スーパー今更になってしまいましたが!!!意地でまとめましたよ!!!笑
そしてこっそり更新しましたよ。(日付は6月になってますが、記事を書いているのはなんと12月です。ちゃっかり。笑)

一日通しで観てきました、国立劇場の5月文楽公演「妹背山婦女庭訓(いもせやま おんなていきん)腰が!おしりが!!!

いや、でも見事なまでに飽きませんでした(途中ちょっと眠くなるところはありましたが)。すごい。
何がすごいって、飽きさせない技芸員さんがすごい。
そして、物語の力でしょうか。

荒唐無稽のように思われるるところも少なからずありますが、そんなの関係ありませんよね。
持ってくとこに物語を持っていきたいわけです。

もうあの勢いに押されます。
妹背山は面白い。

あらすじをまとめるのはもはや不可能なので諦めまして(笑)、段ごとに感想をば。
なにぶん長いもので、備忘録レベルでの大変に薄っぺらな感想にはなりますが、ご参考までに。

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公演チラシ、雛鳥&久我之助Ver.。「妹背山」らしい一枚。

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こちらはお三輪ちゃんVer.。「婦女庭訓」らしい一枚(?)。


※( )内は人形の主遣いさんです。

■大序


◇大内の段

ここはとにかく話がごちゃつくところですね。
登場人物がたくさん出てきますが、要は

・蘇我蝦夷子(えみじ)が皇位を狙っている
・そのために藤原鎌足を失脚させようとしている
・途中で下手から出てくる定高(さだか)という女性と、下手寄りに立っている大判事清澄(だいはんじ きよずみ)との間には、定高の亭主である故・太宰少弐(だざいのしょうに)が存命の頃から遺恨がある

ということがここで掴めれば良いという感じかしら。

ごちゃつくように感じましたが、後々この場面があったことによって、展開が分かりやすくなっていたと思います! 
 

◇小松原の段

前半に大いにスポットを浴びる、雛鳥(ひなどり)・久我之助(こがのすけ)カップル誕生の場面
お互い一目惚れなんですねー!展開が早い!笑

ここの雛鳥簑紫郎さん)のまぁかわいいこと。
久我之助の前を通りすぎてから、うつむきがちに振り返る、その顔に簪の影がさすのです。
これが計算し尽くされたように美しい。

雛鳥は二人の腰元を連れているのですが、このうち一人・小菊紋吉さん)がとてもいいキャラ。
久我之助玉助さん)の持っている吹矢筒を雛鳥が見たいと言っている、ということにして二人の出会いを作ってあげるのですが、
この吹矢筒を雛鳥に渡すときの冗談がきっついきつい。笑
ド下ネタなんですが、たぶん雛鳥は気付いてないんですよ。
ものすごくうっとりした表情で、大事そうに吹矢筒を手に取る。こちらは目のやり場に困る。笑

そこにやってくる蝦夷子の手下・宮越玄蕃勘市さん)。
この人は雛鳥にほの字なので、久我之助と雛鳥のいいところを見たら激昂してしまうんですが、それを強烈にやり込めるのもこの小菊です。
彼女は本当にすごい。絶対作者サイドもこの人のことは楽しく書いたに違いない。笑


◇蝦夷子館の段

(口:亘太夫さん/清公さん、奥:三輪太夫さん/清友さん) 

舞台の上に雪人形が並んでいて、かわいいなぁ細かいなぁと思っていたら、
ここ、とんでもない場面だったんですね。本当の大悪人が登場します。

蘇我入鹿文司さん)です。蝦夷子玉佳さん)の息子です。

てっきり蝦夷子と対立していくのかと思ったら、この入鹿が、父を諌める振りをして父の立場を乗っ取るのです。
ドラマとしてとても盛り上がるところ!!展開を知らなかったので衝撃でした…!

