ほんのり*和もの好き

歌舞伎や文楽、日本舞踊、着物のことなど、肩肘張らない「和もの」の楽しみを、初心者の視点で語ります。

文楽

「妹背山婦女庭訓」(国立劇場文楽5月公演)初心者の備忘録的感想


スーパー今更になってしまいましたが!!!意地でまとめましたよ!!!笑
そしてこっそり更新しましたよ。(日付は6月になってますが、記事を書いているのはなんと12月です。ちゃっかり。笑)

一日通しで観てきました、国立劇場の5月文楽公演「妹背山婦女庭訓(いもせやま おんなていきん)腰が!おしりが!!!

いや、でも見事なまでに飽きませんでした(途中ちょっと眠くなるところはありましたが)。すごい。
何がすごいって、飽きさせない技芸員さんがすごい。
そして、物語の力でしょうか。

荒唐無稽のように思われるるところも少なからずありますが、そんなの関係ありませんよね。
持ってくとこに物語を持っていきたいわけです。

もうあの勢いに押されます。
妹背山は面白い。

あらすじをまとめるのはもはや不可能なので諦めまして(笑)、段ごとに感想をば。
なにぶん長いもので、備忘録レベルでの大変に薄っぺらな感想にはなりますが、ご参考までに。

IMG_20190521_235356
公演チラシ、雛鳥&久我之助Ver.。「妹背山」らしい一枚。

IMG_20190521_235124
こちらはお三輪ちゃんVer.。「婦女庭訓」らしい一枚(?)。


※( )内は人形の主遣いさんです。

■大序


◇大内の段

ここはとにかく話がごちゃつくところですね。
登場人物がたくさん出てきますが、要は

・蘇我蝦夷子(えみじ)が皇位を狙っている
・そのために藤原鎌足を失脚させようとしている
・途中で下手から出てくる定高(さだか)という女性と、下手寄りに立っている大判事清澄(だいはんじ きよずみ)との間には、定高の亭主である故・太宰少弐(だざいのしょうに)が存命の頃から遺恨がある

ということがここで掴めれば良いという感じかしら。

ごちゃつくように感じましたが、後々この場面があったことによって、展開が分かりやすくなっていたと思います! 
 

◇小松原の段

前半に大いにスポットを浴びる、雛鳥(ひなどり)・久我之助(こがのすけ)カップル誕生の場面
お互い一目惚れなんですねー!展開が早い!笑

ここの雛鳥簑紫郎さん)のまぁかわいいこと。
久我之助の前を通りすぎてから、うつむきがちに振り返る、その顔に簪の影がさすのです。
これが計算し尽くされたように美しい。

雛鳥は二人の腰元を連れているのですが、このうち一人・小菊紋吉さん)がとてもいいキャラ。
久我之助玉助さん)の持っている吹矢筒を雛鳥が見たいと言っている、ということにして二人の出会いを作ってあげるのですが、
この吹矢筒を雛鳥に渡すときの冗談がきっついきつい。笑
ド下ネタなんですが、たぶん雛鳥は気付いてないんですよ。
ものすごくうっとりした表情で、大事そうに吹矢筒を手に取る。こちらは目のやり場に困る。笑

そこにやってくる蝦夷子の手下・宮越玄蕃勘市さん)。
この人は雛鳥にほの字なので、久我之助と雛鳥のいいところを見たら激昂してしまうんですが、それを強烈にやり込めるのもこの小菊です。
彼女は本当にすごい。絶対作者サイドもこの人のことは楽しく書いたに違いない。笑


◇蝦夷子館の段

(口:亘太夫さん/清公さん、奥:三輪太夫さん/清友さん) 

舞台の上に雪人形が並んでいて、かわいいなぁ細かいなぁと思っていたら、
ここ、とんでもない場面だったんですね。本当の大悪人が登場します。

蘇我入鹿文司さん)です。蝦夷子玉佳さん)の息子です。

てっきり蝦夷子と対立していくのかと思ったら、この入鹿が、父を諌める振りをして父の立場を乗っ取るのです。
ドラマとしてとても盛り上がるところ!!展開を知らなかったので衝撃でした…!

殺しの場面は、やっぱり文楽の勢いが凄いなぁと思います。

■二段目


◇猿沢池の段

(希太夫さん/友之助さん)

何気ないような場面ですが、盲目の天智帝と、それを安心させようとする淡海のやりとりが切ない。

この後に続く、天智帝の田舎暮らし(違う)の場面はおかしみをもって描かれるけれど、その周りの人々の苦心やこのときの状況を考えると、帝が盲目、という設定が刺さります


◇鹿殺しの段

(碩太夫さん/錦吾さん)

一瞬なんですが鹿がかわいい。
そして息子の三作勘次郎さん)がかわいい。
ここで三作がかわいいのを覚えていてほしい。三作、まだそれほど年端もいかないはず。。

あと最後に捌けていく芝六玉也さん)の足が好きだったのですが、どなただったのでしょう…?
芝六このあとも非常に好きです。


◇掛乞の段

(睦太夫さん/寛太郎さん)

ここはちょっと息が抜ける、笑いどころでした。

粗末な家に全然馴染まない宮中の者たち。
それを指摘する芝六の詞もユーモアたっぷりです!

そこにやってくる借金取り・新右衛門玉勢さん)。
借金を取り立てに来るときの、「腰に帳面ぶーらぶら」の言い方が、人としてもぶらぶらしてそうな雰囲気でとても好きでした。笑

新右衛門と、それをかわそうとする芝六女房・お雉簑二郎さん)、そのやりとりの意味をいまいち理解できていない宮中の人々の会話も終始楽しく。
最終的に新右衛門をやり込める芝六も強い!笑

このお話ではありませんが、姫様育ちが家事ができない話とか、環境の違いで笑いを取るパターンは結構多いんですね。


◇万歳の段

(織太夫さん/清志郎さん、(ツレ)燕二郎さん)

さっきの段と同じく、天智帝が宮中と思い込んでいる芝六のあばら家で物語が展開。

同じように田舎を宮中と思わせる苦労が描かれますが、ここは笑い一辺倒でもなく、そうさせなければならない苦しみが滲みます

個人的に嬉しかったのは「万歳」。
太棹がじゃんじゃん鳴って踊りが始まると、それだけで楽しい!

