先月の「吃又」で、ぎゅっと心を掴まれた猿之助さんのおとくこの記事
その猿之助さんの舞踊劇「黒塚(くろづか)、これは逃すわけにはいかないと楽しみにしておりました。

そして、やっぱり素晴らしかった。圧巻でした。圧倒されました。

幕見の感想を語ります。

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今月の筋書。咲き誇り、散っていく桜。解説は筋書p.33。




■初心者でも楽しめるのか?


楽しめます!
「楽しむ」という感じの演目ではないかもしれませんが、何かしら響くものは大きいと思います。

老女・岩手の苦しみと、そこから解放される喜び。
その喜びも束の間、やはり鬼となってしまう悔しさ、辛さ、我が身を恥じる気持ち。

岩手の胸の内が伝わってきて、こちらの心が素手で鷲掴みにされてがたがた揺さぶられる感じです。 

楽しく気持ちの良い踊り、一転して鬼の本性を顕したあとの迫力など、多彩な踊りに「おぉ!」と思える演目

照明や芒の原の大道具、琴や尺八が入って厚みを増す音楽など、舞台全体を通して楽しめると思います。 

***

参考までに、非常にざっくりとあらすじをば。
能の「黒塚(安達原)」が元になっているようです。

自分を裏切った夫を恨みながら、長い年月を安達原のあばら屋で一人、暮らしていた老女・岩手。
そこにやってきた仏道修行の一行が、一夜の宿を求めます。
彼らに救いの言葉をかけられた岩手は、「閨の中を見ないでほしい」と言いおき、彼らをもてなすための薪を取りに山へ入っていきます。

妄執の晴れた岩手。月の光の下で童心に返り、気持ちよく踊ります。

しかし、先ほどの一行が「見るな」と言われた閨を見てしまう。
閨の中は血の海。岩手は鬼女だったのです。

裏切られたことに憤り、鬼の本性を顕して、彼らに襲いかかる岩手。
しかし最後には、彼らの法力に力尽きるのでした。
 

■私はこう見た!ここが好き!


出だし、閨に浮かび上がる老女・岩手市川猿之助さん)の影。
寂しい粗末な小屋です。
ここで岩手は長いこと、ずっとこうして一人でいるんだなと思うと、まだ影しか見えていないのにこの時点で早くも切なくなってきます。

阿闍梨祐慶中村錦之助さん)ら仏門修行の一行との問答を経て、薪を取りに行く岩手。
ここからの場面、全てを観終わったあとに振り返ると、とっても哀しい。

垣を越えたところで、岩手はふっと立ち止まります。
重く響く鐘の音。 
しばらく考えて、一度戻り、一行に「閨の中は絶対に見ないでほしい」と声をかける。

承知した一行を見届けて花道を去っていく岩手ですが、やっぱり不安なのです。
立ち止まって、戸惑う様子で視線を泳がせながら、もう一度振り返る。

信じて良いんだろうか。
いや、でも自分に仏道の教えを説いてくれた、立派な人なんだから…

彼らに「必ず成仏できる」と言われて幸せな気持ちを、保っていたいんですよね。
不安で仕方ないけれど、やっぱりそう言ってくれた彼らを信じたい。

この二度にわたって立ち止まるところ、張り詰めた空気にやられました。
岩手の不安、迷い、覚悟…そんな諸々が滲む。

どうしても見た目が派手な「動」に注目しがちですが、
「止まる」ことも、劇場全体の空気を支配できるものなんだな、と。

さて、これは大学時代の恩師の言葉なのですが、
「見るなと言われて見ない話はない」

一行の中の強力・太郎吾市川猿弥さん。強力(ごうりき)は修験者の荷物持ち)が、我慢できずに岩手の閨を覗いてしまいます。

そこに広がるのは、血の海と骨。
岩手が鬼女だということに気付く恐ろしい場面で、第一景が終わります。


続く第二景は、芒がいっぱいに広がる舞台です。
奥から岩手が、薪を背負って出てきます。

祐慶らの言葉を信じ、来世は成仏できると喜ぶ岩手。
月明かりの下、一人気持ちよく踊ります。

この場面、舞台がとても美しい

月明かりと影の演出、その下で豊かに揺れる一面の芒。
岩手の衣装も、月に照らされてきれいに輝いています。
箏や尺八が加わった音楽の厚みにも、岩手の深い喜びが伝わってくるようです。

