今月絶対に逃したくなかった演目、「盛綱陣屋」。
中日を過ぎてやっと観にいくことができました〜!
今月のポスター、左から2枚目が盛綱(片岡仁左衛門さん)。びしり。
■初心者でも楽しめるのか?
先月の「熊谷陣屋」(この記事)と同じく、内容が少し理解しにくいかもしれません。
というのも、鎌倉方・京方という対立構図に兄弟・親子が絡み、人間関係の把握が一筋縄ではいかないのです。
そのため、「盛綱陣屋」を初めて観る、歌舞伎をあまり観慣れていない、という場合は大まかでもいいので筋を予習しておくと良いと思います。
私は筋書を買って、あらすじに目を通してから観劇しました。
正直分からない、聞き取れないところもたくさんありましたが、それでも何だか涙が止まりませんでした。。
歌舞伎に興味があるならば、観ておいてこれっぽっちの損もない一幕だと思います。
正直分からない、聞き取れないところもたくさんありましたが、それでも何だか涙が止まりませんでした。。
歌舞伎に興味があるならば、観ておいてこれっぽっちの損もない一幕だと思います。
***
一番の見せ場である首実検のところは、無言でいろいろなことが進みますが、
最低限、高綱の策略(=我が子・小四郎を犠牲に、敵には自分が死んだと見せかけておいて油断させるという作戦)が分かれば大丈夫かと。
つまり「高綱の首」とされている舞台上の切り首は、もちろん贋物。
しかしこれを本物と思わせるために、小四郎(=高綱の息子)はこの首に「ととさま」と呼びかけ、自らも腹を切るのです。
最低限、高綱の策略(=我が子・小四郎を犠牲に、敵には自分が死んだと見せかけておいて油断させるという作戦)が分かれば大丈夫かと。
つまり「高綱の首」とされている舞台上の切り首は、もちろん贋物。
しかしこれを本物と思わせるために、小四郎(=高綱の息子)はこの首に「ととさま」と呼びかけ、自らも腹を切るのです。
■私はこう見た!ここが好き!
上述の通り、「盛綱陣屋」において一番有名かつ見どころとなるのは「首実検」の場面だと思います。
盛綱(片岡仁左衛門さん)がセリフを一切言わずに、表情だけで自分の胸の内を表現していきます。
「討死した」とされている高綱(※超重要人物ですがこの場面には登場しません)は、京方の武士であり、鎌倉方の盛綱からすれば敵です。
しかし同時に高綱は、盛綱の大切な実弟でもあります。
智略に優れた武将であるために、この高綱を落とせば鎌倉方は勢いづくというもの。
当然ながら狙われやすい高綱には、影武者も多いわけです。
鎌倉方の実験を握る北条時政(中村歌六さん)は、高綱の顔をよく知る盛綱に、この首が本物であるかどうかを確かめさせます。
本当は弟の首など見たくない盛綱。丁寧に首を扱う様子、表情にも哀しみが滲みます。
盛綱が首桶を開けた瞬間、「ととさまか、口惜しかろ」と声を上げ、自分も後に続こうと走り出て、止める間もなく切腹する高綱の息子・小四郎(中村勘太郎くん)。
しかし先述の通り、盛綱が確かめたこの首、実は高綱のものではない贋首なのです。
弟が死んでいないと分かり、盛綱はひとまず大きく安堵の様子。敵とはいえ、やっぱり弟に無駄死にしてほしくはありませんよね。
しかし、ここで盛綱は気付く。
隣で腹を切っている小四郎はどういうことだ、と。
小四郎、この盛綱の首実検の様子を、腹に刀を立てたままずっと見つめているのです。
贋首であることは、最初から小四郎には分かっているはず。