さて、ここで暗雲が垂れ込めています。

鹿殺しの詮議の噂を聞いた三作、腹違いの弟・杉松和馬さん)を、興福寺に使いに走らせます。
何も知らない杉松、素直に兄の言うことを聞いて「ちょかちょか」走っていきます。ちょかちょか走り。かわいい。

しかしこの直後の詞章ですよ。

「見送る兄が書き残す、筆の命毛器用なが仇と白地の神ならぬ」

え…ちょっと三作、一体何書いた…?
大体年端のゆかぬ者の知恵というのは悲劇を起こすんですよ。。

そしてこの場面、淡海に芝六の忠義心を疑われたときのお雉がかっこいい。
夫の忠義を100%信頼した上で、もし疑わしいことがあったら「夫とは言はせず私から切りかけます」ときっぱり。

浄瑠璃のこういう場面における女性陣の肝の据わり様、大好きです。


◇芝六忠義の段

(咲太夫さん/燕三さん)

もうなんでこうなっちゃうんでしょうね…犠牲が過ぎるよ。。
とにかく語りに泣かされました。 

三作の先ほどの文、鹿殺しの罪を自分が一身に背負って、父を守ろうとしたんですね。
杉松は分からないままに、これに荷担してしまっていたのです。

三作は母の連れ子、杉松がこの夫婦の間の子です。
お雉が父への義理を忘れずに大切に孝行するように言い聞かせていたのを、三作はこうして守ったのです。

「わしが仕置きに遭うた跡で父様の泣かしやれぬやうに、京の町へ奉公にやつたと言うて置いて下されや」
「せめてあれ
(※杉松)一人は狩人さして下さるな、そればつかりを頼みます」

しょっぴかれる三作の健気さがもうどうしようもなく哀しい。 

鹿殺しは、生き埋めにされる「石子詰」という重罪です。
三作の思惑が分かった母の慟哭がまた泣かせます。

「わしやまだ恩をえ送らぬに大人も及ばぬ発明は、一生の智恵も寿命も十三年につゞめたか。こんな子を持つた親とひけらかしたい稀な子を、世にも稀なる大垣の土の中へ生きながら石子詰で殺すとは、何ぼ前世の約束でも余り酷い約束事。イヤゝゝ何ぼうでも殺さぬ殺さぬ…」

「新口村」の孫右衛門もそうですが、親が子を思うときの、心のひだを描き出す詞章に心打たれます。
そこには複雑な論理があって、それが哀切を極めます。

それから酔って上機嫌(なふりをし)て帰ってきた芝六の、三作を探すときの詞章。

「「三作よ、作よゝ」は胸を裂く妻の苦しみ…」

掛詞で連なっていく浄瑠璃の詞章ですが、この掛詞は何とも辛いですね…。

夜が明けたら三作の命はなくなっている。

「どうぞこの夜が百年も明けずにあつてくれかし」

お雉の心の叫びに、ひたすら胸が痛みます。

一方、三作の犠牲を知らない父・芝六は、自らの忠義を見せるために杉松を一思いに刺してしまいます。
もう!何故なの!!! 

ちょっとこの辺の筋を大幅に端折りますが、
最終的に三作、生きています。良かった。

■三段目


◇太宰館の段

(靖太夫さん/錦糸さん)

入鹿がいかれてます。
遠眼鏡で互いの家を見張れなど。何てことを。

雛鳥と久我之助の悲劇を生む、「雛鳥の入内と久我之助の出仕」が命じられる大切な場面です。

今回の上演の第1部はここで終了です。
ここから動きそうな気配がするところで終了です。
だから絶対通して観た方がいい

最後に注進が駈け込むのですが、こういう勢いのある場面での太棹の威力に毎度やられます。大迫力。


◇妹山背山の段

(【背山】大判事:千歳太夫さん、久我之助:藤太夫さん/前:藤蔵さん、後:富助さん
【妹山】定高:呂勢太夫さん、雛鳥:織太夫さん/前:清介さん、後:清治さん、琴:清公さん)

ここから第2部になりますが、こここそが前半のクライマックスです。

舞台真ん中には川が流れ(本当に流れているように見せるのです。工夫がすごい)、下手には妹山・雛鳥の家、上手には背山・久我之助の家。

床も上下(かみしも)に分かれて語るのです。

この両床というのはすごいですね。
ところによっては一文字ずつ、妹山背山で語り分けるときもあり、また時には一緒に語り
複雑な関係にある両家の、交錯する想いが伝わってきます。

両方の床で同時に語ったときの、音の厚み!
それは気持ちの昂りを表すにはもってこいで、観ている方も煽られます

加えて人形の激しさ。

定高(和生さん)の、抑えに抑えてきたものが溢れる様子。
可憐に恋する娘から、恋のために決然と死ぬ娘に変わる雛鳥(簑助さん)。

強い立場でありながら、この場面断トツの弱さを見せる大判事(玉男さん)。
涼しい目元で忠義を通し、雛鳥を想いながら切腹する久我之助(玉助さん)。

お互いの家が無事と思ってのことだったのに、真実を知ってしまったときの両家の親の絶叫。

時に人間を超える動きで感情をむき出しにしてくる人形と、左右から煽ってくる語りと三味線で、床に挟まれた客席は完全に妹背山の世界に連れていかれるのです。

涙堰き敢えず。このためだけにも頑張った甲斐がある。

***

雛鳥は前半が簑紫郎さん、後半が簑助さん。
簑紫郎さんの雛鳥は本当に可憐で、振り返るときのちょっとした瞬きとか、柱にもたれて久我之助を見やるときの首筋から肩にかけての色気とか、とても細かかった。

一方簑助さんの雛鳥からは、そこに生きている一人の女の子の人生が立ち上がってきます

簑助さんの遣う女の子が本当に好きです。
見終わって振り返ったときに、完全に「一人の女の子がいた」と思い出されるような人形です。
あのとき雛鳥は絶望していたよな、とか、恍惚とした笑顔だったよな、とか、そんなわけないのに思うんですから。


