秀山祭九月大歌舞伎夜の部。
太鼓芸能集団・鼓童との共演・新作歌舞伎舞踊「幽玄」

「幽玄」へのスタンスは、今朝の記事(⇒こちらに書いた通りです。
遅きに失した感甚だしいのですが、拙い感想をば。。

しかし当日の帰り道にしたためた文章にも関わらず、
言葉が感想に追いついていない上に、
人間の哀しさですね、観たそばからぼろぼろと細かいところを忘れてしまうのです…


***

能楽から引いた舞踊「羽衣」「石橋」「道成寺」の三作品からなる構成。
それぞれの舞踊ごとに。


*羽衣


始まってすぐに聞こえた音が、まさか太鼓とは思いませんでした。
場面に合うような自然の音を、
別の楽器で作って録音したテープかと思った。
 
それほど繊細な音。あんな音が太鼓で出せるなんて。

さざ波の音、松籟…
どの音が何だかはっきり分かるわけではないけれど、
「あぁ、この場所はきっとこういう音が聞こえるよな」
というのは不思議と納得がいく。

声明やグレゴリオ聖歌を感じさせるような謡が、
また荘厳な空気を作り、静かに静かに舞が進みます。

旋律を作り出す楽器の不在にも全く違和感がなく、
かえってぼうっとした不思議な世界観を作っていました。 

天女が伯竜(漁師)と別れ、天へと帰っていく場面は
廻り舞台で表現されるのですが、
この盆を回すタイミングが完璧。

仕組みを話せば、天女だけが盆に乗っていて、
盆が回ることで二者が離れていくのですが、これを説明するのも野暮ですね。。

 
人間たちと全く同じ地続きの舞台の上にいながら、
本当に天女だけが ふっと遠くに離れていってしまうようで、
 
その絶対的な別れの一瞬がとても儚かったです。


*石橋


羽衣とは打って変わって、今度は勇壮な太鼓・打楽器が印象的。 
若手獅子たちの気迫と相俟って、鳥肌が立つほど格好良かった。

獅子の登場前の鼓童の演奏、
思いもよらないところから
思いもよらない音が聞こえて面白かったです。
 
ずらりと並んだ太鼓の高い音、低い音の配置が絶妙で、
聞こえてくるタイミングも、音の高さも予測がつかないのです。

舞台から一番離れた4階幕見席にまで
空気の振動が伝わって来るほどの音の盛り上がりの中で、
獅子たちが見せる狂いは大迫力。

客席から沸き起こった拍手さえも、
怒濤の盛り上がりを見せる舞台演出の一部のようでした。

(反対に羽衣は、拍手すら鬱陶しいくらい厳かな舞台で、
本音を言えば何も音を立てずに観ていたかった。)


*道成寺


圧巻。

暗闇にぼうっと浮かび上がる白拍子花子の、
赤い衣装の物凄いこと。
黒い闇の中の一点のって、あんなにも美しく空恐ろしいものなんですね。。

そもそもあんな時間に、娘が一人で歩いているわけないんだもの。
夜、という設定がもう、なんだかこわい。

独特な緊張感を保ち、張り詰めている舞台。
太鼓の音が、花子の鼓動のようにも聞こえてきます。

「道成寺」では、今までの2曲よりも踊りと演奏の境目があいまいで、
鞨鼓の踊りのときには鼓童のソロの見せ場があり、 
花子も「太鼓を演奏する者」の存在を認識しているように見えました。
 
それにより、この舞台の世界観が出来上がっていたというか、
「この世界の道成寺」というものがあったような気がします。

欲を言えば、玉三郎さんの鞨鼓や振り鼓の踊りも堪能したかった…!
ただ、舞台の性質上むずかしいのもよく分かります。

 
白拍子は舞台奥の鐘に飛び込み、
舞台上ではいろんな打楽器が代わる代わる華やかに響いて、
そのテンションの上がりぶりが、
クライマックスへ向かう緊張を弥増していきます。
 
そして、蛇体となった清姫の怨霊の登場。

あの盛り上がりを何と言えばいいんでしょう、
煽る音楽に、舞台狭しとダイナミックに動く鱗四天。
ほんの少しの動きで他を圧倒してしまう、怨霊の迫力。


幕が下りてからも、場内からの拍手が鳴り止みませんでした。


***

あぁ悔しい、あんなに感動したのにもう細かいところ忘れてる。。

全体を通して、

太鼓であれほどまでに音楽に表情がつけられるのかと、衝撃でした。
 
全部舞台で出している音だなんて信じられないくらいの音の厚み、深み。

もともと和楽器に限らず、西洋音楽でも
打楽器というものが大好きだったのですが、

その可能性がこんなに広がっているとは。
そしてその先に、これまた大好きな舞踊があったとは。

仕事帰り、かつ翌日も仕事というスケジュールでしたが、
ちょっと頑張ってでも観にいって本当に良かった。

仕事帰りにちょっと立ち寄る、というレベルではもったいないくらい
贅沢な観劇体験をさせていただきました。