ほんのり*和もの好き

歌舞伎や文楽、日本舞踊、着物のことなど、肩肘張らない「和もの」の楽しみを、初心者の視点で語ります。

2019年04月

「御存鈴ヶ森」観てきました!〜四月大歌舞伎(歌舞伎座)昼の部 初心者の感想


あーもうすっかり旬が過ぎてしまいましたよ…ばたばたしているうちに楽日が過ぎ去り、もう数日で團菊祭の幕開けですね…

いや!でもですね、ちゃんと感想を残しておきたい舞台だったのです。
時間の流れに惑わされずに、臆せず書いた次第です。 

まずは4月の名ポスターから。

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尾上菊五郎さん白井権八(しらい ごんぱち)と、 

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中村吉右衛門さん幡随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)

本当に4月はポスターが素晴らしく良かった。
職場の最寄りの駅にも掲示されていて、毎日眼福でした。

***

さて、「御存」と言われつつ初めてこのお芝居を観たのですが、お話自体もとても好きでした。
権八と長兵衛の二人の場面が、兎にも角にもかっこいい。長兵衛の大きさがたまらない。

前半のだんまりの立廻りは、なかなかどう捉えたら良いものか迷うのですが。笑

斬られる側、かなりコミカルなんですよ。
グロテスクな場面をコミカルにしてしまうというか、あれは「お化け屋敷は一歩間違えるとコメディになってしまう」というのと近い気がします。
ここはごちゃごちゃ考えずに、素直に笑って観ればよいところなんでしょうね!笑

さて、そんな滑稽味溢れる場面の中で、淡々と涼しげに斬っていく権八(菊五郎さん)。
すっと立った姿、若い者なのですが緊張感と強さとが漲ります
いやぁ…痺れますね。やっぱり菊五郎さんはかっこいい。 

そして斬られる側のおかしさとのギャップよ。。


これに続く場面、無言なのですが、たまらなくかっこよかったところです。

花道から登場する一挺の駕籠。
権八は中に人がいると知らず、この駕籠の提灯で自分の刀に問題がないか確かめます。

何ということはない場面かもしれないのですが、立廻りの「動」のあとに来るこの淡々とした「静」、血なまぐさいはずなのに美しくて、どきどきしながら見入ってしまいました。
舞台から遠く離れた客席で観ているのに、ここはすごくクローズアップされた権八の姿として記憶されています。それだけ素敵だったんだと思います。 

もう一箇所、前後してしまいますが長兵衛が権八の刀を検めるところがあって、ここも絵面としてとても美しく、張り詰めている権八を長兵衛の厚みが包んでいる感じがして非常に好きでした。 

さて、駕籠に乗っていたのは、江戸はもちろん中国にまで知られた侠客・幡随院長兵衛(吉右衛門さん)。

長兵衛と権八の交わす、二人だけの会話がまた良いのです。
長兵衛、絶対にこの芝居において最も凄い人物なんですが、ずっと軽く流して笑っている。
こんな夜中に、何が起きていたかも全て分かった上で、大事が起きたと思わせない長兵衛の大きさですよね。

個人的に最も長兵衛に惚れるのは、落ちていた手紙を燃やすところ。

この手紙、権八の素性が分かるもので、そもそも先ほどの斬り合いも、この手紙に「お尋ね者の権八を捕らえれば褒美がもらえる」とあったのがきっかけだったわけです。 

そんな重要な手紙、騒ぎのあとで破れていたとはいえ、少し読めば当然意味が分かるのです。 
しかし、長兵衛は「権八っつぁんの苗字も確か…」という台詞で、お前の素性は分かったよ、ということだけさりげなく伝えて、何でもない顔をして手紙を握りつぶし、火をつけて川に捨てる

唸るなぁ…あれは役として純粋にかっこいいし、吉右衛門さんの余裕と大きさもあるのだと思います。

こんな書き方しかできないのは、私に比較対象がないからなのですが。。
でもとにかく本当に本当にかっこよかったということだけは記しておきたい!!