■四段目


◇杉酒屋の段

(津駒太夫さん/宗助さん)

ここから舞台はがらりと変わり、新たな主人公となる求馬(清十郎さん)と橘姫(一輔さん)、そしてお三輪(勘十郎さん)の登場です。

橘姫はほんとに何者なんだ。

そしてお三輪ちゃん、もう全てがかわいい。
簪のつまみ細工からしてかわいすぎる

ほおずきを持ってうきうき出てくるのですが、もうこの出からして橘姫と全然違うんですよ。娘感がすごい。

自分がいながら橘姫と時間を過ごす求馬に、文句を言うお三輪。
でも最初はもじもじ恥じらうのもかわいい。

それでですね。

ここで求馬とお三輪、紅白の糸巻きを取り交わすわけなんですよ。

求馬!いいか!この糸巻きはお三輪ちゃんと交わしたものなんだからな!!!(後述)

丁稚の子太郎(ねたろう、紋秀さん)が楽しいです。大体の作品において、丁稚はちょっと抜けてて屈託がなくてかわいい


◇道行恋苧環

所作事(いわゆる踊り)の場面。
橘姫と追う求馬、さらにそれを追ってきたお三輪で、求馬の取り合いになります。

出だし、三味線5挺の音の厚みがいいですね!
この部分を通して、曲がいいなぁと思いました。
お三輪と橘姫の雰囲気の違いもよく出てきて、目も耳も楽しめる場面です。

人形でも踊りの演目はありますが(「団子売」とか「三番叟」とか)、物語の中でこんなにしっかり踊りが入るのは初めて。嬉しいです。

最後、求馬が橘姫の裾に赤い糸をつけて追っていく。その求馬の裾に、お三輪もお三輪で白い糸を結びつける。

ここ、腹立つんですよ。。
求馬の糸巻はお三輪との関係の象徴でしょ?それを目の前で踏みにじらないであげてよ!と思うのです。

そして、舞台に一人残るお三輪。
求馬を追おうとしてバランスを崩す。
自分のことはさておき、大切な糸巻を確認して糸をたどっていって、はっと気付く。糸が切れてる…!

もうここが本当に切なくて切なくて、求馬が恨めしい。。
勘十郎さんの細かな動きで、尚更お三輪の胸の痛みがこちらにも刺さります。 

この場面、神社の鳥居前で、奥に山が見えているという舞台です。
筋書には「布留の社」とあるので石上神宮なのかなぁと思っていたら、児玉竜一先生の解説のページでは「春日大社」とありますね。
後ろに見えている山は何山なのでしょうか。。個人的には三輪山であってほしいのですが、いかんせん方向音痴の上に土地勘がなく。笑

***

ここまでの一連の話(※)は、『古事記』をはじめ日本の古い話に似たような話が数多くあるようで、それを知ってから観ると「ほう、この話の中ではそう使われるのか!」という発見があって面白いです。

(※)素性の分からないものが訪ねてくる、その裾に糸を通して追いかける、という流れ。『古事記』では、この「素性の分からない男」が三輪山の神・大物主神であるという流れになっているのです。


◇鱶七上使の段

(藤太夫さん/清馗さん)

鱶七(玉志さん)、演技力すごくないですか?って毎度思います。笑
鱶七は本当はあんな人じゃないはずなのに。堂々たる傍若無人っぷりです。それでも必要なことは全て抜かりなく押さえているからすごい。
鱶七の大きさと勢い、とても好きです。

語りも鱶七の勢いが分かる雰囲気に。
官女と鱶七の噛み合わない会話も面白く、とにかく何をやってもどこ吹く風で己の道を進む鱶七がすごいです。笑

この段、鱶七の話しかしてない。


◇姫戻りの段

(小住太夫さん/友之助さん)

(この辺、さすがに観劇時間が長くなってきて腰が限界に近づき、観劇メモがかっすかすなのです。で、唯一書いていた内容が↓)

「鎌倉三代記」(感想はこの記事を観たときにも思いましたが、恋愛に条件をつけるな

求馬は、政敵・入鹿の妹である橘姫に「入鹿の盗んだ宝剣を取り戻したら夫婦になる」と言うのです。

いや、分かりますよ。政敵と結ばれることには大きな危険を伴います。
でも恋愛ってなんか、そうじゃないでしょ!!というのが毎度思うところです

橘姫とお三輪だったら断然お三輪推しですが、こういう場面があると橘姫も不憫な気がして、揺らぎます。。笑


◇金殿の段

(呂太夫さん/團七さん)

歌舞伎で観た「三笠山御殿」はここですね。
官女とぶつかってあわあわするうちに次の官女とぶつかって…というあれを人形でもやるんだ、と新鮮。

お三輪が一人でああでもないこうでもない、とやっているところも多い印象のこの場面。
彼女は当たり前ながら今後何が起きるかなど全く理解していなくて、ただ「求馬さんと一緒になりたい、でもこんなことして嫌われたらどうしよう?!」ということだけが気がかりなのです。

もうピュアさが痛いくらい。今後を知っていると、特にです。

そんなお三輪なので、さんざん官女に馬鹿にされているのを見るのが本当に辛い。
あまりにもまっすぐで、求馬さんに会えるという期待が純粋であったゆえに、官女たちの仕打ちによって恥をかかされる、という現実との落差が大きいんですよね。。

これで気がふれ、「疑着の相」となるお三輪。
しかしこれこそが、求馬を助ける手段となるわけです。

入鹿討伐のために、疑着の相の女の生き血が必要であるとして、お三輪を刺す鱶七。
これもね、必要なのは分かるんですが、刺しながら事態を説明するにしては、鱶七に余裕がありすぎるんですよ。目の前でお三輪が苦しんでいるのに。

お三輪ちゃんの何が切ないって、死に際に「求馬さん」って呼ぶんです。
彼は本当は淡海だと分かっているのに。

だって、お三輪が恋したのは淡海さまじゃなくて、求馬ですもんね。

あんなに悔しがって、それでも「来世で」と、求馬のために死んでいくお三輪が本当に悔しい。

そして愛しい。。

■まとめ


本当はこのあとに、入鹿誅罰が続くとのことです。
ここまでやるんだったら、そこまで観たかったなぁという思いを残しつつ、でもさすがに腰とお尻が限界でした(^^;