どうかこれを贋首と言わないでほしい、高綱と言ってほしいと、必死に目で訴えるのです。
状況を考え合わせて、全てを理解した盛綱。
声には出さないけれど、小四郎としっかり目を合わせます。
「全部分かった、よくやった」とでも言うように。
この場面、二人は叔父と甥でも、敵味方でもなく、年齢その他を超越して、武士と武士の関係なのではないかと思います。
そう思わせるような緊張感と必死さがありました。
一連の胸の内、二人の間のやり取り、セリフがないにも関わらず手に取るように届いてきます。
文字通り命をかけた小四郎の計略が盛綱に伝わった瞬間は、どうにも涙がこらえられませんでした。
劇場には音一つなく、誰もが息を詰めて、この場面の二人の心情を追っているようでした。
そして、盛綱は「高綱の首に相違ない、相違ない」と、自らの立場が危うくなるにも関わらず、贋首を本物と偽るのです。
盛綱が首を前にして過ごす時間、偽りを本物と言おうと決心するまでの過程、とても丁寧できめ細かい。
一人の人間の人生を背負う、歌舞伎というものの重みを感じました。
***
この首実検の前に、小四郎が一度、死ぬことを拒む場面があります。
祖母にあたる微妙(片岡秀太郎さん)が、盛綱から「小四郎を討ってほしい」と頼まれ、小四郎に切腹を勧める場面です。
(これ、盛綱が悪意を持ってそんなことを言っているのではなく、弟・高綱を武士として立たせるために、致し方なく言っているのです。)
微妙ははじめ、そんなことはおくびにも出さず、怯える小四郎に「(自分は)そなたの婆じゃ」と声をかけます。
このセリフがとても優しくて、きっとそれは微妙の本心に違いないのですが、これから愛する孫を死に向かわせなければならない、ということが分かって聞くと胸が痛みます。
この場面の最後、死ぬ前にせめて母に会いたいとせがむ小四郎と、本当は小四郎を殺したくない微妙は、抱き合って泣く。
戦乱の世の中で一家の中に敵味方がいるのは、なんて辛いのでしょう。
何もなければただの祖母と孫であったはずなのに。
小四郎だって、こんなに命の淵に立たされなくても良かったはずなのに。
この時代に生きる人々の、少しずつ重ねてきた無理が、この抱き合って泣く場面で一気に崩れてしまうようで、本当に切なかった。
***
上の場面で、縛られている小四郎が逃げようとしているのではないかと微妙が一度疑ったことを受けて、
小四郎は死に際、微妙に向かって「(自分は)縛られても卑怯じゃない」と言うのです。
その健気さに、どうしようもなく泣けてしまう。
そうだよ、あなたはこれ以上ないくらい立派だったよ。。
瀕死の小四郎に駆け寄って泣きに泣く母・篝火(中村雀右衛門さん)にも胸が痛みました。
篝火は、割と早い段階から、一部始終をずっと近くで聞いています。
近くにいながら、何もできない。我が子の置かれた危機的状況を、自分ではどうすることもできないのです。
全てが終わったあとで、我が子の一番近くにいてあげることしかできない。
上手く言えないのですが、私はこの芝居の中で、一番この篝火という女性が好きだったかもしれません。
***
ずっと誰かの策略が動いている張り詰めた芝居の中で、唯一肩の力を抜けるのが注進の場面。
信楽太郎(中村錦之助さん)と伊吹藤太(市川猿弥さん)という二人の注進が、花道から駆け込んできます。
この二人、とってもキャラが濃いのです。笑
信楽太郎は「暴れの注進」と言われる、とは錦之助さんのお話(筋書p.55下段)。
「暴れ」の名に違わず、とにかくびしびし動きます!
