東京は三鷹市で毎年行われている「東西狂言の会」
初めてその存在を知り、恐ろしいチケット争奪戦の末に何とか行ってみることができました!

ちなみに、チケットは毎年即日完売の人気公演とのこと。そうだったのか…今回よく行けたな…。

それもそのはずで、三つやったのですが、それぞれ茂山千作さん野村万作さん(人間国宝)、野村萬斎さんという贅沢な布陣!
狂言についてはテレビでちょっと観たくらいしか知識のない私でも知っているお名前なので、相当なことなんだろうと思います。

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さて、私が初めて狂言を観たのは、おそらく幼児の頃。
案の定 何の記憶もございません。 

そのため今日が「人生初狂言」と言っても過言ではないのですが、
狂言、めっぽう面白かった!!
一人で行ったにもかかわらず誰に気兼ねすることもなく大笑いしてまいりました。 

せっかくなので、一つずつ感想をば。

 


■『貰聟(もらいむこ)』


狂言(および狂言をもとにした歌舞伎舞踊)にありがちな、「酒でやらかす」系のお話。

酒に酔った夫(茂山千五郎さん)に追い出された妻(茂山逸平さん)は、泣く泣く実家に帰ります。
愛娘の夫の度重なる酒乱に、呆れ果てる父親(茂山千作さん)。
そこに酔いが醒めて反省した夫が、妻を返してもらいにやってきて…という話。

これがもう大変に面白くて、客席どかんどかん受けてました!

茂山千作さん演じる父親の、間とセリフの言い方が絶妙

妻が泣きながら家に帰ってきたときに、思わず「…またか」と口をついて出てしまうのが可笑しい!

夫の方も自覚はしていて、高い敷居をまたいで(笑)、「近頃度々で申し訳ござらぬが…」と言ってやってくる。
もう今度こそ酒はやめるので、と父親の前で手をついて頭を下げるのですが、
父親、「ほっほーん」という気の無い返事で全然取り合わない(笑)。

この二人のやりとりの間がもう完全にコントで、王道をゆくのですが何度も笑わされました。

最終的に夫vs父親という構図になるのですが、
最初は妻も「あの夫のもとに帰るくらいなら死ぬ!」という勢いだったのに、このあたりで完全に雲行きがあやしくなり始めまして、

結局 夫と元の鞘に収まり、我が娘を思っての行動をとり続けていた父親、最終的に見捨てられます

仲良く去っていく娘夫婦を見送る父親。

「まぁ…よいわ…」という悔しさ紛れの諦めと、最後の夫婦への捨て台詞が、切なくて面白かったです。笑

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余談。
「かなぼうし」という言葉が聞きなれなかったのですが、子供のことを「金(仮名)法師」と言うんですね!初めて知りました。


■『魚説法(うおせっぽう)』


これもよくある、「知らないのに知っているふりをして痛い目にあう」パターンのお話。

新発意(しんぼち、出家間もない修行僧、野村万作さん)が堂供養の説法を頼まれ、説法などしたことがないにもかかわらず、お布施欲しさに請けてしまう。
浜辺育ちを活かして、知っている魚の名前を連ねてごまかしながら「説法」をする新発意ですが、それがついに施主(野村祐基さん)にばれてしまい…という展開です。

魚の名前を連ねてごまかすって。笑

この説法もよく聞いていると本当に内容がなくて、魚の名前だらけでおもしろいのですが、
一番楽しいのは、悪巧みがばれたあとでした。

それっぽーい説法をしている新発意を、怒って突き飛ばす施主。
おっとっと、と飛ばされる新発意が全然悪気がない感じで、かわいらしかった!

施主との会話もものすごくよくできていて、しっかりとは記憶できなかったのですが、
「さっきから生臭いことを…」みたいな施主のセリフに、「他意のないことを言わします(=鯛のないことを鰯鱒)」みたいなセリフで返すんです。

言葉遊びがすごい!!面白い!!!