都合がつくのが一日だけだったので、昼の部と夜の部を同じ日に詰め込むという強行スケジュール。
複雑で予想もつかないストーリー展開に頭も途中で限界を迎え、思わず売店でプリンを購入しました…糖分…笑
 
まだまだ詳しくないので、どなたの何がどうとか芸を語れないのですが、ストーリーを追うだけでも壮大だし面白い。
雛鳥と久我之助の場面と、お三輪・求馬・橘姫の場面があることは知っていたものの、その繋がりは知らなかった自分にとって、
その二つの場面に入鹿という悪人がずっと存在していることも分かって良かったです。

物語としての要素が詰め込まれ、たくさんの印象的な登場人物がいて、観る人それぞれにとっての見せ場があるなぁという印象。
こんな芸能を一日観ていられた、そして仲間たちとああだこうだ盛り上がれた大坂の生活、なんと羨ましいことでしょうか。
 
貴重な体験ができたこと、企画・上演してくださった国立劇場と技芸員の皆様に心から感謝いたします…!

 

にっぽん文楽「小鍛冶」初心者はこう楽しんだ!〜にっぽん文楽in明治神宮 感想

にっぽん文楽、二度目の鑑賞!
千穐楽の最終公演です。
夜の森に浮かび上がる舞台。

DSC_0838

今回は何と、何と、一番前の席が取れました!!!

IMG_20190312_184431

この!この距離感!!!
檜の香りがします…!!!

どうしよう、私なんぞが勘十郎さんをこんなに近くで拝見してしまって良いのだろうか、とよく分からない緊張感の中で幕を開けた、千穐楽の「小鍛冶(こかじ)の様子をレポートします。

 



1.「小鍛冶」初心者でも楽しめたのか?


楽しめました!

とは言え、想像のつきにくい神秘的な話だし、舞踊の要素が強いので、筋を耳だけで理解するのは厳しいかもしれません。
(ちなみにですが、床本はこちらから見られます。) 

剣を打て、という勅令が下ったが、良き相鎚(あいづち、鉄を一緒に鍛える相方)がいないという宗近の神頼みを受けて、稲荷明神が狐の姿で現れて相鎚を務め、無事に立派な剣を献上できた、という話。

この狐の動きが胸の透くようで爽快でした。
後述しますが、鉄を打つところの音も楽しかった!


2.「小鍛冶」感想


最初に出てくるのは宗近(人形:吉田玉助さん、太夫:豊竹希太夫さん)。
能が元になっているからか、きっちりと歩いて出てきてきっちりと正面を向き、名乗ります。
 
剣を打つよう勅命を受けたが、腕のあるいい相鎚がいないという宗近。
どうしたものか、と氏神である稲荷明神へ神頼みしたところへ、老翁(人形:桐竹勘十郎さん、太夫:豊竹呂太夫さん)が出てきます。

これは実は、稲荷明神。
剣というものの由来を語ると、宗近に「壇を飾って待てば、力添えをする」と告げるのでした。 

この老翁、語り始める前に左右の襟元をなぞって整える仕草がとても格好いい
最後にぐぐっと力が入るのです。
一番前なので、このあたりの細かい力の入りようがよく見えて感動ものです! 
語りが盛り上がるところも、勢いがありました。

さて、老翁の言う通りに首尾を調え、「力を合せてたび給へ」と懸命に祈願する宗近。

一心不乱に祈る姿、何だか「夜の神社」というシチュエーションに絶妙に合いますね!
屋外でやる楽しみを味わいました。

そして!ここに登場するのが狐姿の稲荷明神。
「春興鏡獅子」のような、白のふさふさの毛を付けています。

参考:いらすとやの「連獅子」イラスト→renjishi_white
 
手はちゃんと狐手になっていました!人形の狐手、小さくてなんだかかわいい!!
(狐手については、一瞬だけこの記事に出てきます。指先を丸めて手首を反らせる独特の手なのです。) 

この狐の踊り、とにかくダイナミックで凄い迫力でした!
舞台に巻き起こっている風がこっちにも流れてきそうなほど。
 
舞台狭しと大きく動き、力を遺憾なく発揮する狐姿の稲荷明神。
細かい首の動きのキレとか、歌舞伎の女形さながらに反るところとか、見所たっぷり!!
踏ん張ったり飛んだり、足の表情もおもしろかったです!
人形遣いさんたちもすごい運動量…! 

そして狐は、宗近の相鎚を務め、一緒に刀を鍛えていきます。

この場面、本当に人形が鉄を打つ音を出しているようです。 
鎚で叩くカンカンという音に、鼓の音が重なります。
小気味良く、軽快なリズムで響く音が楽しい!
一人で観ていたら体を揺らしてノリノリになってしまったに違いない。笑

囃子は中で演奏しているため、屋外だと響きづらいのですが、今回は舞台にとても近い席だったので、よくよく音を味わえました。

一度剣を鍛えたあとに、でき具合をじっくり眺めて、「まだまだ!」と首を振る狐の様子もなんだかかわいい。笑

こうして無事に立派な剣が出来上がり、狐が雲に飛び移る様子を見せて幕になります。

とにかく狐が動きに動く!
筋があまり分からなくても、この狐を観ているだけでも十分に楽しめそうなくらいです。


3.まとめ


このブログでも何度も書いていますが、私が初めて観た文楽で衝撃を受けたのが、勘十郎さんの遣っていらっしゃった人形でした。この記事

その勘十郎さんを、こんなに近くで拝見できる喜びたるや。
立ち見でも十分な近さではありましたが、チケットを取ってよかったと心から思っています。

***

今回一番感じたのは、「人形ってこんなに踊るのか!」というところ。

これまでも人形が踊るのは観ているのですが(「団子売」「三番叟」など)、今回一番「踊る体」を感じたように思います。 
リアルだったかと言われれば必ずしもそうではないのですが、体の動きの面白さ、舞台の空気をいっぱいに動かす力を見た気がします。 

撮影可能の公演でしたが、一瞬でも目を離すのがもったいなくて、とてもカメラなど構えられたものではありませんでしたよ…!

