秀山祭、夜の部は通しで幕見をして参りました!

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夜の部の一幕目は「寺子屋」
中村吉右衛門さん松王丸、絶対に観たかったのです。ご体調が第一ですが、復帰されて本当に嬉しい。

それでまぁもう、これはもう、素晴らしかったです
素晴らしかったがゆえに、ストレートに辛い一幕でした。

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「寺子屋」の特別ポスター。吉右衛門さんの松王丸、首実検の場面です。





■初心者でも楽しめるのか?


先ほど「ストレートに辛かった」と書いた通り、楽しむタイプの演目ではありませんが、歌舞伎に興味があるなら観ておいて損はない演目だと思います。

というのも、この「菅原伝授手習鑑」というのは三大浄瑠璃の一つ、要するに超代表的なお話なのです。
その中でもこの「寺子屋」は、歌舞伎でも文楽でも上演回数が多く、有名な場面。

あと数日しかありませんが、多様な歌舞伎の中でも鉄板の演目を、この配役で観ることができるのは、贅沢というものですよ…!

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おおまかなあらすじはこちらの記事に書きました。
要は、

・寺子の中で一段高いところに座っている男の子・菅秀才が狙われており、匿われている。
・この菅秀才の首を出せと言われた寺子屋の主人・武部源蔵は、菅秀才の首と偽って今日寺入りしてきた別の子の首を差し出す。
松王丸が行なった首実検により、どういうわけかこの首が「菅秀才の首に相違ない」という結果に。
・実はこの身代わりとなった子供は松王丸の実子。これが松王丸なりの忠義だった。


というようなことが分かっていれば問題ないはず…!


■私はこう見た!ここが好き!


出だしは寺子屋にて、子供たちがお勉強に勤しんで(?)いる場面。

一人、涎くり中村鷹之資さん)という年長の者が混じっているのですが、この涎くりがかわいいですねー✨
にっこにこで足取り軽く、おふざけ大好きで、寺子の中で誰よりすばしこい
「今日はもうおしまい」ということになったときも、誰より早く席を立って机を片付けるのがこの涎くりなんですが、
何だかんだで最後の一人がお教室を出るまでさり気なく促してあげて、自分は一番最後に出ていくんですよね。

おふざけが過ぎて子供たちにぽかぽかやられたりする情けないところもあるのですが、多分愛されてはいるんだろうなぁと思います。

場面は飛びますが、松王丸が首実検のために寺子屋にやってきて、子供を預けている親たちが我が子の安否を確かめようとぞろぞろやってくるところ、
それまで誰よりも元気いっぱいだった涎くりが、春藤玄蕃に扇子でぽんと頭を叩かれて、一瞬でテンション激落ちしてしまうのがかわいい。
このあとの花道でも、見せ場たっぷりの素敵なキャラです。笑 

ここの春藤玄蕃中村又五郎さん)、子供たちの顔を一人ひとり松王丸に確認させ、菅秀才ではないことが確認できたらそれぞれの子供の背中をぽんと押し遣るのですが、
又五郎さんの玄蕃はここが絶妙に優しくて、どことなく子供好きな玄蕃だなぁと思いました。笑

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さて、最初の見せ場である首実検です。

寺子屋を営む武部源蔵松本幸四郎さん)と、松王丸中村吉右衛門さん)の生み出す緊張感。

差し出された首を松王丸がぐっと見て、首桶に蓋をかぶせて、「菅秀才の首に相違ない、相違ない、でかした源蔵よくやった!」というセリフの重み。
そのあとに、松王丸は一人で必死に想いをこらえているのです。もうここで涙腺崩壊。

松王丸、自らの子がちゃんと身代わりになったのを、自らの目で確認したわけですよね。
この「でかした」は、源蔵に向けられたセリフではありますが、松王の心の中では我が子・小太郎に言っているのではないかな、と思いました。

首実検が終わり、一度この人たちは引っ込むのですが、引っ込み際の春藤玄蕃が嫌なやつ!笑
具体的なセリフは忘れてしまいましたが、「忠義忠義と言っている割に、自分の命が惜しくなったか」みたいなことを言って、源蔵のことを嘲笑いながら、首桶を抱えて帰っていくのです。
こういう分かりやすい嫌なやつがいるので、芝居というものはドラマティックになるのでしょうね。笑