キレが良くて、観ていて気持ちが良かったです。
一方 伊吹藤太の方は、三枚目的なキャラクター。
丸っこい雰囲気の拵えで、汗を拭きふき語り出します。
しかしこちらもめちゃくちゃ身軽に動くんですよ、観ていてとても楽しいのです。
最後に陣笠を忘れてしまうあたりも軽妙で、ちょっとこういう場面が挟まれると何だか安心しますね。
***
最後に、印象に残っている細かいところをぽつぽつと。
一連の胸の内、二人の間のやり取り、セリフがないにも関わらず手に取るように届いてきます。
文字通り命をかけた小四郎の計略が盛綱に伝わった瞬間は、どうにも涙がこらえられませんでした。
劇場には音一つなく、誰もが息を詰めて、この場面の二人の心情を追っているようでした。
そして、盛綱は「高綱の首に相違ない、相違ない」と、自らの立場が危うくなるにも関わらず、贋首を本物と偽るのです。
盛綱が首を前にして過ごす時間、偽りを本物と言おうと決心するまでの過程、とても丁寧できめ細かい。
一人の人間の人生を背負う、歌舞伎というものの重みを感じました。
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この首実検の前に、小四郎が一度、死ぬことを拒む場面があります。
祖母にあたる微妙(片岡秀太郎さん)が、盛綱から「小四郎を討ってほしい」と頼まれ、小四郎に切腹を勧める場面です。
(これ、盛綱が悪意を持ってそんなことを言っているのではなく、弟・高綱を武士として立たせるために、致し方なく言っているのです。)
微妙ははじめ、そんなことはおくびにも出さず、怯える小四郎に「(自分は)そなたの婆じゃ」と声をかけます。
このセリフがとても優しくて、きっとそれは微妙の本心に違いないのですが、これから愛する孫を死に向かわせなければならない、ということが分かって聞くと胸が痛みます。
この場面の最後、死ぬ前にせめて母に会いたいとせがむ小四郎と、本当は小四郎を殺したくない微妙は、抱き合って泣く。
戦乱の世の中で一家の中に敵味方がいるのは、なんて辛いのでしょう。
何もなければただの祖母と孫であったはずなのに。
小四郎だって、こんなに命の淵に立たされなくても良かったはずなのに。
この時代に生きる人々の、少しずつ重ねてきた無理が、この抱き合って泣く場面で一気に崩れてしまうようで、本当に切なかった。
***
上の場面で、縛られている小四郎が逃げようとしているのではないかと微妙が一度疑ったことを受けて、
小四郎は死に際、微妙に向かって「(自分は)縛られても卑怯じゃない」と言うのです。
その健気さに、どうしようもなく泣けてしまう。
そうだよ、あなたはこれ以上ないくらい立派だったよ。。
瀕死の小四郎に駆け寄って泣きに泣く母・篝火(中村雀右衛門さん)にも胸が痛みました。
篝火は、割と早い段階から、一部始終をずっと近くで聞いています。
近くにいながら、何もできない。我が子の置かれた危機的状況を、自分ではどうすることもできないのです。
全てが終わったあとで、我が子の一番近くにいてあげることしかできない。
上手く言えないのですが、私はこの芝居の中で、一番この篝火という女性が好きだったかもしれません。
***
ずっと誰かの策略が動いている張り詰めた芝居の中で、唯一肩の力を抜けるのが注進の場面。
信楽太郎(中村錦之助さん)と伊吹藤太(市川猿弥さん)という二人の注進が、花道から駆け込んできます。
この二人、とってもキャラが濃いのです。笑
信楽太郎は「暴れの注進」と言われる、とは錦之助さんのお話(筋書p.55下段)。
「暴れ」の名に違わず、とにかくびしびし動きます!
