先月行けなかったので、ちょっと久しぶりの歌舞伎座です。
行けると思うだけでわくわくできるレベル!笑
さて、8月の歌舞伎座、一日の始まりは「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」。
幼い主君を守るため、我が子を犠牲にする悲痛と、ラストに待つ不気味な演出が印象的な一幕です。
中村七之助さんの乳人 政岡はとてもリアルで、おかしな言い方かもしれませんが、現代に生きていそうな女性でした。
幼君・鶴千代と、それを守る役割を幼くして背負う政岡の息子・千松は、それぞれ中村長三郎くん・勘太郎くんのご兄弟。
まんまと泣かされました。。
テンションの高い今月の大看板。右から二人目が七之助さんの政岡です。
ざっと下準備しておくなら、こんな感じ。
・上手(かみて、客席から見て右)にいる子供が幼君・鶴千代(つるちよ)。お家横領を企む仁木弾正(にっきだんじょう)に命を狙われており、政岡(まさおか)とその子・千松(せんまつ)がこれを必死に守っている。
・途中で出てくる女性・八汐(やしお)は仁木弾正の妹。直接鶴千代を狙える立場なわけです。
■私はこう見た!ここが好き!
初っ端から子供たちにやられますね。。
勘太郎くん演じる千松の、形の美しさが立派です。
鶴千代(長三郎くん)にするおじぎとか、ぴっしりきちんとしていて気持ちがいい。
多分、間なんかもご自身で感じながらやっているんだろうなぁと感じました。
鶴千代の毒見のために、一日一度、母の作ったご飯しか食べられない千松。
空腹のあまり体力がなくなり、それでも鶴千代のために元気でいなければならない。
幼い身に背負わされたその辛さが、胸を打ちます。
そんな我が子の苦しみを痛いほど分りながらも、叱らねばならない政岡(七之助さん)の辛さ。
一方長三郎くんはというと、私が最後に見たのは去年11月の平成中村座なのですが、そこからの成長が著しく。
台詞の聞き取りやすさや視線など、びっくりでした(観劇日は途中でもぞもぞしてたけど…痺れちゃったのかしら)。
ご飯が満足に食べられないことについて、政岡と千松を思いやる台詞の、「わるい」の言い方が可愛らしかった。
可愛らしいがゆえに、現実のどうしようもなさに気付くと絶望的ですね。
その鶴千代に、心配を掛けまいと本心を隠す政岡も切ない。
***
政岡の見せ場は、「飯炊き(ままたき)」という場面です。
先程も触れたように、鶴千代が毒を盛られないよう、政岡が手づから彼の食事を用意しています。
その炊事の場面で、茶道の作法に則りながら、文字通りご飯を炊いていく様子を見せるのです。
ここ、長いのですが私は結構好きで。
何と言いますか、幼き日のおままごとを思い出してわくわくしてしまう(不謹慎)
ご飯を炊く間、幼い二人は何やらボードゲームで遊んでいます。
淡々と時間が流れるなかで、このサイコロを振る音なんかがちょっといい感じ(音フェチ)
途中、政岡が小声で千松を呼び、毒見をさせます。一口食べて、大丈夫、と頷く千松。
本当にね、切ない場面なんですよ。
ただご飯を用意して食べる、それだけなのにこれだけの緊張感をもってしなければならないのが、この場面の現実なんですよね。
ただご飯を用意して食べる、それだけなのにこれだけの緊張感をもってしなければならないのが、この場面の現実なんですよね。
空腹に耐えかねて炊事の様子を見に行っては怒られる二人、
武士として空腹に耐えているのを政岡に褒められたい二人。
こんな状況に立たされていますが、まだまだ子供なんだよなぁと。
特に年若の鶴千代が、千松が褒められた後に自己アピールしてくるのがかわいらしいのです。
特に年若の鶴千代が、千松が褒められた後に自己アピールしてくるのがかわいらしいのです。
***
そうしてやっとご飯にありつけたにもかかわらず、ここからが悲劇です。
栄御前(中村扇雀さん、鶴千代の敵側です)が鶴千代への土産に持ってきた菓子。
幼い鶴千代はやっぱり食べたがりますが、当然政岡が止めます。何が入ってるか分かったものではないからです。
幼い鶴千代はやっぱり食べたがりますが、当然政岡が止めます。何が入ってるか分かったものではないからです。
しかし、それを咎められる。
管領家(栄御前は管領・山名宗全の妻です)からのお菓子をなぜ疑う、と。