あとの展開が分かっているだけに、この場面の岩手がとても愛しい。
自分の影と戯れながら、童心に返って踊るのです。苦しみから解き放たれて、本当に嬉しそうに、気持ち良く。
こんな気持ちになれたことは、岩手にとって一体何年ぶりなんだろう。

しかし、楽しい時間は長くは続かない。
“見るなの禁”を破った太郎吾がやってきます。

閨の中を見られたと悟る岩手。
怒りから、鬼女の本性を顕していきます。

ここの迫力が物凄くて。
 
猿之助さんの跳躍力、体のキレ、見事でした。
膝詰めで進んでいくところも、スピードと勢いが凄い。
観ているこちらも岩手に取って食われそうで、息を呑んで見入ってしまいました。

照明が落とされ、中央に浮かび上がる岩手と太郎吾。
真っ赤に塗られた岩手の口。
恐ろしかったし、岩手の心の叫びが聞こえてくるようで哀しかった。

岩手、絶対にこんな未来は望んでいなかったんですよ。
こんな姿になんかなりたくなかったはずなんですよ。
でもこうして、変わってしまう我が身。
どうにもならない感情の発露がとても苦しい。

一度鬼女は引っ込むのですが、後ろに倒れ込む演出はさすがの迫力でした。

何とか助かった太郎吾、膝がくがくで立てません。
そりゃそうだ…観ているこっちの膝もがくがくだもの…
 
この太郎吾の踊り、身軽で軽妙で、何もなく観ていればとても楽しいところ
しかしこちらとしては岩手が気がかりで…いや、楽しかったんですけどね!
大向こうからは「猿弥!」の掛け声も何度もかかっておりました。


ここから第三景に移る間の三味線、とても格好良いのです。
間に三味線の聴かせどころがあるのって素敵ですよね。毎度わくわくしています。


第三景。
芒の原に到着した祐慶ら一行に、鬼女となった岩手が襲い掛かります。

岩手、完全に鬼の拵えです。さっきとは全く違う。

こんな姿になるはずじゃなかったのに。この苦しみから解放されると思っていたはずなのに。
祐慶たちはさっきの喜びに満ち溢れた岩手を知らないから、鬼女となった岩手は完全に「押さえ込むべき相手」なのです。 

祐慶をはじめ、弟子の大和坊中村種之助さん)、讃岐坊中村鷹之資さん)も懸命に岩手に立ち向かいます。

彼らの法力に、弱っていく鬼女。
花道での仏倒れ(体を真っ直ぐにしたままうつ伏せにばったり倒れる)、からの暗転…

何で岩手はここまで苦しまなければならないんだろうか。

舞台は、月明かりと影。
さっきは喜びとともに眺めていたのに、すっかり変わってしまった自らの姿。
岩手の絶望は計り知れません。

恥じ入って小さくなる岩手。

彼女が救われてほしいと、強く思います。

仏道の教えって、岩手を救えるものじゃなかったのか。
あなたがたが彼女の閨を見なければ、岩手だって法力に組み伏せるべき相手ではなかったものを。。


■まとめ


「黒塚」、あまり知らないで観に行ったのですが、すっかりやられてしまいました。。
しばらくグロッキーになりそうな余韻。そのくせまたすぐにでも観にいきたい。

***

私の周りには、猿之助さんのひいきが多いのです。
その理由が、この2ヶ月で分かった気がします。

空気感がなんだか独特なんです。じりじりとした濃密さがある、というか。
どちらかというと動かないところ、止まったところに、その緊張感が滲み出る気がします。

加えて動くところの圧倒的なキレの良さ、迫力!
あんなに緩急見せつけられたらもう、圧倒されてしまいます。凄い。

その意味で、「黒塚」は猿之助さんの藝を堪能できる貴重な演目でした。

仕事帰りに寄れてしまうから恐ろしいな…