やっとの思いで撮ったカーテンコールは、光の関係で色が飛んでしまって何が何やら。笑

「太夫さん三味線さんです、どうぞ!」の稲荷明神(右端の人形)。左手にご注目。

DSC_0842

皆様お揃いで。

DSC_0844

最後は手を振ってくださいました。
人形も手を振ってくれました…
欲を言えば女の子の人形にも手を振ってもらいたかった

***

花粉の季節であり、寒いのか暖かいのか予測もつかず、雨の心配もあって、屋外の公演はなかなか障壁が多いと思います。

しかし、飲食が自由だったり、周りの空気も含めて物語を味わえたりと、屋外だからこその楽しみ方もありました。
チケット1,000円、無料の立ち見席あり、という料金設定も素晴らしくありがたい。

「にっぽん文楽」は今回が第7回とのこと。
ぜひこれからも続けていっていただきたいです。
次は友人にも声をかけたい!

にっぽん文楽「日高川入相花王」初心者はこう楽しんだ!〜にっぽん文楽in明治神宮 感想

始まりました、にっぽん文楽in明治神宮!!

過去何度かやっていたのを行き損ねていたので、楽しみにしておりました。

まずは一発目、「日高川入会花王(ひだかがわいりあいざくら) 渡し場の段」から。
会場への行き方や雰囲気も含めてレポートします!



1.にっぽん文楽・会場の様子


原宿駅・表参道口または明治神宮駅を出て、道沿いに右に回り込みます。
すぐに見えてくる「神宮橋」をそのまま渡れば、もう会場です!

こちらは神宮橋のあたりから撮った一枚。

bU3fN4bsFqyVVp11552109773_1552109830

数日でこの舞台を完成させるのはすごいですよね!

さて、有料の座席は、3人がけのベンチが3つ横に連なったのが、左右2ブロック。確か前後は7列程度だったかと思います。
今日座ったのは前から4列目くらい。舞台も床もとっても近いです!

B7meOioEVnTWZSu1552120759_1552120868

IMG_20190309_174533


よく見ると、舞台の上には「にっぽん文楽」の文字が!

IMG_20190309_172631

右手奥には、明治神宮の鳥居が見えます。

IMG_20190309_172459
み、見えますか…??笑

お土産やさんやお酒売り場は、床の右側
今回は覗きませんでしたが、お酒を飲みながらの観劇の方もたくさんいらっしゃいました。
寒い日は温かい甘酒なんかいいですね~。

***

お手洗いは会場外です。
再入場には半券が必須なので、なくさないようにお気を付けください!

このお手洗いが地味に遠くてですね、私は鳥居の右の通りをまっすぐ行った左側のところを使ったのですが、急いで歩いて片道5分、普通に行けば8分くらい。

劇場のように「直前に行けばいいや」ができません!ご注意を!

***

客席に屋根はありません。
冬だからとうっかりしていたのですが、晴れの日は焼けます
そして、晴れの日は舞台を見るのが眩しいです!!


2.「日高川入相花王」初心者でも楽しめたのか?


楽しめます!

この場面だけであれば物語はいたってシンプルで、
「好きな男を追ってきた女が、男に拒まれ、嫉妬のあまり鬼形の蛇体となって川を渡り、男をさらに追っていく」
ということが分かっていれば大丈夫かと思います。

男に「追ってくる女を舟に乗せないように」と言い含められた船頭が、女・清姫を渡すのを拒む。
間接的に男に拒まれた清姫は嫉妬に狂い、蛇になってまで後を追う、という話。

「ガブ」といって姫の顔が一瞬で鬼の顔になる演出が見せ場で、視覚的にとてもインパクトが強く、通りすがりの立ち見でも「おぉっ!」となると思います。


3.「日高川入相花王」感想


「安珍さまいのう」という清姫(人形:吉田勘彌さん、太夫:豊竹呂勢太夫さん)の、初っ端の詞。
このときの清姫にはまだ、一人の恋する女の子、という雰囲気が感じられます。
「男(安珍)を追ってくる」という時点でかなり重くて危なっかしい女ではありますが、その中に純粋な恋心があるように思えるのです。

しかし船頭(人形:吉田簑紫郎さん、太夫:豊竹睦太夫さん)の話す内容をじっと聞いたあと、だんだん言動に怒りと恨みが滲み始めます。
肩脱(かたぬぎ、片方の袖を脱いで「役の性格や心理の変化を表す」演出(「歌舞伎事典」昭和58年、平凡社))になって、足元を流れる川を覗きこんだあたりから、どんどん不穏な気配が漂い始めます。
 
それもそのはず、覗きこんだ川面に映る姿はもう蛇になっているのです。 

満月の夜、川面に映った自分の姿が蛇になっている…なんと不気味な。
そしてそれほど動じない清姫がまた恐ろしい。

「取り殺さいでおかうか」(取り殺さないでおかれようか) という清姫の詞、あぁもう彼女は完全にあちらの世界に行ってしまった…と。

清姫が川に飛びこんだあたりから、いよいよ見せ場です。
日高川の波がざんぶざんぶと荒れます。
その波間に見え隠れする清姫…

かと思いきや、また波に隠されてからぱっと見えた姿が蛇体の鬼になっているのです!

川を渡り終え、向こう岸に上がるときは清姫の姿。
よろついて柳の木に掴まり、ラストはまたガツンと鬼の形相になって終わります。

怖ぁ。。

公演が始まる前の解説で、豊竹咲寿太夫さんが「ダークファンタジー」とおっしゃっていましたが、全くもってその通りですね。。


4.まとめ


「山の端にさし昇る隈なき夜半の月影」「足元の明(あか)い内とっとと去(い)ね」というのが聞こえてきたので、まだ明るさの残っている日暮れ時が舞台なのでしょう。(床本はこちらで見られます。 )
せっかく屋外での公演なので、設定と時間帯を合わせて観てみると、また雰囲気が出ていいのかなぁと思いました。

夜の闇が迫り、だんだんと暗くなっていく中で浮かび上がる鬼の顔…

文楽を見慣れてくると、お人形を見て「かわいい!」としか思えなくなるのですが、子供の頃ってあのお人形、少し怖かったと思うのです。
その人形の持つ独特の不気味さというのが、夜だと浮かび上がってきそう。

劇場の音空間の中で味わうのも大好きですが、屋外でどこまでも広がっていく音もまたかっこいいですね。
晴天の下の浄瑠璃、何だか爽やかで、しゃんとしました。

青空文楽、楽しいです!
 

