ほんのり*和もの好き

歌舞伎や文楽、日本舞踊、着物のことなど、肩肘張らない「和もの」の楽しみを、初心者の視点で語ります。

雑記

日本舞踊好きが「日本舞踊が好き」と語るだけの記事


ここしばらく年末年始休みで踊れておらず、寂しさが募るばかりです。。
私はまだまだ基礎が固まっていないので、下手に自主練をして変な癖がついてしまっても良くないのです。。
早くお稽古始まってくれー!!!

というわけで!!!

想い溢れて日本舞踊が好きだということを語るだけの記事を書きました。笑

***

日本舞踊は、まず音楽がいいんですよ。

華やかな三味線があって、唄(語り)があって。そこにお囃子が入って。

私はお祭り的な音が好きなので、特に太鼓やら笛やら大皮やら鼓やらが聞こえるとうずうずします。
矢も楯もたまらなくなります。

お稽古で使うような録音された音源でもわくわくしてしまうので、生音だともうどうしようもありません。
公演を観に行けば客席で思わず笑顔になってしまうし、自分が踊るときは俄然テンションが上がります。

何なのでしょうかね、この血が騒ぐ感じはもはやDNAレベルのものなのか…家族は誰も踊らないんですけどね…。


で、さらに嬉しいのは、音楽がワンパターンで終わらないというところなんです。

西洋音楽でもA→B→A'→Cみたいな(適当です、すみません)曲の展開のパターンってあると思うのですが、
踊りに使われるような音楽が面白いのは、このAとかBとかが全く違う曲のようになっているところなんです。

つまり、一曲習う中で何曲も踊っているような気持ちで楽しめちゃうんですね!!


例えば、この記事で感想を語っている日本舞踊の代表曲「藤娘」

私が一番好きなのは、後半の 〽︎松を植よなら〜 というところで、ここは「踊り地」と言われる華やかな曲調のところなんです。
賑やかで、振りも比較的速いテンポで、かつ大きく踊っていく。
お扇子を持たずに、手踊り(素手の踊り)で調子よく踊ります。

ですが、同じ「藤娘」の中には 〽︎男心の憎いのは〜 という歌詞で始まる(いかにも大人の女性っぽい感じの)「クドキ」と呼ばれるところもあって、
ここは全然違うしっとりした曲調に合わせて、手ぬぐいを使いながらじっくりねっとり(?)踊るところなんです。

つまり一曲の中で、曲調も、それに伴って踊り方もがらっと変わるわけです。
それって楽しくないですか?!(唐突)

だって楽しい踊りも好きですが、自分のキャラじゃないようなしっとり女性らしい踊りも憧れるんです。
それを一度に楽しめちゃうなんてもう、最高じゃないですか。。(語彙力)

一曲踊る中で何度も「あぁ踊りが好きだなぁ」と感じられるっていうことですよ。最高ですよね。(語彙力)

***

日本舞踊のもう一つ好きなところは、この「いろんな曲調が楽しめる」ということにも通じていると思うのですが、とにかく何にでもなれるというところなんです。

女の踊り一つとっても大人の女性だけでなく、幼い女の子の踊りがあり、もう少し年齢が上がって思春期くらいの女の子の踊りがあり、さらにおばあさんを踊るときもあります(こちらは未体験ゾーン)。

職業で見ても、子守、物売り、お茶屋の娘、、いろいろ工夫ができるのです。


しかも、それが女に限りません。女性だって、男を踊れるのです。

私はこの男の踊りがめちゃくちゃ好きなのです。

初めて男の踊りを教えていただいたのは、3年目のころ。
先輩の踊る男を観てきて、全身を大きく伸びやかに使う男の踊りは何て気持ちが良さそうなんだろう、そして何てかっこいいんだろうと憧れていたのでした。

実際やってみると、女の踊り以上に太ももがきつくて、しんどい割に全然かっこよく踊れないのですが(笑)、やっぱり気持ちがいい。
大きく体を動かすと、何だか精神的にも解放されて、ストレス解消になっています。