手紙を捨てた川面に、敵の姿が映るのを認めた長兵衛の、「切っておしめえなせえやし」というセリフ。
冷静に考えれば非道かもしれませんが、この流れを見てくると何ともすっきりと聞こえるので不思議ですね。。

それを受けて間髪入れずに斬る権八。
斬った相手を長兵衛が、脱いだ着物でひょいとひっくり返す。
長兵衛はいかにも「ただ着物を背負い直しただけ」という感じで、特に何の力も入れていないんですよね。
軽ーくなんだけど、圧倒的に強いのがあの一振りで分かる。 


最後、暗かった舞台がぱっと明るくなります。
筋書にもありましたが、権八の心が晴れたのを表すかのようで、清々しいですね!


筋だけでいえば、物騒なところも多い話だと思うのです。
でも、抜群にかっこよくて、緊張感があって、惹かれた。 

***

以前映像で、お二人の「浜松屋」を観たのです。
弁天はもちろん菊五郎さん、そして吉右衛門さんが南郷。

もうたまらないんですよ。このお二人の間の空気感が。

そのお二人がこんなに絡むのを生で観ることができたこと、そして初めて観るこの(「御存」と言えてしまうレベルの)有名な演目をこの配役で観られたこと。

本当に幸せな時間でした。

さて、来月の團菊祭では、丑之助くん初舞台でお二人が共演なさいます。(團菊祭の物知らずはこちら
今からとても楽しみです

 

初!狂言を観てきました!〜東西狂言の会(三鷹市公会堂 光のホール)初心者の感想


東京は三鷹市で毎年行われている「東西狂言の会」
初めてその存在を知り、恐ろしいチケット争奪戦の末に何とか行ってみることができました!

ちなみに、チケットは毎年即日完売の人気公演とのこと。そうだったのか…今回よく行けたな…。

それもそのはずで、三つやったのですが、それぞれ茂山千作さん野村万作さん(人間国宝)、野村萬斎さんという贅沢な布陣!
狂言についてはテレビでちょっと観たくらいしか知識のない私でも知っているお名前なので、相当なことなんだろうと思います。

***

さて、私が初めて狂言を観たのは、おそらく幼児の頃。
案の定 何の記憶もございません。 

そのため今日が「人生初狂言」と言っても過言ではないのですが、
狂言、めっぽう面白かった!!
一人で行ったにもかかわらず誰に気兼ねすることもなく大笑いしてまいりました。 

せっかくなので、一つずつ感想をば。

 


■『貰聟(もらいむこ)』


狂言(および狂言をもとにした歌舞伎舞踊)にありがちな、「酒でやらかす」系のお話。

酒に酔った夫(茂山千五郎さん)に追い出された妻(茂山逸平さん)は、泣く泣く実家に帰ります。
愛娘の夫の度重なる酒乱に、呆れ果てる父親(茂山千作さん)。
そこに酔いが醒めて反省した夫が、妻を返してもらいにやってきて…という話。

これがもう大変に面白くて、客席どかんどかん受けてました!

茂山千作さん演じる父親の、間とセリフの言い方が絶妙

妻が泣きながら家に帰ってきたときに、思わず「…またか」と口をついて出てしまうのが可笑しい!

夫の方も自覚はしていて、高い敷居をまたいで(笑)、「近頃度々で申し訳ござらぬが…」と言ってやってくる。
もう今度こそ酒はやめるので、と父親の前で手をついて頭を下げるのですが、
父親、「ほっほーん」という気の無い返事で全然取り合わない(笑)。

この二人のやりとりの間がもう完全にコントで、王道をゆくのですが何度も笑わされました。

最終的に夫vs父親という構図になるのですが、
最初は妻も「あの夫のもとに帰るくらいなら死ぬ!」という勢いだったのに、このあたりで完全に雲行きがあやしくなり始めまして、