殺しの場面は、やっぱり文楽の勢いが凄いなぁと思います。

■二段目


◇猿沢池の段

(希太夫さん/友之助さん)

何気ないような場面ですが、盲目の天智帝と、それを安心させようとする淡海のやりとりが切ない。

この後に続く、天智帝の田舎暮らし(違う)の場面はおかしみをもって描かれるけれど、その周りの人々の苦心やこのときの状況を考えると、帝が盲目、という設定が刺さります


◇鹿殺しの段

(碩太夫さん/錦吾さん)

一瞬なんですが鹿がかわいい。
そして息子の三作勘次郎さん)がかわいい。
ここで三作がかわいいのを覚えていてほしい。三作、まだそれほど年端もいかないはず。。

あと最後に捌けていく芝六玉也さん)の足が好きだったのですが、どなただったのでしょう…?
芝六このあとも非常に好きです。


◇掛乞の段

(睦太夫さん/寛太郎さん)

ここはちょっと息が抜ける、笑いどころでした。

粗末な家に全然馴染まない宮中の者たち。
それを指摘する芝六の詞もユーモアたっぷりです!

そこにやってくる借金取り・新右衛門玉勢さん)。
借金を取り立てに来るときの、「腰に帳面ぶーらぶら」の言い方が、人としてもぶらぶらしてそうな雰囲気でとても好きでした。笑

新右衛門と、それをかわそうとする芝六女房・お雉簑二郎さん)、そのやりとりの意味をいまいち理解できていない宮中の人々の会話も終始楽しく。
最終的に新右衛門をやり込める芝六も強い!笑

このお話ではありませんが、姫様育ちが家事ができない話とか、環境の違いで笑いを取るパターンは結構多いんですね。


◇万歳の段

(織太夫さん/清志郎さん、(ツレ)燕二郎さん)

さっきの段と同じく、天智帝が宮中と思い込んでいる芝六のあばら家で物語が展開。

同じように田舎を宮中と思わせる苦労が描かれますが、ここは笑い一辺倒でもなく、そうさせなければならない苦しみが滲みます

個人的に嬉しかったのは「万歳」。
太棹がじゃんじゃん鳴って踊りが始まると、それだけで楽しい!

さて、ここで暗雲が垂れ込めています。

鹿殺しの詮議の噂を聞いた三作、腹違いの弟・杉松和馬さん)を、興福寺に使いに走らせます。
何も知らない杉松、素直に兄の言うことを聞いて「ちょかちょか」走っていきます。ちょかちょか走り。かわいい。

しかしこの直後の詞章ですよ。

「見送る兄が書き残す、筆の命毛器用なが仇と白地の神ならぬ」

え…ちょっと三作、一体何書いた…?
大体年端のゆかぬ者の知恵というのは悲劇を起こすんですよ。。

そしてこの場面、淡海に芝六の忠義心を疑われたときのお雉がかっこいい。
夫の忠義を100%信頼した上で、もし疑わしいことがあったら「夫とは言はせず私から切りかけます」ときっぱり。

浄瑠璃のこういう場面における女性陣の肝の据わり様、大好きです。


◇芝六忠義の段

(咲太夫さん/燕三さん)

もうなんでこうなっちゃうんでしょうね…犠牲が過ぎるよ。。
とにかく語りに泣かされました。 

三作の先ほどの文、鹿殺しの罪を自分が一身に背負って、父を守ろうとしたんですね。
杉松は分からないままに、これに荷担してしまっていたのです。

三作は母の連れ子、杉松がこの夫婦の間の子です。
お雉が父への義理を忘れずに大切に孝行するように言い聞かせていたのを、三作はこうして守ったのです。

「わしが仕置きに遭うた跡で父様の泣かしやれぬやうに、京の町へ奉公にやつたと言うて置いて下されや」
「せめてあれ
(※杉松)一人は狩人さして下さるな、そればつかりを頼みます」