「中将姫雪責の段」「阿古屋琴責の段」観てきました!〜国立劇場文楽2月公演第三部 初心者の感想

国立劇場の2月文楽公演、第三部に行ってまいりました!

『鶊山姫捨松』より「中将姫雪責の段」と、
『壇浦兜軍記』より「阿古屋琴責の段」の二本立て。
全体的に女性が責められるラインナップとなっております。

IMG_20190217_235820
雪責めから助け起こされる中将姫と

IMG_20190218_000041
無心に三味線を弾く阿古屋。左手の指にご注目!
※写真はいずれも筋書より。

それぞれの感想を綴ります。



*中将姫雪責の段


文楽の人形の、女性の美しさが好きです。
ちょっと角度が変わったり、目が閉じたりするだけで、全然違う表情になる。

今回の演目は、それを堪能できたな、と思います。

雪責の場面、私は今回下手側での観劇だったのですが、
ちょうど中将姫を助けにやってくる桐の谷(※中将姫に仕えています)の表情がよく見える位置でした。
桐の谷は吉田一輔さん
中将姫への惨すぎる仕打ちに心底腹を立てながらも何もできない悔しさが、人形の表情から伝わってきて、胸に迫りました。

ちなみにこの桐の谷、寒さに震える中将姫へ自分の着物を投げてあげるのですが、これがナイスパスなんです!
人形を遣うお三方の息の合い方がさすがですね。

そして何と言っても、吉田簑助さんの中将姫が圧巻です。

雪の中に薄着で引き倒され、打たれ、髪を引っ張られる中将姫。
寒さと痛みと、継母とは言え母である人物からの仕打ちに対する悲しみとにうちひしがれる、その様子があまりにもリアルで、何だかよく分からないけれどどきどきしてしまった。
 
見てはいけないものを見てしまっているような、
でも一挙手一投足から絶対に目を離せないような。

簑助さんは、昨年拝見した『夏祭浪花鑑』のお辰がとても好きでこの記事、このお辰はすぐに舞台からいなくなってしまうので、もどかしかったのです。
今回、こんなに簑助さんの人形を味わうことができたのがとにかく嬉しい。

***

この中将姫、どれだけ酷い目に遭わされても、継母である岩根御前を守るのですが、
その健気な語りのときに、胡弓の音が聞こえるのです。
胡弓は野澤錦吾さん細く澄んだ音が、この場面の切なさを増します

音楽面での工夫、興味深いです。

***

語りで興味深かったのは、「サァそれは〜サァサァサァ」の掛け合い。
歌舞伎でよく見るスピード感のあるあのやり取りを、あの速さで一人で語り分けるのか!と。
この場面は竹本千歳太夫さん。太夫さんって凄いですね…!


*阿古屋琴責の段


いやもう、これは本当に人生の財産になるなぁという感じでした。
桐竹勘十郎さんの阿古屋。

一度歌舞伎で観ている阿古屋(感想はこの記事
「三曲琴、三味線、胡弓を演奏する」という拷問にかけられる、一人の傾城の物語です。

阿古屋の詞(義太夫はセリフのことを「詞(ことば)」と言うらしい)にものすごく好きなところがあり、それを文楽の語りで聴きたい(そしてあわよくば床本を手に入れたいという思いと、
三曲をプロが演奏するとどんな感じなのか、そして人形がどうやって三曲を演奏するのか…
いろいろと気になる要素は最初から多く、とても期待していた演目ではあったのですが、

予想を遥かに凌駕しました。

琴責の場面だけに流されないようにしようと思いつつ、琴責があまりにも凄くて。

最初は琴。ちゃんと爪をつけるところから始まります
ちょっと身を乗り出し気味に、押さえる手を確認しながら。何で弾かされているのか分からないなりに没頭していく様子。
全てがものすごく精密です。

さて、この琴のあとの詞が私は大好きなのです。
阿古屋が景清との馴れ初めを語る部分。

「羽織の袖のほころび、ちょっと時雨の傘(からかさ)お易い御用。雪の朝の煙草の火、寒いにせめてお茶一服、それが高じて酒(ささ)一つ、…」

何となく顔を知り合い、些細な何でもないようなやりとりが、だんだんと深まっていく。
毎度思いますが、少女漫画のようだなぁ、と。
この始まりの何気なさが、今の別れの切なさを際立たせるような気がします。
日々の生活の中の、取るに足りない瞬間の幸せって、特別意識していないけれど、知らないうちにものすごく楽しみにしていたりするものだと思います。
その何気ない幸せを、知らないうちに失ってしまう哀しさ…

この床本が手に入ったのが嬉しくてたまらない。
好きなことばを身近に置いておけるって、何だか良いですね!