結局 夫と元の鞘に収まり、我が娘を思っての行動をとり続けていた父親、最終的に見捨てられます

仲良く去っていく娘夫婦を見送る父親。

「まぁ…よいわ…」という悔しさ紛れの諦めと、最後の夫婦への捨て台詞が、切なくて面白かったです。笑

***

余談。
「かなぼうし」という言葉が聞きなれなかったのですが、子供のことを「金(仮名)法師」と言うんですね!初めて知りました。


■『魚説法(うおせっぽう)』


これもよくある、「知らないのに知っているふりをして痛い目にあう」パターンのお話。

新発意(しんぼち、出家間もない修行僧、野村万作さん)が堂供養の説法を頼まれ、説法などしたことがないにもかかわらず、お布施欲しさに請けてしまう。
浜辺育ちを活かして、知っている魚の名前を連ねてごまかしながら「説法」をする新発意ですが、それがついに施主(野村祐基さん)にばれてしまい…という展開です。

魚の名前を連ねてごまかすって。笑

この説法もよく聞いていると本当に内容がなくて、魚の名前だらけでおもしろいのですが、
一番楽しいのは、悪巧みがばれたあとでした。

それっぽーい説法をしている新発意を、怒って突き飛ばす施主。
おっとっと、と飛ばされる新発意が全然悪気がない感じで、かわいらしかった!

施主との会話もものすごくよくできていて、しっかりとは記憶できなかったのですが、
「さっきから生臭いことを…」みたいな施主のセリフに、「他意のないことを言わします(=鯛のないことを鰯鱒)」みたいなセリフで返すんです。

言葉遊びがすごい!!面白い!!!

最終的には施主に怒られて、新発意は「飛び魚、飛び魚…」と言いつつぴょこぴょこ跳ねながら逃げていくのですが、
さっきの突き飛ばされるところと言い、この去り際といい、万作さんの足取りの軽さが楽しくて、新発意の愛嬌が溢れていたのでした。

解説してくださった深田博治さんによれば、普通、この新発意の役は若い方がやるのだそうです。
万作さんがなさるのは非常にレアとのこと。

あとからよくよく計算してみて、万作さんが87歳でいらっしゃるということに衝撃を受けました…!!嘘でしょ…!!


■『止動方角(しどうほうがく)』


「三主物」と言って、三大「怖い主人」が出てくる狂言の一つだそうです。
この話では、太郎冠者(野村萬斎さん)が勝手で横暴な主人(野村太一郎さん)に一泡吹かせます(最終的にはやりすぎて結局怒られます(笑))。

茶くらべでいいところを見せたい主人は、伯父(石田幸雄さん)に茶と太刀と馬を借りに行くよう、太郎冠者に命じます。
全て無事に借りられたはいいけれど、この馬(飯田豪さん)、後ろで咳をすると暴れるという癖がある。
それを落ち着かせるための呪文(!)を教えてもらい、太郎冠者は主人のもとに帰ってきます。
主人は早々に太郎冠者を「遅い」といって叱り、茶くらべに出かける道すがらもお小言ばかり。
ついに怒った太郎冠者は、主人を乗せた馬の後ろでわざと咳をして…という話。

題名の「止動方角」は、馬を鎮める呪文の最後の言葉です。

太郎冠者と主人の対立、観ていて面白いですね!!
太郎冠者の気のない返事、むきになるところ、主人の圧倒的な理不尽さ。笑

当時の人も、太郎冠者が咳をして主人を落馬させたあたりは小気味よかっただろうし、今でもそういう人は多いのではないでしょうか。笑

この落ち方、ものすごくリアルなんですよ!

冒頭の解説で深田さんもおっしゃっていたのですが、正直、狂言の馬はぱっと見、馬には到底見えません。
ちょうど先日歌舞伎「実盛物語」で観た馬、あのリアルさは欠片もない。
何せ、人が四つん這いになっているだけなのですから。

しかし、そこにまたがって馬に揺られる人がいる。
さらには馬から落ちて転がる人がいる。

そうすると、不思議なことに馬にしか見えなくなってくるんですね!笑
暴れるところなんて、もろ馬。
落ちるのも、明らかに高いところでバランスを崩して地面にしたたか打ち付けられた、というようにしか見えないですもんね。

リアルだなぁと思ったのはもう一箇所あって、太郎冠者の伯父の家からの帰路なのですが、
帰路を行く太郎冠者と待っている主人、どちらもあの小さな舞台空間の中で見せるのです。
そのときに、太郎冠者も主人もお互いの心のうちを、同時にしゃべる