かっちりとした品格ある踊りから、大らかでたくさん動く踊り、ちょっと芝居がかった遊びのある踊り、迫力あるかっこいい踊りなど、こちらも様々。

だから、観るのもやるのも楽しくて仕方ないのです。

***

そうなんです、観るのも大好きなんです。
お稽古場で他の方のお稽古を見るのも、舞踊家や歌舞伎役者の方々の踊りを舞台で観るのも。


他の方のお稽古を見るのは、「いつか自分もこれを踊りたい!」というのに出会える貴重な機会です。
好きな振付であったり、表現であったり、曲調であったり。

一方プロの方々の踊りは、もう純粋に気持ちが良い
「うわぁ何であんなに小気味好く体が動くんだろう」「今の一瞬の間にぞわっとしたなぁ…」と感動の連続。
音楽のライブと同じで、いい踊りのあとは拳を突き上げてぶんぶん振り回したいくらい熱くなります!!
(日本舞踊の公演でもそういうリアクションがあっても良いのでは。。笑)

音楽の楽しみに浸りたいからライブに行く。日常を忘れるくらい笑いたいからお笑いのライブに行く。
踊りを観に行くのは、そういうのと全く同じ感覚なんです。
スカッとした気持ちになれるから、私は踊りを観るのが好きなんです。


理由などいりません、踊りは楽しくて心が動けばそれでいい!

***

本当にただ語り散らかすだけの記事になりましたが、今日は踊りが大好きであることがお伝えできたら良かったので、この辺で筆を置きます。

他にももうちょっとましな日本舞踊関連の記事はありますので、ご参考までに…↓

▼▼日本舞踊関連の記事一覧▼▼






2019年 思い出の舞台(歌舞伎・文楽・日本舞踊ほか)


あっという間に年の瀬ですよー!!!どうしてこうも時の流れは早いのか。。

今年もたくさんの古典芸能の舞台に触れられたこと、心から感謝しています。
今回は、今年観た思い出深い舞台を思い返そうという企画です!


★以下、それぞれの演目名をクリックしていただくと感想記事に飛びます!

■歌舞伎


ほぼ毎月観に行きましたが(7月だけばったばたで行けず)、「2019年歌舞伎ベスト10」を挙げるとしたらこんな感じ(上演順)↓

熊谷陣屋(2月)
吃又(3月)
関の扉(3月※国立小劇場)
実盛物語(4月)
野崎村(4月) 
め組の喧嘩(5月) 
封印切(6月) 
沼津(9月)
寺子屋(9月)
市松小僧の女(11月)
蝙蝠の安さん(12月※国立大劇場)

※劇場表記なしはいずれも歌舞伎座

だーいぶ偏りはありますが。笑
どれも時間を巻き戻してもう一回観たい。本当に大切な、幸せな時間でした。

で、みなさん。
お気付きでしょうか。


そうです、11個あります。笑
10個絞り切った後に安さんが楽しげにやってきたので…世界の喜劇王に免じてお許しを…


■文楽


今年は「中将姫雪責」「阿古屋琴責」に始まり、
妹背山婦女庭訓」の通し、「嬢景清八嶋日記」、「艶容女舞衣」、そして今月の「一谷嫰軍記」と観て参りました。

劇場公演以外では、明治神宮で行われた「にっぽん文楽」屋外公演も印象的。
日高川」と「小鍛冶」を、間近で楽しんできたのでした。
これは嬉しい体験でしたねぇ…甘酒もおいしかった。笑 

「妹背山」や「一谷嫰軍記」のように、通しで作品に触れることができたのはとても貴重だったなぁと思います。
歌舞伎との発祥の違い、芸の違いを、改めて感じる機会となりました。

一つの物語として語られる芸能であった浄瑠璃と、役者の芸を観る歌舞伎。
何となく一括りで語られがちですが、楽しみ方が全然違うんですね。

また、通しで観ておくと、ピックアップされる各場面の味わいも大きく変わってきます。 

***

2月の中将姫と阿古屋は特に凄かったなぁ。
今でも思い出すとぞくっとします。

吉田簑助さんの遣う娘の人形はとんでもない濃密さで、すぐに分かります。
先日テレビを観ていた際も、あまりに繊細な動きの人形がいたので確認してみたら、やはり簑助さんでした。
妹背山の雛鳥も凄かったですが、私としてはこの中将姫がとにかく衝撃的で、たぶん一生忘れないだろうと思います。