キレが良くて、観ていて気持ちが良かったです。
一方 伊吹藤太の方は、三枚目的なキャラクター。
丸っこい雰囲気の拵えで、汗を拭きふき語り出します。
しかしこちらもめちゃくちゃ身軽に動くんですよ、観ていてとても楽しいのです。
最後に陣笠を忘れてしまうあたりも軽妙で、ちょっとこういう場面が挟まれると何だか安心しますね。
***
最後に、印象に残っている細かいところをぽつぽつと。
盛綱の裃を直す仕草とか、膝詰めで相手ににじり寄ってきりっと睨むところとか、一つ一つの動作が美しくて格好よくて、目に焼き付いています。
2年前の年末に観た別の演目でも、仁左衛門さんの袴のさばき方に惚れ惚れしたのを思い出しました。
小四郎、最初に出てきて周りを窺うところ、縛られた状態での階段の上り下り、微妙の刃を避けるところなど…形がとてもきれいだったのが印象的です。
勘九郎さんと連獅子をやる日もそう遠くないのでは!と勝手に期待しております。笑
寺嶋眞秀くんの小三郎、立派でした!
きっとあの衣装は重いと思うのですが、大人たちに混じって長い間微動だにせず、花道を一人で引っ込む歩き方もしっかりした足取り。
来月は全然違う役ですが(「実盛物語」の太郎吉。四月の物知らずはこちら)、あの小三郎が今度はどんな太郎吉になるのか、とても楽しみです。
初めて「盛綱陣屋」を観たのは、何年か前。
地上波の何かの番組で、仁左衛門さんがこの演目を語っていらっしゃったのでした。
そのころはまだ歌舞伎にさほど興味があったわけでもなく、へぇ、と思って観ていたのですが、それでも表情だけで演じていく首実検の場面は印象に残っています。
それを、少し歌舞伎を観るようになって、改めて同じ仁左衛門さんの盛綱で観られたのはとても幸運なことと思います。
正直、武士の価値観は私からすれば分からないことだらけ。
いかにいい死に方をするかとか、そのために必要な犠牲とか…何か他の方法でどうにかならないものか、とどうしても思ってしまう。
「我が子への想いゆえに、高綱がみっともない死に方をするようなことがあってはならない」と、甥を犠牲にしようとする盛綱の考え方も、いまいち理解できないところです。
しかし、そういうことを一切抜きにして、ストレートに刺さる部分がとても多かった。
冒頭にも書きましたが、本当に「何だか」泣けてきてしまう、という感じだったように思います。
この芝居をちゃんと観ておけて良かった、と心から思っています。
小四郎、最初に出てきて周りを窺うところ、縛られた状態での階段の上り下り、微妙の刃を避けるところなど…形がとてもきれいだったのが印象的です。
勘九郎さんと連獅子をやる日もそう遠くないのでは!と勝手に期待しております。笑
寺嶋眞秀くんの小三郎、立派でした!
きっとあの衣装は重いと思うのですが、大人たちに混じって長い間微動だにせず、花道を一人で引っ込む歩き方もしっかりした足取り。
来月は全然違う役ですが(「実盛物語」の太郎吉。四月の物知らずはこちら)、あの小三郎が今度はどんな太郎吉になるのか、とても楽しみです。
■まとめ
初めて「盛綱陣屋」を観たのは、何年か前。
地上波の何かの番組で、仁左衛門さんがこの演目を語っていらっしゃったのでした。
そのころはまだ歌舞伎にさほど興味があったわけでもなく、へぇ、と思って観ていたのですが、それでも表情だけで演じていく首実検の場面は印象に残っています。
それを、少し歌舞伎を観るようになって、改めて同じ仁左衛門さんの盛綱で観られたのはとても幸運なことと思います。
正直、武士の価値観は私からすれば分からないことだらけ。
いかにいい死に方をするかとか、そのために必要な犠牲とか…何か他の方法でどうにかならないものか、とどうしても思ってしまう。
「我が子への想いゆえに、高綱がみっともない死に方をするようなことがあってはならない」と、甥を犠牲にしようとする盛綱の考え方も、いまいち理解できないところです。
しかし、そういうことを一切抜きにして、ストレートに刺さる部分がとても多かった。
冒頭にも書きましたが、本当に「何だか」泣けてきてしまう、という感じだったように思います。
この芝居をちゃんと観ておけて良かった、と心から思っています。