これによって、二人が舞台上でとても近い位置にいるにも関わらず、「全く違う場所でそれぞれの時間を過ごしている」ことが分かるのです。

面白いなぁ。工夫がたくさんあるんですね。

ラスト、また馬の後ろで咳をして馬を暴れさせた太郎冠者が、馬と間違えて落ちた主人を「どうどう」とやっているのが非常に楽しかったです。笑


■まとめ


狂言の舞台は、歌舞伎と大きく違って極限まで簡略化されていました。

だからこそ懸命に耳で理解しようとするし、想像の余地がある。

道が見え、部屋が見え、馬が見えてくる。

面白いと思いました。
日頃歌舞伎ばかり観ている者としては、工夫の方向性が全然違うんだなぁと。

歌舞伎は、道具を使ったり音を使ったりしながら「演出に工夫を凝らす」イメージですが、
狂言はそうではなく、そこにあるものでいかに情景を浮かび上がらせるか、という印象を受けました。

***

今年は能か狂言をちゃんと生で観てみたいと思っていたのでした。
どちらもテレビでは何となく観ていたのですが、本日(物心ついてから)初めて狂言を観てみて申し上げますと、

生で観る方が断然おもしろい!!!

もうやりとりの間がとにかく秀逸で、それを感じられるのはやっぱり空気を共有しているからなんです。
テレビだと伝わりきらない微妙な雰囲気とか、客席に起こる笑い声とか、そういういろんなものが楽しい。

ぜひ来年も、頑張ってチケットを確保したい公演です。

「黒塚」初心者はこう楽しんだ!〜四月大歌舞伎(歌舞伎座) 夜の部感想


先月の「吃又」で、ぎゅっと心を掴まれた猿之助さんのおとくこの記事
その猿之助さんの舞踊劇「黒塚(くろづか)、これは逃すわけにはいかないと楽しみにしておりました。

そして、やっぱり素晴らしかった。圧巻でした。圧倒されました。

幕見の感想を語ります。

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今月の筋書。咲き誇り、散っていく桜。解説は筋書p.33。




■初心者でも楽しめるのか?


楽しめます!
「楽しむ」という感じの演目ではないかもしれませんが、何かしら響くものは大きいと思います。

老女・岩手の苦しみと、そこから解放される喜び。
その喜びも束の間、やはり鬼となってしまう悔しさ、辛さ、我が身を恥じる気持ち。

岩手の胸の内が伝わってきて、こちらの心が素手で鷲掴みにされてがたがた揺さぶられる感じです。 

楽しく気持ちの良い踊り、一転して鬼の本性を顕したあとの迫力など、多彩な踊りに「おぉ!」と思える演目

照明や芒の原の大道具、琴や尺八が入って厚みを増す音楽など、舞台全体を通して楽しめると思います。 

***

参考までに、非常にざっくりとあらすじをば。
能の「黒塚(安達原)」が元になっているようです。

自分を裏切った夫を恨みながら、長い年月を安達原のあばら屋で一人、暮らしていた老女・岩手。
そこにやってきた仏道修行の一行が、一夜の宿を求めます。
彼らに救いの言葉をかけられた岩手は、「閨の中を見ないでほしい」と言いおき、彼らをもてなすための薪を取りに山へ入っていきます。

妄執の晴れた岩手。月の光の下で童心に返り、気持ちよく踊ります。

しかし、先ほどの一行が「見るな」と言われた閨を見てしまう。
閨の中は血の海。岩手は鬼女だったのです。

裏切られたことに憤り、鬼の本性を顕して、彼らに襲いかかる岩手。
しかし最後には、彼らの法力に力尽きるのでした。
 

■私はこう見た!ここが好き!


