着物の普及とか伝統とかそういう話ではなく、なかなか切実な話を耳にしたもので。
そもそもこのことを考えるきっかけとなったのは、以前ご紹介した本『舞うひと』(草刈民代、平成29年、淡交社)の中での、
市川猿之助さんの衝撃的な一言でした。
「日本舞踊はこのまま滅びると思いますけどね」(p.176)
要は、江戸時代と今では身体の使い方も骨格も、歩き方からして違う。
だから「振りとしてはできても、かつての舞踊と同じ身体の動かし方はできない」(同上)ということ。
踊りのイメージが強い猿之助さんの言葉は重く、説得力がありました。
そんな背景がありつつ、先日歌舞伎に詳しい方とお食事をする機会があり、
その方が憂えていらっしゃったのが、昨今の時代劇のお話。
いわく、ちょっとした所作がなんだか違う、と。
何も難しい動き、専門的な動きではないはずなのに、立つ、座る、振り返るといった何でもないところに違和感がある。
それは、今の人は着物を着ないからだ、と。
曲がりなりにも踊りを習う身としては、まずい、と思いました。
日常的に着物を着ている人、着ていた人にとっては当たり前であろう身のこなしの貯金が、自分には何もない。
それこそ「振りとしてはでき」るようになるかもしれないけれど、やっぱりそれは、自然な身体の動きではないと思うのです。
もちろん踊りのお稽古は和服なので、週に何度かは着物や浴衣を着ることは着ます。
しかし着物を着て何をしているかと言えば、踊る以外はせいぜい座っているとか音楽をかけるくらいなもので(あとはお菓子をむさぼったりとか笑)、「着物で生活している」とは言いにくい。
つまるところ、私が着たいのは「おでかけのときの着物」というより、むしろ「家の中での日常着としての着物」なんです。
誤解のないように申し上げますと、着物でお出かけするの、大好きですよ!
洋服だとおしゃれするのは気恥ずかしいけれど、着物だとなぜか何とかなります。
というわけで、現実的には毎日仕事なので厳しくはあるけれど、理想としては、
・どこにも出かけない週末は着物で過ごす
・仕事から早く帰って来られた日は着る
みたいな生活ができたらいいなぁ、と…
着物で動くことを、自分の中の「当たり前」にまで引き下げていきたい。
江戸時代の身体の使い方は、もうどう足掻いても身に付くものではありません。
それは致し方ないとして、せめてまだ何とかなる部分は何とかしたい。
そんなことを考えている日々です。
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