最終的には施主に怒られて、新発意は「飛び魚、飛び魚…」と言いつつぴょこぴょこ跳ねながら逃げていくのですが、
さっきの突き飛ばされるところと言い、この去り際といい、万作さんの足取りの軽さが楽しくて、新発意の愛嬌が溢れていたのでした。

解説してくださった深田博治さんによれば、普通、この新発意の役は若い方がやるのだそうです。
万作さんがなさるのは非常にレアとのこと。

あとからよくよく計算してみて、万作さんが87歳でいらっしゃるということに衝撃を受けました…!!嘘でしょ…!!


■『止動方角(しどうほうがく)』


「三主物」と言って、三大「怖い主人」が出てくる狂言の一つだそうです。
この話では、太郎冠者(野村萬斎さん)が勝手で横暴な主人(野村太一郎さん)に一泡吹かせます(最終的にはやりすぎて結局怒られます(笑))。

茶くらべでいいところを見せたい主人は、伯父(石田幸雄さん)に茶と太刀と馬を借りに行くよう、太郎冠者に命じます。
全て無事に借りられたはいいけれど、この馬(飯田豪さん)、後ろで咳をすると暴れるという癖がある。
それを落ち着かせるための呪文(!)を教えてもらい、太郎冠者は主人のもとに帰ってきます。
主人は早々に太郎冠者を「遅い」といって叱り、茶くらべに出かける道すがらもお小言ばかり。
ついに怒った太郎冠者は、主人を乗せた馬の後ろでわざと咳をして…という話。

題名の「止動方角」は、馬を鎮める呪文の最後の言葉です。

太郎冠者と主人の対立、観ていて面白いですね!!
太郎冠者の気のない返事、むきになるところ、主人の圧倒的な理不尽さ。笑

当時の人も、太郎冠者が咳をして主人を落馬させたあたりは小気味よかっただろうし、今でもそういう人は多いのではないでしょうか。笑

この落ち方、ものすごくリアルなんですよ!

冒頭の解説で深田さんもおっしゃっていたのですが、正直、狂言の馬はぱっと見、馬には到底見えません。
ちょうど先日歌舞伎「実盛物語」で観た馬、あのリアルさは欠片もない。
何せ、人が四つん這いになっているだけなのですから。

しかし、そこにまたがって馬に揺られる人がいる。
さらには馬から落ちて転がる人がいる。

そうすると、不思議なことに馬にしか見えなくなってくるんですね!笑
暴れるところなんて、もろ馬。
落ちるのも、明らかに高いところでバランスを崩して地面にしたたか打ち付けられた、というようにしか見えないですもんね。

リアルだなぁと思ったのはもう一箇所あって、太郎冠者の伯父の家からの帰路なのですが、
帰路を行く太郎冠者と待っている主人、どちらもあの小さな舞台空間の中で見せるのです。
そのときに、太郎冠者も主人もお互いの心のうちを、同時にしゃべる

これによって、二人が舞台上でとても近い位置にいるにも関わらず、「全く違う場所でそれぞれの時間を過ごしている」ことが分かるのです。

面白いなぁ。工夫がたくさんあるんですね。

ラスト、また馬の後ろで咳をして馬を暴れさせた太郎冠者が、馬と間違えて落ちた主人を「どうどう」とやっているのが非常に楽しかったです。笑


■まとめ


狂言の舞台は、歌舞伎と大きく違って極限まで簡略化されていました。

だからこそ懸命に耳で理解しようとするし、想像の余地がある。

道が見え、部屋が見え、馬が見えてくる。

面白いと思いました。
日頃歌舞伎ばかり観ている者としては、工夫の方向性が全然違うんだなぁと。

歌舞伎は、道具を使ったり音を使ったりしながら「演出に工夫を凝らす」イメージですが、
狂言はそうではなく、そこにあるものでいかに情景を浮かび上がらせるか、という印象を受けました。

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今年は能か狂言をちゃんと生で観てみたいと思っていたのでした。
どちらもテレビでは何となく観ていたのですが、本日(物心ついてから)初めて狂言を観てみて申し上げますと、

生で観る方が断然おもしろい!!!

もうやりとりの間がとにかく秀逸で、それを感じられるのはやっぱり空気を共有しているからなんです。
テレビだと伝わりきらない微妙な雰囲気とか、客席に起こる笑い声とか、そういういろんなものが楽しい。

ぜひ来年も、頑張ってチケットを確保したい公演です。