出だし、閨に浮かび上がる老女・岩手市川猿之助さん)の影。
寂しい粗末な小屋です。
ここで岩手は長いこと、ずっとこうして一人でいるんだなと思うと、まだ影しか見えていないのにこの時点で早くも切なくなってきます。

阿闍梨祐慶中村錦之助さん)ら仏門修行の一行との問答を経て、薪を取りに行く岩手。
ここからの場面、全てを観終わったあとに振り返ると、とっても哀しい。

垣を越えたところで、岩手はふっと立ち止まります。
重く響く鐘の音。 
しばらく考えて、一度戻り、一行に「閨の中は絶対に見ないでほしい」と声をかける。

承知した一行を見届けて花道を去っていく岩手ですが、やっぱり不安なのです。
立ち止まって、戸惑う様子で視線を泳がせながら、もう一度振り返る。

信じて良いんだろうか。
いや、でも自分に仏道の教えを説いてくれた、立派な人なんだから…

彼らに「必ず成仏できる」と言われて幸せな気持ちを、保っていたいんですよね。
不安で仕方ないけれど、やっぱりそう言ってくれた彼らを信じたい。

この二度にわたって立ち止まるところ、張り詰めた空気にやられました。
岩手の不安、迷い、覚悟…そんな諸々が滲む。

どうしても見た目が派手な「動」に注目しがちですが、
「止まる」ことも、劇場全体の空気を支配できるものなんだな、と。

さて、これは大学時代の恩師の言葉なのですが、
「見るなと言われて見ない話はない」

一行の中の強力・太郎吾市川猿弥さん。強力(ごうりき)は修験者の荷物持ち)が、我慢できずに岩手の閨を覗いてしまいます。

そこに広がるのは、血の海と骨。
岩手が鬼女だということに気付く恐ろしい場面で、第一景が終わります。


続く第二景は、芒がいっぱいに広がる舞台です。
奥から岩手が、薪を背負って出てきます。

祐慶らの言葉を信じ、来世は成仏できると喜ぶ岩手。
月明かりの下、一人気持ちよく踊ります。

この場面、舞台がとても美しい

月明かりと影の演出、その下で豊かに揺れる一面の芒。
岩手の衣装も、月に照らされてきれいに輝いています。
箏や尺八が加わった音楽の厚みにも、岩手の深い喜びが伝わってくるようです。

あとの展開が分かっているだけに、この場面の岩手がとても愛しい。
自分の影と戯れながら、童心に返って踊るのです。苦しみから解き放たれて、本当に嬉しそうに、気持ち良く。
こんな気持ちになれたことは、岩手にとって一体何年ぶりなんだろう。

しかし、楽しい時間は長くは続かない。
“見るなの禁”を破った太郎吾がやってきます。

閨の中を見られたと悟る岩手。
怒りから、鬼女の本性を顕していきます。

ここの迫力が物凄くて。
 
猿之助さんの跳躍力、体のキレ、見事でした。
膝詰めで進んでいくところも、スピードと勢いが凄い。
観ているこちらも岩手に取って食われそうで、息を呑んで見入ってしまいました。

照明が落とされ、中央に浮かび上がる岩手と太郎吾。
真っ赤に塗られた岩手の口。
恐ろしかったし、岩手の心の叫びが聞こえてくるようで哀しかった。

岩手、絶対にこんな未来は望んでいなかったんですよ。
こんな姿になんかなりたくなかったはずなんですよ。
でもこうして、変わってしまう我が身。
どうにもならない感情の発露がとても苦しい。

一度鬼女は引っ込むのですが、後ろに倒れ込む演出はさすがの迫力でした。

何とか助かった太郎吾、膝がくがくで立てません。
そりゃそうだ…観ているこっちの膝もがくがくだもの…
 
この太郎吾の踊り、身軽で軽妙で、何もなく観ていればとても楽しいところ
しかしこちらとしては岩手が気がかりで…いや、楽しかったんですけどね!
大向こうからは「猿弥!」の掛け声も何度もかかっておりました。


ここから第三景に移る間の三味線、とても格好良いのです。
間に三味線の聴かせどころがあるのって素敵ですよね。毎度わくわくしています。


第三景。
芒の原に到着した祐慶ら一行に、鬼女となった岩手が襲い掛かります。

岩手、完全に鬼の拵えです。さっきとは全く違う。

こんな姿になるはずじゃなかったのに。この苦しみから解放されると思っていたはずなのに。
祐慶たちはさっきの喜びに満ち溢れた岩手を知らないから、鬼女となった岩手は完全に「押さえ込むべき相手」なのです。 

