千穐楽から随分経ってしまいましたが。笑

東京で文楽を観られる月は絶対に観ると心に決めています。
文楽のチケットはすぐに売り切れてしまうので、今回も必死で取りました…。

さて、令和元年12月の演目は「一谷嫰軍記(いちのたに ふたばぐんき)
歌舞伎で「熊谷陣屋」の場面だけ観たことがあります。(感想はこの記事

通しとなると、同じ場面でもまた全然違う味わいがあるんだろうな、と思いながらの観劇でした。

で、実際その通りでした。笑

初めて通しで味わう「一谷嫰軍記」、そして初めて文楽で観る「熊谷陣屋」。
初めてづくしの感想です。

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今回の筋書の表紙・熊谷。かっこいい…!!!
 
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以前 歌舞伎で「熊谷陣屋」を観たときに感じたのは、「この場面で誰も真実を語れないから分かりにくい」ということ。
きっと通しで観たら、流れが理解できるからもっと分かりやすいのだろうと思っていました。

しかし、通しでも敦盛と小次郎がすり替わったのは、知っていないと気付かない
「陣屋」で真実が語られるまで、ずっと敦盛が討たれたものとして観ていてもおかしくないのです。

「敦盛」とされている人物が、実は熊谷の一子・小次郎であると分かりながら観ていると、「組討」での熊谷と敦盛(実は小次郎)のやり取り、「陣屋」での熊谷と相模とのやり取りの一言一言が、全く別の響きで聞こえてきます。

結局分かりやすさという面では「熊谷陣屋」のみを観たときとそう変わりませんでしたが、歌舞伎とは別の深みと感動がありました。

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通しで観たときに、やはり「熊谷陣屋の段」がクライマックスではあるのですが、個人的にはその二つ前の「組討の段」がとても好きでした。(太夫:睦太夫さん/三味線:清友さん)

『平家物語』では「敦盛最期」にあたる場面ですが、先にも触れた通り、この場面においての敦盛は「実は小次郎」、熊谷の一子です。

その二人が、親子であることを隠して戦い、熊谷が我が子を討つ。

最後まで凛と気高い敦盛(人形:一輔さん)と、悩み苦しみながら大きな選択をする熊谷(玉志さん)に抉られます。

熊谷、討ち取った敦盛の首を、何度も何度も見るのです。
ここでは小次郎のことは一切語られませんが、分かって観ていると切ない。

それを敦盛だと思い込んで死んで行く玉織姫(簑紫郎さん)にも、敦盛が本当は生きている、ということは伝えられない。
でもこの場面においては、玉織姫が「あの世で一緒に」という思いで旅立っていけるのは、唯一の救いかもしれません。

「エヽどちらを見ても莟の花」という熊谷の詞が刺さりますね。。
まだ咲いていない、咲くはずだった莟が、絶えなければならない世の中なのです。 

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歌舞伎で「熊谷陣屋」を観たときは、この後の「熊谷桜の段」の途中あたりから話が始まっていたかと思うのですが違ったか。。(芳穂太夫さん/藤蔵さん)

歌舞伎で観ると、この陣屋に熊谷の妻・相模(簑二郎さん)や藤の局(勘彌さん)が来ている緊迫感がいまいち伝わりません。
しかしここまで観てくると、

・我が子・小次郎を討ってしまった熊谷
・それを知らない母・相模
・息子・敦盛が相模の夫・熊谷に討たれた藤の局(しかも最初は熊谷が相模の夫とは知らない)

という、それぞれに非常にぎりぎりのところにいる三人が揃う場面だと分かる。

歌舞伎で観た「熊谷陣屋」は、出だしからしてこんなに不穏な場面だったわけです。 

そこからの熊谷と相模のやりとり、先ほども書きましたがフラグに次ぐフラグで緊迫感があります。(織太夫さん/燕三さん)
小次郎の初陣が心配でならない相模と、武士である限り覚悟を持つべきだと厳しく諭す熊谷。相模に心の準備をさせているかのようです。
最後まで小次郎の死ははっきりと語られないものの、ここでじわじわとその事実が見えてくるんですね。