妹背山の「妹山背山の段」も忘れられない。
ど迫力のサラウンド浄瑠璃と、舞台の上で命を懸けている人形たち…圧巻でした。

「日向嶋」(嬢景清八嶋日記)も良かった。私は文楽のこの雰囲気にノックアウトされたんだったなぁ、と思い出すような舞台でした。


■日本舞踊


大きい公演小さい公演ちょこちょこ観ました。

日本舞踊協会公演この記事)は、今年は一公演しか行けなかったのですが、テレビでも放送した「夕顔棚」が印象に残っています。
長年一緒に過ごしてきた夫婦ならではの、お互い何も言わずに分かるみたいな空気感や温かみ、気心知れた関係だからこそ出てくるおかしみ…
そういう全てを踊りで表現できるのって、すごいですよね。
思わず笑顔になってしまう踊りでした。

それから檜゚男ですよね!
あれは良かった。日本舞踊の手法で大体なんでも表現できる、という自由さ、楽しさが伝わってくる舞台でした。

感想は書きませんでしたが、流派を超えた男性舞踊家集団「弧の会」の公演「コノカイズム」も素晴らしかったです。
衣装をつけない素踊りで表現される、踊りの幅の広さ
衣擦れの音、力強く踏む音、声…男性群舞ならではの迫力に熱狂
本当に会場の温度が上がっていました
お近くで公演がある際には是非っ!!!!

歌舞伎のお弟子さんたちによる舞踊の会「ひとつなぎの会」も非常に印象深い公演でした。
衣装も道具もない手作りの会でしたが、踊りがとても丁寧で、観ていて本当に気持ちが良かった。 
来年も絶対に観に行きたい!
今年が第二回とのことでしたが、ぜひとも長く続いてほしい公演です。
ちょうど自分がお稽古していた曲も出ていて、そういう面でもとても勉強になりました。

それから、中村鷹之資さんと渡邊愛子さんご兄妹の舞踊の会「翔之會」
鷹之資さんの踊りの気持ち良さはもちろんのこと、愛子さんの「道成寺」は今でしか観られないようなエネルギーがあって忘れられません。


■その他


【狂言】

三鷹市の「東西狂言の会」に行ってみました。物心ついてからの初狂言!
いやぁ、楽しかったですねぇ。笑いました!
笑いの方向性って、そう大きく変わらないんだな、と思いました。
これ以来、テレビでも狂言を積極的に観るようになった気がします。

なお、この公演にご出演だった茂山千作さんは、今年9月21日に逝去されました。
素敵な舞台を拝見できて、本当に本当に有難いことでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。 


【女流義太夫】

今年はなんと、三味線と語りの体験にも行ってみたのです。

語りの難しさが!半端ではない!!!
何が求められていて、何を目指すべきか、そのために今何ができるのか…
最初の一歩すらどこにどう出せばいいのか分からず、こんなに何も分からない一時間半は人生で初めてだなぁと思いました。
多分ですが大学の数学科の講義に出た方がまだ理解できたんじゃないかと…(きっとそれも無理)

そんな経験をしてからの、「女流義太夫Special Live」。
竹本駒之助さんの語りと、鶴澤都賀寿さんの三味線です。
本当に鮮やかに、きめ細かく語られていくのを聴きながら、「物語る」ことの力を感じたのでした。
文章って、語られることによってこんなにも色彩を増すのか、という。

何というか、あんなにも難しいものを追究して、深い次元で芸能を成り立たせ続けていらっしゃる方々がいることに、自然と頭が下がるような思いでした。 


【素浄瑠璃】

そんな女義の経験から、ついに素浄瑠璃の会にも出向いてみました。
これまで文楽というと人形を観てしまいがちだったので、語りだけ聴きに行って飽きてしまわないか、ちょっと不安だったのです。