祐慶をはじめ、弟子の大和坊中村種之助さん)、讃岐坊中村鷹之資さん)も懸命に岩手に立ち向かいます。

彼らの法力に、弱っていく鬼女。
花道での仏倒れ(体を真っ直ぐにしたままうつ伏せにばったり倒れる)、からの暗転…

何で岩手はここまで苦しまなければならないんだろうか。

舞台は、月明かりと影。
さっきは喜びとともに眺めていたのに、すっかり変わってしまった自らの姿。
岩手の絶望は計り知れません。

恥じ入って小さくなる岩手。

彼女が救われてほしいと、強く思います。

仏道の教えって、岩手を救えるものじゃなかったのか。
あなたがたが彼女の閨を見なければ、岩手だって法力に組み伏せるべき相手ではなかったものを。。


■まとめ


「黒塚」、あまり知らないで観に行ったのですが、すっかりやられてしまいました。。
しばらくグロッキーになりそうな余韻。そのくせまたすぐにでも観にいきたい。

***

私の周りには、猿之助さんのひいきが多いのです。
その理由が、この2ヶ月で分かった気がします。

空気感がなんだか独特なんです。じりじりとした濃密さがある、というか。
どちらかというと動かないところ、止まったところに、その緊張感が滲み出る気がします。

加えて動くところの圧倒的なキレの良さ、迫力!
あんなに緩急見せつけられたらもう、圧倒されてしまいます。凄い。

その意味で、「黒塚」は猿之助さんの藝を堪能できる貴重な演目でした。

仕事帰りに寄れてしまうから恐ろしいな…

 


「実盛物語」初心者はこう楽しんだ!〜四月大歌舞伎(歌舞伎座) 夜の部感想


公演情報が出た瞬間にときめき、心待にしていた演目。
昨年の平成中村座で、勘九郎さんの実盛で観た「実盛物語(さねもりものがたり)を、今度は仁左衛門さんで観られる喜び!!

はい、やっぱり素晴らしかったです。

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今月のポスター、片岡仁左衛門さんの実盛。渋かっこいい。。今月だけなのが惜しい。。




■初心者でも楽しめるのか?


楽しめますが、軽くで良いので予習をしておくことをおすすめします!

登場人物の立場が途中で「実は…」と変わってしまうので、初心者としてはちょっと理解しにくい。
そもそも「片腕」というものの存在が、なかなか予想をつけにくくしていると思うので… 

しかし!
子供のかわいさや、武士として、人間としての生き方の重みや深みはやはり胸に響くものがあるし、
最後の花道での馬の表情などは、歌舞伎の堅苦しい印象を取っ払うと思います。

以前にも書きましたがこの記事、本当にいい話なんです。
もし迷っている方がいるならば、難しく考えずにぜひ行ってみていただきたい!!

***

初めてでも楽しめるように、極力情報を絞ってまとめてみました。
 

力不足ではありますが、少しでもご参考になれば…


■私はこう見た!ここが好き!


いやもう、全体的にとても温かみがあって、また大好きな一本が増えたな、という感じでした。

出だし、太郎吉寺嶋眞秀くん)の「おれがとったー!おれがとったー!」がよく響きますね!
持っているものは「片腕」という、見様によってはかなり不気味なものなのに、太郎吉のおかげでだいぶのどかなシーンになっています。
よく考えれば太郎吉、お母さんの腕だとどこかで分かっていたから、怖くなかったのかもしれませんね。

母・小万片岡孝太郎さん)に対する太郎吉の態度には、やっぱり胸を打たれます。
動かぬ母に向かって「もう無理は言わぬ」とすがったり、泣きながら母をぽんぽんと撫でたり、その泣き声がだんだん小さくなっていったり…
こちらも泣かされました。 

眞秀くん、先月に引き続きとても立派でした!!


