歌舞伎座2月の大歌舞伎、夜の部・三幕目「名月八幡祭」
観たのはちょっと前になるのですが、今更ながら感想をば。

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ポスター一番左、尾上松緑さん縮屋新助が主人公です。

もう見るからに「いいやつ」そうでしょう。
田舎の素朴な青年な感じが写真からでもこんなに伝わるのに、ラストは衝撃です。

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初心者でも分かりやすい演目ではあります。
「暗闇の丑松」(感想はこちらと同じく、舞台は江戸ですが台詞は現代語です。
そのため、展開を理解するのに苦労はないはずです。

ただしなかなか気ぶっせいな話ではあります。
今月のラインナップは一体どういうことなのか。。文楽も含め。。

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新助、のっけから本当にただただ真面目で熱心な好青年なんですよ。
とっても正しいやつなんですよ。

「祭を見てから故郷に帰ればいい」という魚惣中村歌六さん)の言葉にためらう理由も、田舎の母が気がかりだから。
そういう優しいところがあるんです。

これぞ、と思ったのは美代吉坂東玉三郎さん)の家に上がらせてもらったときの、ふて寝した美代吉への態度。
枕に手拭いを当てたり、ためらってから自分の羽織を脱いでかけてあげたり、
そういう一つひとつのことがすごく丁寧で、ウブなんです。

でも世慣れた美代吉は、そういうところがちょっとつまらないんだろうなぁと。
かわいいと思う部分もあるのかもしれないけれど。
きっともっと遊び馴れた男の方が、気楽でいいんでしょうね。

だから三次片岡仁左衛門さん)みたいなダメ男といい仲なのです。

三次と美代吉は、片岡仁左衛門さんと坂東玉三郎さんのいわゆる「にざたま」コンビ。
何なんでしょうあの安定感。

三次はいかにも軽い男で、まるで玄関などないように、あるいは自分の家に帰るかのように美代吉の家にやってきては、圧倒的軽さで金をねだります。

家の前で行ったり来たり逡巡する新助とは対照的ですね。
多分、三次だったら迷わず美代吉に自分の羽織をかけて、ついでに自分も隣に横になることでしょう。

一方の美代吉もなかなかの遊び好きで、みんなにいい顔をしてしまう。
それは「その場をいい気持ちで過ごさせたい」という美代吉なりのサービス精神なのかもしれないけれど、あまりに思わせ振りなことをしすぎてしまいます。無意識の罪作りですね。

魚惣の家の前を船で通りかかるところなんか、最高にいい女です。
新助に調子のいいことを美しい声で、粋な姿で言っておいて、自分はこのあと三次とサシで飲むんですよ。笑

★ちなみに美代吉の玉三郎さん、小道具を持つ手の美しさにも注目です。どの瞬間を写真に収めてもきっと絵になるに違いない。

そんな二人なんで、気の合うところもあるのでしょう。

新助を袖にしたあとの二人だけの場面、あれはいけないですね。
ああいう修羅場を共有してしまったら、二人は深みにはまって抜け出せなくなる。
そんな関係性が見えるような、どうしようもない場面でした。

この裏切りの場面、 三次の新助への言葉「お前だまされてんじゃねぇか?」はひどい!
お前は、お前だけはそれを言っちゃいけないよ…! 

一方の新助、茫然自失で花道を去っていきます。
何てことをしてしまったんだろう、ものを知らなかったばっかりに。

泣きに泣いて我を失う新助に、魚惣のかける「しっかりしろいっ!」という一喝が痺れますかっこいい。頼もしい。

この芝居のベストカップルは確かに三次と美代吉かもしれませんが、
個人的に激推ししたい燻し銀江戸ッ子カップルがこの魚惣の夫婦
魚惣中村歌六さん魚惣女房お竹中村梅花さんです。

この二人の会話が何だかとても好きでした。
いつもこんな風に、こんなテンポで言葉を交わしているんだろうなぁ、という感じ。
お互いがどんな言葉にどんな反応をするのか、長年かけて知り尽くしてきたのでしょうね。

そして、おそらくどちらもとても面倒見がいい!

喧嘩っ早くて立ち直りも早い、還暦を迎えた生粋の江戸ッ子・魚惣と、その魚惣に呆れながらもよく付き合うお竹大好きです!!

「とんだ奴にしっかかってしでぇ目に…」
炸裂する江戸弁は必聴。笑 

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さて、ラストは狂気の沙汰ですね。。

新助、戻っておいで、と観ていて辛くなりました。
あんなやつじゃなかったのに。こんなはずじゃなかったのに。

根が純粋すぎたのでしょうか。
前半の新助の印象があまりにも「素朴で真面目ないい子」だったので、より一層辛い。

最悪の事件が起きる直前、ちょっと予期せぬところから新助が現れたとき、思わず客席で「ひっ」とおののいてしまいました。

もう戻ってこれないところまで来てしまった新助。
すっかり人の変わった表情と、花道での笑いの恐ろしいこと。。 

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ああいう凄惨な場面と祭りの取り合せって、『夏祭浪花鑑』でも思いましたが、異常な高揚感をもって進みますね。

もともと「祭り」自体が持っているテンションの高まり。
人の自制が利かなくなるのに、「祭り」の持つ浮ついた感覚が大きく影響しているのではないかと。

観ているこちらも、舞台上の華やかな祭りの様子に、知らず知らずのうちにきっとふわふわしているのです。

そこに、怒涛のごとき展開がやってくる。

終演後は膝が震えました。笑

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観劇当日、劇場を出たら外は雨。
素晴らしく気鬱な帰路でした。。