しかし全然そんな心配は不要ですね!
新たな楽しみを知ってしまったぞ!という感じです。笑
 
これも感想をアップし損ねましたが、国立劇場の「文楽素浄瑠璃の会」という公演でした。
竹本織太夫さんの「引窓」が素晴らしかった。泣いてしまいました。。

織太夫さんは、以前講演を聞きに行ったことがあり、そこから密かに応援しているのです。笑
去年観た「夏祭浪花鑑」の「長町裏の段」とか、今年の「日向嶋」(先述)もとても好きでした。

今まで人形メインで観ていた文楽ですが、義太夫の体験、素浄瑠璃の鑑賞を経て、語りそのものも以前より楽しめるようになった気がします。


■まとめ


ふぅぅぅ。
駆け足で振り返りましたが、これでもまだ全然足りないんだから、今年は充実した年だったのでしょうね。
健康に過ごせたこと、(ぎりぎりではありますが)金銭的な余裕があったこと、ありがたいことです。

来年も行ける範囲で無理なく、でも後悔なく楽しめたらいいな。
すでに観に行きたい公演がたくさん控えていて、嬉しい限りです。

***

本年も大変お世話になりました。
お読みいただいていることが、大きな励みと喜びになっております。
小さな拙いブログではございますが、今後とも何卒宜しくお願い致します。

それでは、どうぞ良いお年をお迎えください!


初夏の着物に悩む。


今日は暑かったー!
今年初めて半袖で外に出ました。

その年の「半袖初め」、好きなんです。
そういえばこんな感じで袖から風が通るんだったなぁ、とか、半袖ってこういう軽さだったよなぁ、とか。

同じ感じではだし初めとか、サンダル初めとかも好きです。
これから来る季節にわくわくします。

要は単純なんですよね。笑

***

さて、この時期何が困るって、どの着物を着ればいいのか分からないということなんです。

本来であれば、5月は袷の時期。

しかし全面に裏地のついている袷は、正直言って重いし暑いのです。
20度を超えたらもう、着物の中が蒸されるようで。

気軽なお出かけであれば、何を着たっていいかなぁとも思うんですよ。
現に先日は5月でも気温が高かったので、かなり透け感のあるサマーウールで出かけましたし、早くも夏物をお召しの方もいらっしゃいました。
去年なんかは4月末の時点でかなり暑かったので、夏物を着ていた友人もいましたし。 

ちなみにこの「サマーウール」というのも曲者で、透ける生地のくせにウールなので決して涼しくはなく、いつが最適なのか迷う着物の筆頭です。笑

ですが、たとえば踊りのちょっとかしこまった舞台を観に行くとき(日本舞踊の公演の全てがかしこまっているわけではないので悪しからず!)

行った先には、普段から着物を着ている、いわば着物のプロたちがいらっしゃるわけです。
そして友達との気楽なお出かけではなく、「かしこまった場」です。

そういうところで「いやぁだって袷じゃ暑いじゃないですか~」が通じるのかどうか…
実際、皆さん袷にきっちりお太鼓を締めていらっしゃいましたし。。

どうやって耐えているのでしょうか、
中の襦袢をこっそり夏物にして、半襟だけ袷のものにして、何とかしてたりするのでしょうか。
私は単衣の着物でも襦袢は夏物じゃないともうすでに暑い。 


ともかく!
暑さに弱くてとても汗っかきな私としては、この時期に袷は困難!!
自ら熱中症への道を選んで、一歩一歩踏みしめながら歩いていくようなものです。 

結局改まった場には、洋服を着ていくことになるんですよね。
着物を着たいのに…

洋服だったら、特に気兼ねせずに好きなタイミングで半袖を着始めるのにな。
着物は「季節感」と密接に関わっていて、そこがおもしろいところでもあるのですが、それゆえにどうしても思い切ったことがしにくい気がします。

私がおろおろしているだけで、着ちゃえば意外とすんなり受け入れてもらえるものなんだろうか。

さすがにもろ「夏!」という生地のものは着ないまでも、単衣の透けないもので、かつ柄が夏っぽくないもので、そこそこ改まった場でも何とか切り抜けられないものか。。

ちゃんと分かった上で、自分の考えのもとに「ルール」を崩すのと、よく分からないままにおっかなびっくりやってみるのでは、着たときの安心感が違います。
自分はまだ後者なので、この時期の「ちゃんとした場」での着物は足踏みしてしまうんです。