この太郎吉をとりまく人々の温かさもとても良かった。

太郎吉が来るのを迎える祖母・小よし市川齊入さん)の手、
実盛に小万の死を聞かされて、太郎吉の膝を力強く撫でる祖父・九郎助片岡松之助さん)。

この夫婦が、馬に乗せてもらった太郎吉に手を振ってくれるところも、ほのぼのとしていて思わず頬が緩みました!太郎吉嬉しいだろうなぁ。笑


太郎吉との絡みで最もぐっときたのは、やはり瀬尾中村歌六さん)です。 

瀬尾、最初はやっぱりどう見ても悪いやつにしか見えないんです。
話し方も話す内容もいちいち高圧的だし、一旦立ち去るところの去り際のセリフも嫌味っぽい。

「腹に腕(かいな)があるからは、胸に思案が…いやいや、なくちゃかなわぬ」

みたいな感じのセリフだったかと思うのですが…どうにも嫌らしいなぁ。笑

ちなみにここの言い方が個人的に好きで、「胸に思案が」まではいかにもな感じで勿体をつけて言うのですが、「いやいや」でふっとくだけるのです。
その感じがもしかすると、先述の嫌味っぽさを感じた所以なのかもしれません。…どうだろう、うまく説明できないのですが。。

その嫌らしい瀬尾が後半は一変。

小万を足蹴にするとき、瀬尾は一瞬ためらいます。
それでも我が娘の亡骸を蹴飛ばして、わざと実の孫である太郎吉に刺される。

刺されてからの瀬尾、本当に好きです。

いとおしそうに太郎吉に手を伸ばす様子、
「これ孫よ、爺ぢゃ、爺ぢゃ、爺ぢゃわやい」と大事な孫を抱き寄せる様子…
実の孫と対面できるのが、奇しくも自分を斬らせて武勲を立てさせる場面になってしまうという、壮絶で悲しい場面の中に、太郎吉への愛情が溢れていました。

太郎吉、どこまで状況を理解しているんだろうか。。何歳くらいの設定なんでしょう。
嫌なやつと思っていたこのじいさんが、本当は命がけで自分の将来を考えてくれたんだと、この場じゃなくてもいいから気付いてほしいな。

平馬返りという大技こそなかったけれど、歌六さんの瀬尾の深みはやっぱりとても好きです。


さぁ、やっと実盛片岡仁左衛門さん)を語りますよ!!笑

ポスターからも分かる通り、実盛、大変に格好良いのです。

葵御前中村米吉さん)の子が生まれた」と差し出されたものを、立場上どんな気持ちで確認すれば良いのかと思案するところから、
包みを開き、中が片腕であるのを驚きをもって瀬尾とともに見てきまるところまでの、一連の流れの美しさ。
腕を挟んで実盛と瀬尾がきまったところ、絵にしてほしいくらいでした。

腕を切った女がこの家の娘であり、幼い太郎吉の母であると分かったあと、無礼を顧みずに「なぜ切った」と詰め寄る九郎助の言葉を聴く実盛の表情も、胸に刺さります。

平家の中にありながら、源氏再興を潰えさせたくない実盛の立場としては、あの場面では腕を切るしかなかった。
しかしそうは言っても、やはり一人の娘であり母である小万を殺してしまった、という事実に変わりはない。
その間で苦悩する鎮痛な表情に、平家の武士ではない、一人の人間としての実盛が表れてくるなぁと思いました。

その苦しみがあるからこそ、のちの太郎吉に向ける優しい顔がまた重みをもって見えてきます。
この子の母親を救えなかったこと、この子がのちに源氏の大将になるべき人の家来になること。
いろんな思いがありながらの、あのいとおしそうな笑顔なんでしょうね。

綿繰り機の馬にまたがって「勝負!」と息巻く太郎吉のもとに、扇子をぱちぱちやりながら気持ちよく歩いていく実盛、絶対子供好きなんだろうなぁという雰囲気。
そのあとに太郎吉の鼻を拭いてあげるところとか、葵御前の産屋を覗こうとする太郎吉を連れ戻しての「つねつねするぞよ」というセリフとか、
自分が子供だったらああいうおじちゃんは無条件に信頼してしまうなぁと思いました。笑

