地味なシリーズになりそうな気配はありますが。笑
歌舞伎や文楽の演出で面白いなぁと思ったものについて、初心者の目線で語っていきたいなという企画です!

これは初心者の特権だと思うのですが、
見慣れてくると当たり前のものでも、最初のうちはものすごく素直に感動できるのです。笑 

そんな本シリーズ、第1回は「浅葱幕(あさぎまく)」

一年ちょっと歌舞伎や文楽を観ていて、毎度この「浅葱幕」というものに感動を覚えるので、記事にしてみようと思い立ちました。
(ちなみに日本舞踊の舞台でも使いますよ!)

【浅葱幕とは】
「舞台前面に吊り下げる浅葱(水色)一色の幕。振落し、振かぶせの手法で、大道具や俳優の姿を一瞬に見せたり、隠したりする効果をあげる。…」
(『歌舞伎事典』昭和58年、平凡社)

定式幕や緞帳の向こう、舞台の上に、水色の布が吊られます。
『歌舞伎の解剖図鑑』(辻和子、2017年、エクスナレッジ)によれば、「『光に包まれた向こうに何かがあるが、まだ見えない』状態を表」すとのことです(p.34)

歌舞伎の解剖図鑑 イラストで小粋に読み解く歌舞伎ことはじめ [ 辻和子 ]

価格:1,728円
(2019/2/26 23:19時点)


 
チョン、という柝の音を合図に、この水色の布=浅葱幕がぱっと振り落とされます。

*** 

定式幕(いかにも歌舞伎っぽい三色ストライプのあれ)や緞帳と、浅葱幕とのもっとも大きな違いは、「舞台の現れ方」だと思います。

定式幕や緞帳は、徐々に幕が開いていきます。
それに伴い、舞台は端から、あるいは下から少しずつ見えてくるわけです。

しかし浅葱幕の場合、幕が振り落としになると「一気に」舞台全体が目に入ります
見えなかったもの、音だけ聞こえて焦らされていたものが、パッと目の前に広がるのです。

正直、浅葱幕にはちょっぴり違和感があります。
 
本来幕が開いてすべてが見えているはずの舞台の上に、それほど舞台の色に馴染んでいるとも思えないような水色の布が張られている。
初めて観たときは、「いささか雑では…?」と思ってしまったくらい。笑

しかし、この演出効果は文字通り目を見張るものがあるのです。

幕がすでに開いた状態の、その先にある幕。
芝居がもうすぐ始まるのは分かっていて、浅葱幕の向こうに何らかの世界が広がっていることも分かっている。

そして、何なら演奏者は舞台上に見えている。

音は聞こえるのに、見たいものが見えそうで見えない

この「焦らし」が溜めになって、パッと幕が振り落とされたときの感動が強まるのです。

そして、浅葱幕の向こうに広がるのは、大概が華やかな舞台

豪華絢爛な建物だったり、隅から隅までずらりと並んだ粋な役者たちだったり、まぶしく降りしきる雪の世界だったり…

これが「徐々に」見えたのでは、感動するにしてもそこまでではないのではないかと思うのです。
急に、いきなり目に飛び込んでくるからこそ、衝撃を受けるのです。 

例えて言うなら「トンネルを抜けたら目の前にどーんと富士山があった!」みたいな。

隠されていたものが、急に目に飛び込んでくる。
この勢いとギャップに、否応なく胸が躍るのです。

***

ちょっと脇道に逸れますが…

歌舞伎の幕のことを考えるとき、私はいつも紙しばいを思い出します。

紙しばいは、紙を引き抜くスピードが細かく指定してあるのです。
「一気に」「ゆっくりと」「ここで半分まで引き抜く」などなど…

これ、まさしく幕と同じだな、と。

紙しばいはその名の通り「紙」で行う「芝居」であって、
あの絵を引き抜いていく行為は、各場で幕が引かれ、また開けられるのと近いのではないかと。

一気に引き抜いたり、半分まで引き抜いたりするのなんて、とても浅葱幕っぽいのではないのでしょうか。

幼い頃から「かみしばい」という5文字として認識していたけれど、よく考えると「紙芝居」であったなぁと、芝居を観るようになってふと気付いたのでした。

***

さて、そんなわけで語ってみました浅葱幕。
初めて歌舞伎や文楽に行く方は、舞台上に水色の幕がかかっていたら、ちょっとそのまま舞台に注目してみてください。

きっと息を飲むような瞬間が待っています。