いろんな場面で着物の人を観察しつつ、着物で無理なく一年を過ごせる方法を探っていければと思います。
 

大向うの掛け声について思うこと。


歌舞伎では、お芝居の最中に「〇〇屋!」「待ってました!」と掛け声がかかります。
いわゆる「大向う」の方たちの声です。 

初めてだと思わず振り向いてしまうかもしれませんが、あれは「観劇中は静かにしなくちゃいけないのにー!」と目くじらを立てるべきものではなく、お芝居を盛り上げるためのものです。
私はあの掛け声も楽しみの一環として、歌舞伎を観に行きます。

結論から言ってしまえば、「大向うの掛け声はなくなってほしくない」という話です。
 

掛け声がなくなってほしくない理由


掛け声のいいところとして、まず「初心者の観劇のガイドになる」というのが挙げられると思います。

初めて歌舞伎座の幕見席に行ったのは、たしか菊五郎さんの「弁天小僧」だったと思うのですが、
「知らざぁ言って聞かせやしょう」のセリフのときに「待ってましたァ!!」と大きな声がかかり、ものすごくわくわくしたのでした。

このときの予備知識としては、このセリフが有名、ということくらいなもの。
でも、それがいつやってくるのか、どんな空気感で出てくるセリフなのかというのは分かっていませんでした。

しかしこの「待ってました」があったからこそ、私はあそこで「例のアレが来るのか!」と分かったし、余裕を持って名台詞を楽しめたのだと思います。

もし声がかかっていなかったら、「あれ、今のだよね?今のを聞いてれば良かったんだよね??」とちょっぴり不安だったかもしれません。

初心者的には、あの声はどこが見どころなのか知るためのガイドになり得ると思うのです。
そして、自分が「ここかっこいい!」と思ったところで「〇〇屋!」とかかると、非常に安心するのです。

***

この「自分がいいと思ったところで声がかかると嬉しい」というのが2番目の理由で、歓声を代弁していただいているという感覚です。

たとえばミュージシャンのライブとか、スポーツの試合とか、感動するものに触れたときって「うぉー!」と大きな歓声が上がりますよね。
しかし劇場内でなかなかそうするわけにはいかず。

なので、自分が「ふぉー!」と思ったときに「〇〇屋!」とかけていただけると、その声にできなかった感動を代わりに声にしてもらった気がしてありがたいのです。

***

3つ目としては、「掛け声が舞台から一番遠いところからかかっている」というのが大きいと私は思っています。
つまり、劇場全体を挟んで声が行き来しているわけです。

これにより、舞台から離れた席でも「劇場にいる」と実感できるんじゃないかな、と思うのです。

劇場全体の空気が客席側からも作られているというか。
自分は幕見席という最も舞台から遠い席ばかりに行っているので、尚更ありがたく思います。

裏を返せば、掛け声次第で劇場の空気がイマイチになってしまう危険性もあるのですが。。
それについては後ほど触れるとして。

***

最後に、ちょっと身も蓋もない話かもしれませんが…

「掛け声がないと始まらない演目」というのがあるのです。
これ、初めて知ったときには「そんなことある?!」とびっくりでした。笑

私が観たのは「お祭り」という舞踊の演目なのですが、もしかしたら他にもあるのかもしれません。

「お祭り」は、鳶頭(もしくは芸者)の「待っていたとはありがてぇ」というセリフがある踊りです(芸者だと当然言い回しが変わります)
つまり、このセリフの直前、踊り手がきまったタイミングで誰かが「待ってました!」と声をかけてくれないと進まないわけです。笑

いや、もちろんそのくだりをなくして次のセリフを言ってしまえば良いのですが、せっかくならこのひとくさり、あった方が楽しいじゃないですか。。

で、このやりとりが楽しく成り立つのは、普段から掛け声がかかっているからだと思うのです。

もし掛け声がなくなったとして、この踊りが出たときに、いきなり「待ってました」と声をかけるのは違和感があるのではないでしょうか。

こういう演目を先々も楽しむことができるように、掛け声はかかり続けてほしいなと思うわけです。


掛け声はどうあるべきなのか?