しょっぴかれる三作の健気さがもうどうしようもなく哀しい。 

鹿殺しは、生き埋めにされる「石子詰」という重罪です。
三作の思惑が分かった母の慟哭がまた泣かせます。

「わしやまだ恩をえ送らぬに大人も及ばぬ発明は、一生の智恵も寿命も十三年につゞめたか。こんな子を持つた親とひけらかしたい稀な子を、世にも稀なる大垣の土の中へ生きながら石子詰で殺すとは、何ぼ前世の約束でも余り酷い約束事。イヤゝゝ何ぼうでも殺さぬ殺さぬ…」

「新口村」の孫右衛門もそうですが、親が子を思うときの、心のひだを描き出す詞章に心打たれます。
そこには複雑な論理があって、それが哀切を極めます。

それから酔って上機嫌(なふりをし)て帰ってきた芝六の、三作を探すときの詞章。

「「三作よ、作よゝ」は胸を裂く妻の苦しみ…」

掛詞で連なっていく浄瑠璃の詞章ですが、この掛詞は何とも辛いですね…。

夜が明けたら三作の命はなくなっている。

「どうぞこの夜が百年も明けずにあつてくれかし」

お雉の心の叫びに、ひたすら胸が痛みます。

一方、三作の犠牲を知らない父・芝六は、自らの忠義を見せるために杉松を一思いに刺してしまいます。
もう!何故なの!!! 

ちょっとこの辺の筋を大幅に端折りますが、
最終的に三作、生きています。良かった。

■三段目


◇太宰館の段

(靖太夫さん/錦糸さん)

入鹿がいかれてます。
遠眼鏡で互いの家を見張れなど。何てことを。

雛鳥と久我之助の悲劇を生む、「雛鳥の入内と久我之助の出仕」が命じられる大切な場面です。

今回の上演の第1部はここで終了です。
ここから動きそうな気配がするところで終了です。
だから絶対通して観た方がいい

最後に注進が駈け込むのですが、こういう勢いのある場面での太棹の威力に毎度やられます。大迫力。


◇妹山背山の段

(【背山】大判事:千歳太夫さん、久我之助:藤太夫さん/前:藤蔵さん、後:富助さん
【妹山】定高:呂勢太夫さん、雛鳥:織太夫さん/前:清介さん、後:清治さん、琴:清公さん)

ここから第2部になりますが、こここそが前半のクライマックスです。

舞台真ん中には川が流れ(本当に流れているように見せるのです。工夫がすごい)、下手には妹山・雛鳥の家、上手には背山・久我之助の家。

床も上下(かみしも)に分かれて語るのです。

この両床というのはすごいですね。
ところによっては一文字ずつ、妹山背山で語り分けるときもあり、また時には一緒に語り
複雑な関係にある両家の、交錯する想いが伝わってきます。

両方の床で同時に語ったときの、音の厚み!
それは気持ちの昂りを表すにはもってこいで、観ている方も煽られます

加えて人形の激しさ。

定高(和生さん)の、抑えに抑えてきたものが溢れる様子。
可憐に恋する娘から、恋のために決然と死ぬ娘に変わる雛鳥(簑助さん)。

強い立場でありながら、この場面断トツの弱さを見せる大判事(玉男さん)。
涼しい目元で忠義を通し、雛鳥を想いながら切腹する久我之助(玉助さん)。

お互いの家が無事と思ってのことだったのに、真実を知ってしまったときの両家の親の絶叫。

時に人間を超える動きで感情をむき出しにしてくる人形と、左右から煽ってくる語りと三味線で、床に挟まれた客席は完全に妹背山の世界に連れていかれるのです。

涙堰き敢えず。このためだけにも頑張った甲斐がある。

***

雛鳥は前半が簑紫郎さん、後半が簑助さん。
簑紫郎さんの雛鳥は本当に可憐で、振り返るときのちょっとした瞬きとか、柱にもたれて久我之助を見やるときの首筋から肩にかけての色気とか、とても細かかった。