そんな場面があってからの、最後の花道。

馬を出す瞬間、それまで伏せていた目を、きりっと上げて前を見据える実盛。

もうここからは、一人の武士としての実盛です。

これまでの全てを含みこんで、自分がゆくゆくはあの子供に討たれるのだという未来も胸にありつつ、救えなかった小万のことも思いつつ、実盛は生きてゆくのでしょう。

実盛の人間として、武士としての凛々しさ、格好良さが、あの目に全て表れているようで、やられました。


■まとめ


先述しましたが、「実盛物語」は純粋にいい話なんですよね。
誰も悪くないんです(告げ口する矢走仁惣太片岡仁三郎さん)は別として)。だから、一人ひとりにとても感情移入してしまうし、胸を打たれるのです。

初見で好きだなぁと思った話をこうして別の配役で観られて、新たな感動を得られるのは、歌舞伎のとても好きなところ。
平成中村座と違って今回は気軽に幕見に行けてしまうので、おかわりの誘惑に打ち克てるかが今月の課題となりそうです。笑

【関連記事】
▶︎平成中村座で観た初めての「実盛物語」の感想はこちら
▶︎初心者向けに情報を絞った「実盛物語」予習記事はこちら
 
 

なるべく着物を着たい、という話。


着物の普及とか伝統とかそういう話ではなく、なかなか切実な話を耳にしたもので。

そもそもこのことを考えるきっかけとなったのは、以前ご紹介した本『舞うひと』(草刈民代、平成29年、淡交社)の中での、
市川猿之助さんの衝撃的な一言でした。

「日本舞踊はこのまま滅びると思いますけどね」(p.176)

要は、江戸時代と今では身体の使い方も骨格も、歩き方からして違う。
だから「振りとしてはできても、かつての舞踊と同じ身体の動かし方はできない」(同上)ということ。

踊りのイメージが強い猿之助さんの言葉は重く、説得力がありました。

そんな背景がありつつ、先日歌舞伎に詳しい方とお食事をする機会があり、
その方が憂えていらっしゃったのが、昨今の時代劇のお話。 

いわく、ちょっとした所作がなんだか違う、と。

何も難しい動き、専門的な動きではないはずなのに、立つ、座る、振り返るといった何でもないところに違和感がある。

それは、今の人は着物を着ないからだ、と。

曲がりなりにも踊りを習う身としては、まずい、と思いました。

日常的に着物を着ている人、着ていた人にとっては当たり前であろう身のこなしの貯金が、自分には何もない。
それこそ「振りとしてはでき」るようになるかもしれないけれど、やっぱりそれは、自然な身体の動きではないと思うのです。

もちろん踊りのお稽古は和服なので、週に何度かは着物や浴衣を着ることは着ます。
しかし着物を着て何をしているかと言えば、踊る以外はせいぜい座っているとか音楽をかけるくらいなもので(あとはお菓子をむさぼったりとか笑)、「着物で生活している」とは言いにくい。

つまるところ、私が着たいのは「おでかけのときの着物」というより、むしろ「家の中での日常着としての着物」なんです。

誤解のないように申し上げますと、着物でお出かけするの、大好きですよ!
洋服だとおしゃれするのは気恥ずかしいけれど、着物だとなぜか何とかなります。


というわけで、現実的には毎日仕事なので厳しくはあるけれど、理想としては、
・どこにも出かけない週末は着物で過ごす
・仕事から早く帰って来られた日は着る
みたいな生活ができたらいいなぁ、と…

着物で動くことを、自分の中の「当たり前」にまで引き下げていきたい。

江戸時代の身体の使い方は、もうどう足掻いても身に付くものではありません。
それは致し方ないとして、せめてまだ何とかなる部分は何とかしたい。

そんなことを考えている日々です。
 

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関連記事▶︎2018上半期イチ面白かった本『舞うひと』感想


プロフィール

わこ

◆首都圏在住╱平成生まれOL。
◆大学で日本舞踊に出会う
→社会に出てから歌舞伎と文楽にはまる
→観劇5年目。このご時世でなかなか劇場に通えず悶々とする日々。
◆着物好きの友人と踊りの師匠のおかげで、気軽に着物を着られるようになってきた今日この頃。

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