とはいえ、「掛け声はかかればいい」というものでもなく。
結構この掛け声に関しては、いろんな意見を目にします。

観客全員が息を詰めて観ているような場面で声がかかってしまったり、掛け声のリズムや声質がいまいちしっくりこなかったり。
いろんなことがあるようです。

幸いなことに自分がそういう場面に出食わしていないのであまり言えないのですが、一つこれだけは!と思うのが、

初心者は絶対に声をかけない方がいいということです。

あの声は、ただ闇雲に屋号や「待ってました」を言っているわけではなくて、やはりタイミングというのがあるわけです。
そこを外すと、周りはもちろん、何より役者さんが気持ちよくできないと思うので、
決して初心者が「初心者だから間違えて当然」みたいな顔をして「歌舞伎楽しんでますー!」という雰囲気でかけていいものではないと思います。
(さすがにそういう方はいないとは思うのですが、考えをまとめるにあたって。)

***

それとよく話題になる、女性による掛け声。

女性が掛け声をかけるのは好ましくないという声の方が(男女ともに)大きいように思いますし、伝統としてもかけないものだそうです。

これに対して、私は確固たる理由を見つけられないでいるのですが、やっぱり伝統芸能の世界では「そういうものだから」ということでいいのではないかと思います。

どうしたって男女で体の構造が違うわけで、出せる声も違ってしまいますし。

女性として、自分がものすごく感動したときに「あぁ、自分が男性であったならば…!!」と残念に思うことはあるのですが(笑)、
先述の通りあくまで役者を、芝居を、劇場の空気を盛り上げるための掛け声なので、自己満足のためになっては絶対にいけないと思います。

それは女性だからとか関係なく。



そんなわけで、いつもながらえっちらおっちらどこに行き着くか分からない記事になってしまいましたが、
要は、掛け声をかけるということは歌舞伎の世界には残っていてほしいし、
そのために、初心者であっても掛け声のあり方というものに気を配らなければならないな、と思ったので書いてみた次第です。


日舞サークル時代の些細な遊び


大学の日舞サークル時代、ちょっと手が空いたときにやってみた遊びがありまして、
それがとても難しくて楽しかったのでご紹介します。

その名も、

「日本舞踊・イントロドン」!

これ、踊りを始めたばかりのときほど楽しいです!!笑

何せそもそも曲の知識がない上に、どの曲も同じように聞こえるし、歌詞も聞き取れないわけですこの記事参照)
実際そっくりな出だしの曲はとても多く、すごく自信を持って答えても全然違うこともしばしば。

「分かった!『春雨』!!」
「残念!『香に迷う』でした~」

みたいな。笑(※どちらも出だしが鴬の鳴き声)

いや、でもこれなかなか笑い話だけではなくて、曲の出だしの音が聞き分けられずに苦労したこともあるのです。

例えば、本番で先輩方の音源を流す係をやったとき。
音が分からず、正しい曲を流せているのか自分で判断できないために、違う曲を流してしまっても気付かないのです。。

一度下ざらい(リハーサル)でそのミスをやってしまい、ただでさえ緊張感のある空気が必要以上に張り詰めましたね…。
今でもあの冷や汗ものの空気感は忘れられません 
本番直前まで、手汗かきながら音源の確認をしたあの日。
結局あんまりよく分からずじまいだった、一年目の本番です。

***

そんなわけで、

遊びと見せかけて大事な場面に役立つ(?)日本舞踊イントロドン、
機会があればぜひやってみてください。笑

プロフィール

わこ

◆首都圏在住╱平成生まれOL。
◆大学で日本舞踊に出会う
→社会に出てから歌舞伎と文楽にはまる
→観劇5年目。このご時世でなかなか劇場に通えず悶々とする日々。
◆着物好きの友人と踊りの師匠のおかげで、気軽に着物を着られるようになってきた今日この頃。

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