で、(一気に場面を飛ばしますが)事実が分かったあとが本当に切ない。(靖太夫さん/錦糸さん)
相模、我が子をたくさんたくさん抱くのです。
「持つたる首の揺るぐのを頷くやうに思はれて」なんて凄い詞章ですよね。。
本当にこの辺り、語りと人形とが三位一体となって哀切極まれりという感じです。

この後に、やっと敦盛と小次郎を入れ替えた真実が、小次郎の母・相模に向かって語られます。
全く筋を知らずに観ていたら、ここで初めて、「陣門」からの一連の流れの意味が分かるのです。
この作品の初演のときって、かなり衝撃的だったのではないかなぁと思います。。

さて、文楽の公演はやはり言葉を「聴く」ことにもかなり注力するわけで、字幕も出るので尚のことなのですが、
熊谷が出家するときの「十六年も一昔〜」に続く地の文が美しくてですね。。

「ほろりとこぼす涙の露、柊に置く初雪の日影に融ける風情なり」

というところなのですが、なんともここが切なくて。
泣きつく相模に対してずっと強い態度を取っていた熊谷ですが、当然ながら本音はこれなんですよね。
思わず「ほろりと」こぼれるその涙が見えるような表現だなぁと。

怒涛のドラマに翻弄されていると、突然こういう美しい言葉が混じり込んでくるので気が抜けません。笑

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ここでちょっと方向性を変えて、歌舞伎との比較をば。
飛ばしてしまった場面も掘り返しますよ!笑

歌舞伎の大きな見せ場である「制札の見得」は、文楽でもほぼ同じ形でありました(というよりも、文楽の形を歌舞伎が持ってきたという順序でしょうかね)
熊谷の人形(玉志さん)、黒地に金の鎧で動きも良くて、とてもとてもかっこいいのですが、その極みがやはりここだなという気がします。

もう一つ、歌舞伎での熊谷の大きな見せ場として、最後の花道の「十六年は一昔、夢だ、夢だ」という台詞がありました。
しかし、文楽では意外とこのあたりがさっぱりとしていた印象。この台詞のあとにも、弥陀六や義経とのやりとりが続くんですね。

そして謎多き石屋・弥陀六。
この人が「一枝を伐らば一子を切る」の意味を理解したときの「忝い」という一言が、歌舞伎ではかなり重かった気がするのですが、これも文楽の方はあっさり進むなぁと思いました。

この二つを通して、歌舞伎の演出は役者の芸を見せるものなのだな、というのを再認識した次第。
本来であれば、一つの台詞のうちの一部分であったほんの一言を、「ここを見てくれ!」という役者の見せ場に仕立て上げて盛り上げていくんだなぁと思いました。

弥陀六は歌舞伎の方で歌六さんがなさったのも大好きだったのですが、今回もやっぱり良かった。
人形は文司さん、弥陀六としての軽さと、平家の武士としての重厚感がとても好きでした。
この二面があるから弥陀六という人物は面白いなぁと思うのですが、同一人物でこの軽さと激しさを語り分ける靖太夫さん、そして三味線の錦糸さんの床にも心を掴まれました。。
私、弥陀六好きなんだろうか。笑

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以前にもこの記事に書きましたが、物語そのものを味わいたいときは、私は歌舞伎より文楽の方が好きなのです。
今回観てみて、改めてそう感じました。

歌舞伎で観た上で、同じ演目の文楽も観てみて初めて分かる二つの芸能の魅力。
双方の楽しみ方が、また一つ深まったような気もしています。嬉しいことです。

貴重な機会と、心に刻み込まれる舞台を観られた幸せで、今回の文楽公演も大満足でした!

次の東京での文楽公演は、2月の国立劇場(公式はこちら)。
2月の公演は3部制なので、比較的チケットが取りやすいと言われています。
どれも歌舞伎で観たことのある有名な演目ばかりなので、またまた楽しみが増えております。

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