一方簑助さんの雛鳥からは、そこに生きている一人の女の子の人生が立ち上がってきます

簑助さんの遣う女の子が本当に好きです。
見終わって振り返ったときに、完全に「一人の女の子がいた」と思い出されるような人形です。
あのとき雛鳥は絶望していたよな、とか、恍惚とした笑顔だったよな、とか、そんなわけないのに思うんですから。


■四段目


◇杉酒屋の段

(津駒太夫さん/宗助さん)

ここから舞台はがらりと変わり、新たな主人公となる求馬(清十郎さん)と橘姫(一輔さん)、そしてお三輪(勘十郎さん)の登場です。

橘姫はほんとに何者なんだ。

そしてお三輪ちゃん、もう全てがかわいい。
簪のつまみ細工からしてかわいすぎる

ほおずきを持ってうきうき出てくるのですが、もうこの出からして橘姫と全然違うんですよ。娘感がすごい。

自分がいながら橘姫と時間を過ごす求馬に、文句を言うお三輪。
でも最初はもじもじ恥じらうのもかわいい。

それでですね。

ここで求馬とお三輪、紅白の糸巻きを取り交わすわけなんですよ。

求馬!いいか!この糸巻きはお三輪ちゃんと交わしたものなんだからな!!!(後述)

丁稚の子太郎(ねたろう、紋秀さん)が楽しいです。大体の作品において、丁稚はちょっと抜けてて屈託がなくてかわいい


◇道行恋苧環

所作事(いわゆる踊り)の場面。
橘姫と追う求馬、さらにそれを追ってきたお三輪で、求馬の取り合いになります。

出だし、三味線5挺の音の厚みがいいですね!
この部分を通して、曲がいいなぁと思いました。
お三輪と橘姫の雰囲気の違いもよく出てきて、目も耳も楽しめる場面です。

人形でも踊りの演目はありますが(「団子売」とか「三番叟」とか)、物語の中でこんなにしっかり踊りが入るのは初めて。嬉しいです。

最後、求馬が橘姫の裾に赤い糸をつけて追っていく。その求馬の裾に、お三輪もお三輪で白い糸を結びつける。

ここ、腹立つんですよ。。
求馬の糸巻はお三輪との関係の象徴でしょ?それを目の前で踏みにじらないであげてよ!と思うのです。

そして、舞台に一人残るお三輪。
求馬を追おうとしてバランスを崩す。
自分のことはさておき、大切な糸巻を確認して糸をたどっていって、はっと気付く。糸が切れてる…!

もうここが本当に切なくて切なくて、求馬が恨めしい。。
勘十郎さんの細かな動きで、尚更お三輪の胸の痛みがこちらにも刺さります。 

この場面、神社の鳥居前で、奥に山が見えているという舞台です。
筋書には「布留の社」とあるので石上神宮なのかなぁと思っていたら、児玉竜一先生の解説のページでは「春日大社」とありますね。
後ろに見えている山は何山なのでしょうか。。個人的には三輪山であってほしいのですが、いかんせん方向音痴の上に土地勘がなく。笑

***

ここまでの一連の話(※)は、『古事記』をはじめ日本の古い話に似たような話が数多くあるようで、それを知ってから観ると「ほう、この話の中ではそう使われるのか!」という発見があって面白いです。

(※)素性の分からないものが訪ねてくる、その裾に糸を通して追いかける、という流れ。『古事記』では、この「素性の分からない男」が三輪山の神・大物主神であるという流れになっているのです。


◇鱶七上使の段

(藤太夫さん/清馗さん)

鱶七(玉志さん)、演技力すごくないですか?って毎度思います。笑
鱶七は本当はあんな人じゃないはずなのに。堂々たる傍若無人っぷりです。それでも必要なことは全て抜かりなく押さえているからすごい。
鱶七の大きさと勢い、とても好きです。