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さて、首実検関係各位がいなくなったあと、もう源蔵戸浪中村児太郎さん)の夫婦はへろへろです。
ものすごく気を張っていたに違いない。
何とかして菅秀才を守ることができたこと、そのために子供を一人殺めてしまったこと、この一日でいろんなことが押し寄せ過ぎているんですよ…。

そこにやってくるのが、この身代わりとなった小太郎の母・千代尾上菊之助さん)。
源蔵としては、まさか小太郎を菅秀才の身代わりにしたとは言えないわけで、この千代の口を塞ごうと隙を見て刀を抜きます。
ここの二人、お互いにハッと気付いて、何もなかったかのように笑ってごまかすのですが、顔は全く笑っていなくて、緊張感が凄い

そしていよいよ斬りかかられたとき、千代は「自分の息子は役に立ったか」と、源蔵に確かめるのです。

源蔵、とっさに意味が分かるはずもなく。
さらにそこに松王丸がやってきて、やっと事の次第を知るのです。

大事な息子を、身代わりにするために連れてきた千代。
菊之助さんの千代、私は非常に好きでした。
慎ましくて、品があって、それでもこらえられない我が子への愛情と悲しさがあって。しっかりとした「武家の母」だなぁと。 

多分、今ここで泣いてはいけない、嘆いてはいけないというのは重々分かっているんじゃないかな、と思います。
そんな千代をたしなめる松王丸の視線も、とても優しかった

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ここから松王丸の語りに入ります。

我が子の最期の様子を、源蔵に訊ねる松王丸。
身代わりと聞かされて、にっこりと笑って首を差し出したと答える源蔵に、松王丸は「笑いましたか」と身を乗り出すのですが、
この「笑いましたか」というのが、何というか、普通に誰かに子供の様子を訊ねるお父さんなんです。
現代でも、我が子の普段の様子は知りたいものだと思うのですが、それと全く同じ調子なんです。
その「普通さ」に、本来だったらそうやって成長を見守っていくはずだった我が子の不在が強調されているように感じました。

もうだめです、私はこのあたりから、完全に涙が止まらないモードでした。。
言葉で言い表せない、あの温かみと悲痛。

ここで、松王丸は桜丸の話を出すのです。
桜丸は、この前の場面で、主君である菅丞相の役に立てないまま、敵対する藤原時平の策略によって切腹しています。知っていないと「は?」となるパターンが歌舞伎にはままあります。)

松王丸は、自分だけ三兄弟(松王丸・梅王丸・桜丸)の中で対立する立場にあり、表立っては桜丸のことをどうすることもできません。
でも、ここで見せた松王丸の涙があまりにも切なくて、その複雑な関係性とか、表に出せなかった悲しみとか、たくさん抱えているものが刺さりました。

歌舞伎は割とあっけなく人が死にます。私はともすればそれに慣れてしまう。

けれど、この場面の松王丸の嘆きを聴きながら、人が一人死ぬということの重みを改めて感じました。
芝居であれど、そこは何も変わらない
そして、それを背負ったまま生きていくことの重さも、また孕んでいるわけですよね。

さっき千代をたしなめた松王丸が、源蔵に詫びてから涙に暮れるところ、たまらなかったです。

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ちょっと本筋とは離れるのですが、このあとの場面で、菅秀才の母である園生の前が登場します。
園生の前、中村福助さんです。

昨年の秀山祭で、5年ぶりに舞台に復帰された福助さん、今年は歩いて出ていらっしゃいました

あえて書くことはいたしませんが、ご病気の前の舞台を映像でしか観られていない私ですら、思うところがたくさんありました。

この先も長く、福助さんの舞台を楽しむことができるように。
これからを楽しみにしています。


■まとめ


夜の部一発目からこの濃密さ、正直もう一幕目からずっしりと疲れます。笑

素晴らしかったです。今観ることができて本当に良かった。

何が凄いって、このあとにまだまだ「勧進帳」が残っていて、最後も(ちょっと気軽な演目とはいえ)「松浦の太鼓」というしっかりしたお芝居が続くというところ。
まだ、まだ楽しめちゃう!

いやぁでも、これは月の後半に行っておいて良かったです。
前半に観ていたら、なけなしの財産を注ぎ込んで通ってしまったかもしれない。
いや、重厚感があり過ぎて逆に通えなかったのだろうか。。

いずれにしろ、観劇後数日経っても今だに余韻に浸れる舞台でございました。