さて、琴に続き、阿古屋は三味線の演奏を求められます。

びっくりしたのですが、人形も指が動くんですね!
左手がちゃんとツボを押さえるように、指先まで独立して動くようになっているのです。
それを右手に合わせて、本当に弾いているように遣うのは左遣いさんも凄い
詳しくないため、失礼ながらどなたがなさっていたのか分からないのですが、ぜひ筋書に書いていただきたいです。

三味線を弾きながら、思い溢れて手が止まってしまう阿古屋。
その崩れる形の美しさ。。

そしてとりわけ素晴らしかったのが、最後の胡弓です。
歌舞伎で観たときにも胡弓の場面が一番感動的だったのですが、文楽はまた違った感動があります。

とにかくまずもって、胡弓の演奏がすごい

劇場内に響き渡る、広がりのある音色。
抑え込んでいたものを一気に解き放ったかのようです。
もう阿古屋は迷いません。重忠の求めに素直に「アイ」と返して、凛と前を向いて、堂々と演奏します。

胡弓は、弦をはじいて音を出すタイプの琴や三味線と違い、弓によって音を出し続ける(音を長く伸ばす)ことができる楽器です。
それがまた効果的で、歌のようで、声にならない心の叫びのようで、素手でこちらの心を掴みにくる
思い出しただけで目が潤むほど良かった。

前を見据えて一心不乱に演奏する阿古屋を見ながら、
胡弓は、阿古屋の中で何かを超越した瞬間なのかな、と思いました。

三曲は鶴澤寛太郎さんなのですが、寛太郎さんが演奏されていると分かっているにも関わらず、そこにいる阿古屋が弾いているとしか思えないような強烈な一体感がありました。
自分が今何を聴いて何を観ているのか、一瞬分からなくなるような、いい意味で混沌とした時間。

凄いものを経験してしまった。

だからどうか、

後ろの岩永くんは静かにしていてほしい。笑
いや、胡弓に合わせて調子に乗る岩永(人形:吉田文司さん)、かわいいし大好きではあるのですが!笑


※追記※
どうやら阿古屋は左:吉田一輔さん、足:桐竹勘次郎さんだった模様です。


*まとめ


チケットを取れて本当に良かったです。

どうやら2月の文楽公演は三部制なので、二部制の公演よりも人がばらけて、チケットが取りやすいらしい。
文楽に興味があるけれどなかなかチケットが買えない、という方は、2月が狙い目かもしれません。

よくよく考えると女性としては看過ならない二本立てなのですが(笑)、
それはそれとして、本当に素晴らしかったです。文楽を好きになって良かった、あの空間にいられて良かった。

***

ちなみにこの三曲、それぞれの楽器に専用の手があるようで、演奏の場面になるときに付け替えるのだそうです。
琴のための爪のついた、親指から中指までが動くようになった右手、
三味線のための撥を握った右手、
三味線と胡弓のための、指を動かしてツボを押さえられるようになっている左手。

国立劇場のページに、阿古屋を遣った勘十郎さんのインタビュー動画があります(国立劇場サイトはこちら。とても興味深いのでぜひ。

ちなみに阿古屋の帯についている二羽の蝶は、勘十郎さん手作りだそうです。
昨年9月公演の『夏祭浪花鑑』でも、団七九郎兵衛の倶利伽羅紋紋は勘十郎さんによるデザインとのお話ですし、凄いですね…

人形の衣装を縫い止めたりするのも、人形の方が自らの手でしていらっしゃるようです。
人形を遣うとき以外の場面でも、手先の器用さが活かされていらっしゃるのですね!

「鎌倉三代記」「伊達娘恋緋鹿子」(含.幕開き三番叟)観てきました!〜国立劇場文楽12月公演 初心者の感想~

国立劇場の12月文楽公演、観てきました!

今回は「鎌倉三代記」と「伊達娘恋緋鹿子」の二本立て。
この公演については、こちらの記事で無知を晒しております。

順を追って感想を綴りたいと思います!
あらすじが複雑で(特に鎌倉三代記)まとめるのを断念いたしました…かたじけない…




0.幕開き三番叟


これ、ずっと観たかったんです。

三浦しをんさんのエッセイ『あやつられ文楽鑑賞』(双葉文庫、2011年)で、日々の公演前に「幕開き三番叟」なるものを上演すると知り、
そのような儀式が現代にも残っていることに、とても感銘を受けたのです。

あやつられ文楽鑑賞 (双葉文庫) [ 三浦しをん ]

価格:648円
(2018/12/9 23:06時点)



しかし一体どのタイミングでやっているのか、そもそも本当にやっているのか、一般人でも観られるものなのか…などなど、分からないことだらけ。

そんななか、Twitterにて「幕明け三番叟は、本公演『鎌倉三代記』の開演15分前に行います」との情報を入手!

おお!三番叟、本当にやってる…!!!

というわけで、開演15分前に座席についてみました。

ぴったり開演15分前。何やら幕が開き、浅葱幕の前に三番叟の人形が登場!
床には誰も座りませんが、舞台下手の御簾から「たっ ぽぽっぽ」と鼓の音が鳴り始めました。

幕開き三番叟の人形は、二人で遣うようです。
「おおさえおおさえ〜」という台詞を言っていたのは人形の方かしら?
最後まで床に人が出てくることはなく、演奏は全て御簾の中から聞こえていました。

素朴で、何となく愛嬌がある三番叟。

おめでたいこの演目を、毎日開演前に、特に大きく広報もせずに続けているのですね。

粛々と続いてきたものに触れられたのが嬉しかったです。

ちなみにこの三番叟、5分弱で終わります
開演前にお手洗いを済ませたい場合は、このあとでも何とかなるかと思います。
(ただし国立小劇場のお手洗いはとても混みます)


1.鎌倉三代記


IMG_20181208_225226

見てください、この三浦之助の憂い。時姫の色気。
筋書(今回は600円)に載っている、河原久雄さんによるお写真なのですが、表情の変わらない人形にも関わらず、これだけ表情が出るのです…!


時姫の実の父親・時政と、時姫が愛する三浦之助は、戦乱の世の中で敵同士。
この狭間で葛藤する時姫が不憫でした。

というか、

三浦之助がひどい。。

時姫が敵方の娘であるために、疑いを持ってしまうのは分かるのですが、
それにしても時姫の疑いを晴らす条件として出すのが「実の父である時政を討つこと」だなんて。。

いくらなんでもそれはどうなの!と思ってしまいました

三浦之助が、立場上自分のことを疑わざるを得ないのを、時姫も分かっています。
そして、三浦之助が討死をする覚悟であること、もう会えないであろうことも、分かっているのです。