窮地に立たされた政岡を救うのは、年端もゆかぬ千松なのです。
千松は、このお菓子がどういう危険を孕んでいるか、ちゃんと分かっています。
だから自ら、何も知らないような顔をしてこれを食べ、あとは鶴千代が手をつけられないように蹴散らすわけです。
案の定苦しみ出す千松。
そんな千松を、「頂き物を粗末に扱った」として八汐(松本幸四郎さん)が刺す。
我が子が理不尽に殺されている状況でも、政岡は何も言わず、ただひたすら鶴千代を守らねばならないのです。
想像を絶する苦しさ。
そして、どこまで分かっているか分りませんが、何にせよあまりにもショッキングな場面に立ち会ってしまった幼い鶴千代。。
想像を絶する苦しさ。
そして、どこまで分かっているか分りませんが、何にせよあまりにもショッキングな場面に立ち会ってしまった幼い鶴千代。。
ここの政岡、以前テレビで観た玉三郎さんのものは、反射のように何よりもまず「鶴千代を守る」というところに頭が行く強さを感じました。
一方、七之助さんの政岡は、ここに千松の母としての気持ちが滲んでいたように思います。
それが良いのか悪いのか分りません。しかし、その辺りが「リアルさ」を感じた理由なのかもしれません。
それが良いのか悪いのか分りません。しかし、その辺りが「リアルさ」を感じた理由なのかもしれません。
そしてこの場面、もう一人注目したいのは沖の井(中村児太郎さん、人間関係がごちゃついていますが沖の井は鶴千代側です)。
この沖の井が、「なぜ千松を切るのか」と八汐に迫るのですが、
私、児太郎さんのこういう芯のある女性が好きなのです。凛として肝の据わった感じ。
私、児太郎さんのこういう芯のある女性が好きなのです。凛として肝の据わった感じ。
***
政岡が本当に悲しみに浸ることができるのは、周りに誰もいなくなってから。
千松のことを抱き、褒めて、褒めて、嘆き悲しみます。
本当はこの誉め言葉、生きているうちにたくさん掛けてあげたかっただろうにね。
鶴千代が最優先だから、本当はしてあげたかったのにできなかったことが、政岡にはたくさんあるに違いありません。
千松もそこに一抹の寂しさを感じていたでしょうし、それを母である政岡が分かっていなかったはずはない。
千松もそこに一抹の寂しさを感じていたでしょうし、それを母である政岡が分かっていなかったはずはない。
その悲しみすら、ずっと抑えなくてはならなかったんです。
この場面の七之助さん、勘太郎くんとの関係性もあるからか、とても熱くて刺さりました。
***
さて、この直前に政岡は、その動じない立ち居振舞いから仁木側と勘違いされ、御家横領の連判状を渡されています。
この連判状を(お話の流れを少々すっ飛ばしますが)どさくさに紛れて奪っていく一匹の鼠。
荒獅子男之助(坂東巳之助さん)が退治しようとしますが、どうやら只者ではなさそう。
さぁ、ここですっぽんにご注目ください。
煙と共に姿を現すのは、大敵・仁木弾正(松本幸四郎さん)。
仁木は、すっぽんから出てきて花道を去っていくだけで、一言も台詞はありません。
しかしこの一連が、いわくありげに、不気味に、ラスボス感満載に進んで行くのです。
不敵に立ち去る仁木の影が、揚幕に近づくにつれて大きく定式幕に映り、「ここで終わるのー?!」とどきどきでした。。
■まとめ
今月は金銭的にどうしても一公演しか観られず、選んだのが第一部でした。
ぶっちゃけてしまえば、どうやら一番売れ行きが悪かったのがこの第一部。笑
でも、私が一番観たかったのはこの公演なのです。
義太夫狂言で聞き取りにくいところがあるのも確か。
登場人物も入り組んでいて、正直ブログを書きながら、きちんと説明できない人間関係がたくさんありました。
登場人物も入り組んでいて、正直ブログを書きながら、きちんと説明できない人間関係がたくさんありました。
でも、ちゃんと伝わりましたよ。泣きました。
現代にも通じる分かりやすさや楽しさだけが、歌舞伎を観る喜びの全てではないのです。
現代にも通じる分かりやすさや楽しさだけが、歌舞伎を観る喜びの全てではないのです。
…とは言え、やじきたも雪之丞変化も観たかったなぁ。
楽しいに違いありませんものね。。
余談ですが、今月の筋書が美しい!
夏ですねぇ。
さて、来月は来月で、また骨太な公演になりそうです。楽しみですね。
物知らず、更新してない。。