語りも鱶七の勢いが分かる雰囲気に。
官女と鱶七の噛み合わない会話も面白く、とにかく何をやってもどこ吹く風で己の道を進む鱶七がすごいです。笑

この段、鱶七の話しかしてない。


◇姫戻りの段

(小住太夫さん/友之助さん)

(この辺、さすがに観劇時間が長くなってきて腰が限界に近づき、観劇メモがかっすかすなのです。で、唯一書いていた内容が↓)

「鎌倉三代記」(感想はこの記事を観たときにも思いましたが、恋愛に条件をつけるな

求馬は、政敵・入鹿の妹である橘姫に「入鹿の盗んだ宝剣を取り戻したら夫婦になる」と言うのです。

いや、分かりますよ。政敵と結ばれることには大きな危険を伴います。
でも恋愛ってなんか、そうじゃないでしょ!!というのが毎度思うところです

橘姫とお三輪だったら断然お三輪推しですが、こういう場面があると橘姫も不憫な気がして、揺らぎます。。笑


◇金殿の段

(呂太夫さん/團七さん)

歌舞伎で観た「三笠山御殿」はここですね。
官女とぶつかってあわあわするうちに次の官女とぶつかって…というあれを人形でもやるんだ、と新鮮。

お三輪が一人でああでもないこうでもない、とやっているところも多い印象のこの場面。
彼女は当たり前ながら今後何が起きるかなど全く理解していなくて、ただ「求馬さんと一緒になりたい、でもこんなことして嫌われたらどうしよう?!」ということだけが気がかりなのです。

もうピュアさが痛いくらい。今後を知っていると、特にです。

そんなお三輪なので、さんざん官女に馬鹿にされているのを見るのが本当に辛い。
あまりにもまっすぐで、求馬さんに会えるという期待が純粋であったゆえに、官女たちの仕打ちによって恥をかかされる、という現実との落差が大きいんですよね。。

これで気がふれ、「疑着の相」となるお三輪。
しかしこれこそが、求馬を助ける手段となるわけです。

入鹿討伐のために、疑着の相の女の生き血が必要であるとして、お三輪を刺す鱶七。
これもね、必要なのは分かるんですが、刺しながら事態を説明するにしては、鱶七に余裕がありすぎるんですよ。目の前でお三輪が苦しんでいるのに。

お三輪ちゃんの何が切ないって、死に際に「求馬さん」って呼ぶんです。
彼は本当は淡海だと分かっているのに。

だって、お三輪が恋したのは淡海さまじゃなくて、求馬ですもんね。

あんなに悔しがって、それでも「来世で」と、求馬のために死んでいくお三輪が本当に悔しい。

そして愛しい。。

■まとめ


本当はこのあとに、入鹿誅罰が続くとのことです。
ここまでやるんだったら、そこまで観たかったなぁという思いを残しつつ、でもさすがに腰とお尻が限界でした(^^;

都合がつくのが一日だけだったので、昼の部と夜の部を同じ日に詰め込むという強行スケジュール。
複雑で予想もつかないストーリー展開に頭も途中で限界を迎え、思わず売店でプリンを購入しました…糖分…笑
 
まだまだ詳しくないので、どなたの何がどうとか芸を語れないのですが、ストーリーを追うだけでも壮大だし面白い。
雛鳥と久我之助の場面と、お三輪・求馬・橘姫の場面があることは知っていたものの、その繋がりは知らなかった自分にとって、
その二つの場面に入鹿という悪人がずっと存在していることも分かって良かったです。

物語としての要素が詰め込まれ、たくさんの印象的な登場人物がいて、観る人それぞれにとっての見せ場があるなぁという印象。
こんな芸能を一日観ていられた、そして仲間たちとああだこうだ盛り上がれた大坂の生活、なんと羨ましいことでしょうか。
 
貴重な体験ができたこと、企画・上演してくださった国立劇場と技芸員の皆様に心から感謝いたします…!