この時姫が、つれない三浦之助に縋る場面、台詞も良く、時姫の動きも情感たっぷりで、一番印象に残っています。

(※討死の覚悟を)なぜあからさまに打ち明けて、この世の縁はこれ限り、未来で夫婦になつてやろ、と一言言うては下さんせぬ」

という時姫の、三浦之助への台詞。恋心が真っ直ぐすぎて切ない。。

このあたり、時姫と三浦之助の二人だけの場面なのですが、
時姫が三浦之助を見上げる角度がものすごく色っぽいのです。
舞踊に出てくるような動きをするところもあり、台詞に加えて一連の時姫の動きからも目が離せません
文楽のお芝居でもこんなに動くんだ!というほど、語りながら時姫、結構動きます。

時姫はとにかく真っ直ぐで一途なんです。

その純情具合はときに方向を間違っていて(笑)、
姫育ちでありながら必死に町人の言葉を覚えようと頑張ったり、
経験のない家事を何とかしようとしたり(その上で結局何もできなかったり)、という様子はちょっと滑稽なくらい。

でもこのただひたすらな「三浦之助の妻でありたい」という気持ちが、最終的に時姫に重大な判断を下させるのですよね。
これで周りも大きく動き出すわけです。

今回この演目を観るにあたって、「赤姫とは何か」というのを少しでも掴みたい、という気持ちがありました。
(「赤姫」については「歌舞伎美人」の解説(こちら)が分かりやすい。
私個人の「赤姫について知りたい」という話はこの記事です。)

姫様育ちで常識はいろいろ足りない、それでもこれだけの思いと実行力とを持って、愛する男へ尽くすことができる。
そういう性格が、「赤姫」というものの一つの特徴なのかな、と思います。

話は逸れますが、前半に出てくる近所のおばちゃん的な役・おらちが結構好きです。笑

時姫とは正反対も正反対、さっぱりしていてだいぶ図々しい。笑
(時姫とおらちの会話の噛まなさが愉快です)

でも何だかんだで、時姫に家事を教えてあげたりして、面倒見がいいんですよ。
近所にいたら話題が絶えなそうなおらちさんです。


2.伊達娘恋緋鹿子


この記事で、お七は放火をするのか?しないのか?と気を揉んでおりましたが(※そこまででもない)
結論。放火しません。

そのかわり、「火事ではないのに火の見櫓の鐘を鳴らす」という重罪を犯します。やっぱり悲恋だった…

前半、お七が意にそぐわぬ結婚を両親から説得される場面。
愛しい吉三郎のことを思い、母にすがりついて泣くお七が何とも悲しくて、それでいてかわいい
本当に一人の娘です。後々あんなことになるなんて、このときお七は考えてもいないんだろうなぁ。

お杉という下女が、また頼もしい人なんですよ。
お七もためらいなく頼ります。
出先から戻ったお杉に駆け寄って嘆くお七がまたかわいい

このお杉、お七の思いを受けて、丁稚の弥作と共に吉三郎を救おうと一肌脱ぐのですが、
弥作の登場がなかなかに楽しいので注目です(笑) なぜそこにいた…。
弥作&お杉は、最後まで安心して見ていられるナイスコンビでした✨

さて、このお話では途中に舞台転換があります。
かの有名な火の見櫓の場面の前です。

この火の見櫓のセット、直前まで浅葱幕で隠されていて、
幕がぱっと振り落とされると一気に舞台が見えるようになっているのです。

浅葱幕、以前も書きましたが(この記事)本当に凄い演出ですよね。
「一気に見える」というところ、スピード感と驚きを生むにはとても重要だと思います。

この火の見櫓が、お七の人生を大きく狂わせることになるんですよね…

火事でもないのにこの鐘を鳴らすと、火炙りの刑になってしまうのだそうです。

一心不乱に櫓に向かうお七に、心の中で「お七!戻っておいで!!」と願わずにはいられなかった…

この櫓に上る演出、凄いんですよ。
人形浄瑠璃で観るのは初めてだったのですが、

本当に人形が登ります!!

人形を遣う人は、櫓の後ろから動かしているようで、
舞台上に見えているのは櫓に上がっていくお七だけなんです。

凄かった。

最後は舞台がぱっと明るくなり、登場人物が舞台上にずらりと並んで幕になります。

壮絶だなぁ。。
とにかく演出が凝っていて、文楽における工夫に改めて驚いた演目でした。


3.まとめ


今回も充実した時間を過ごすことができました!
床の近くの席だったこともあり、音圧にも圧倒されました。

以前「夏祭浪花鑑」を歌舞伎で観たときに、「これを文楽で観てみたい」と思ったという話は過去にも書いたのですが、
今回は逆に「鎌倉三代記」を歌舞伎でも観てみたいな、と思いました。

時姫の見せ場、どんな感じなんだろう。
あの時姫の台詞を聞きたい。

お七の方は幸せなことに、1月の歌舞伎座で観ることができますね✨
(1月歌舞伎座の「物知らず」はこちら

同じ演目を文楽と歌舞伎とで比較してみると、それぞれの特徴や良さがあってとても面白いのです。

そういう楽しみ方ができるくらいに、どちらの文化も現在進行形で残っているのが、本当にありがたい限りです。

★2018.12.13追記★
 1月歌舞伎座の「松竹梅湯島掛額」は、これとはだいぶ展開が異なるようです!
とはいえラストは「人形振り」とあるから、やはりこの場面が観られるのでしょうか…?
何にせよ、関連する演目が直近で観られるのは嬉しいです^^
(公式サイト「歌舞伎美人」の該当ページはこちら )


***

今回もイヤホンガイドは借りずに筋書だけで臨みましたが、
笑いどころなどをちゃんと理解するにはイヤホンガイドが良かったのかもしれません。
多くの方が笑っている場面で笑い損ねたところがいくつかありました(単なる理解力のなさも大いにありますが)。

もし「理解に自信がないけれども筋書派」という方がいましたら、先に児玉竜一さんの「上演作品への招待」(p.16-17)に目を通しておくと雰囲気が分かりやすくて良いかもしれません。

プロフィール

わこ

◆首都圏在住╱平成生まれOL。
◆大学で日本舞踊に出会う
→社会に出てから歌舞伎と文楽にはまる
→観劇5年目。このご時世でなかなか劇場に通えず悶々とする日々。
◆着物好きの友人と踊りの師匠のおかげで、気軽に着物を着られるようになってきた今日この頃。

読者登録
LINE読者登録QRコード