと分かったときの、景清の激情。
見えないながらも駆け回り、暴れ、もらった金を叩きつけ、絶叫する、その痛切さたるや。
ここの台詞も好きです、溢れてしまう想い。

「ヤレその子は売るまじ。左治太夫殿、娘やあい、船よなう、返せ、戻れ」 

このあとに続く景清の悔しさの表出は、娘が身売りした金で仕官などできるものか、という生き長らえてしまったことへの恥が中心となっているのですが、
この詞に関して言えば、もっと反射的な、本能的なところなんじゃないかと思います。


3.まとめ


いやぁ凄かったです。このカタルシス。
終わったあと、まるで自分が叫びたい限り叫んだあとかのような気分でした。

人形浄瑠璃でもとてもとても良かったですが、素浄瑠璃で聴くのもしみじみといいだろうなぁ。

歌舞伎だとどうなるのでしょう。
11月の公演は、景清に中村吉右衛門さん。これ以上ない配役だなぁと思います。

好きなものが増えると、楽しみが増えますね。
本当にいい観劇経験でした。