先日、「あなたは何で歌舞伎が好きなの?」と聞かれて
返答に詰まってしまいました。
えぇ…何でだろう…笑
「好き」を説明するって、難しいですよね。
その場では上手くまとまらず、うやむやにしてしまったので、
ここで少し考えてみました。
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まず、
私は特定の役者さんを贔屓にして、
その感情を表に出す、ということが苦手です。
もちろん演目を選ぶときは、
どなたが出るのかに大きく影響されますし、
「仁左衛門さんの当たり役をみること」だったのですが、
どなたが出るのかに大きく影響されますし、
観ている中で特定の役者さんに圧倒されたり、
惹かれたりすることだってありますし、
初めて自分で観にいった歌舞伎も一番の目的は「仁左衛門さんの当たり役をみること」だったのですが、
できる限り役者さんに引っ張られ過ぎないようにしています。
なるべく自分の目で、フラットに、
自分だけの価値観を作って
自分だけの感想を持てるようになりたいと思っているからです。
自分だけの価値観を作って
自分だけの感想を持てるようになりたいと思っているからです。
盲目的に流されるようなことは避けたい。
ちゃんと軸を作っていきたい。
(何かにはまると一直線になってしまうのを自覚しているので笑)
ちゃんと軸を作っていきたい。
(何かにはまると一直線になってしまうのを自覚しているので笑)
だから、「●●さんが好きだから歌舞伎が好き!」というわけではないのです。
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「伝統文化好きだよね」と言われることもありますが
「伝統文化」だから好きなわけでもありません。
何百年も伝えて、芸能を守り続けてきたことには素直に頭が下がる。
でも、歌舞伎にしろ文楽にしろ、
私は「伝統文化」だと思って観ていません。
確かに多少言葉が分かりにくくて、
時代背景も全然現代ではありませんが、
かっこいい、かわいらしい、
可笑しい、悔しい、悲しい、
可笑しい、悔しい、悲しい、
そういう感情は何も変わらないと思うし、
素直に心が動きます。
素直に心が動きます。
歌舞伎や文楽からは離れますが、
最古の歌集と言われる『万葉集』だって、
今からあれだけ時が遡るのに
ものすごく純粋に胸を打つ。
学生時代、特に万葉挽歌(悼む歌)に触れるたびに
いつも涙が出そうでした。
遠回りしてしまいましたが、
何が言いたいかというと、
「伝統文化」と括られるものでも
人間の生の部分は大きくは変わっていないということ。
そしてスーパー蛇足ですが、「古いから内容が分からない」という観点から言えば、
私は人の顔を覚えることと話の展開に予測をつけて理解することが苦手なので、
何なら現代演劇でもドラマでも背景や人間関係が分からないまま終わることが多々あります。笑
私は人の顔を覚えることと話の展開に予測をつけて理解することが苦手なので、
何なら現代演劇でもドラマでも背景や人間関係が分からないまま終わることが多々あります。笑
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では歌舞伎の何に惹かれてしまうのかというと、
たぶんそれは、全部引っくるめたあの空気なんです。
提灯がずらりと並ぶ劇場内、
幕が開く前から囃子が鳴り始めてわくわくを高め、
ついにジャーっと音を立てて定式幕が開いていく。
音楽が賑やかに響き、
揚幕がシャリンと開いて花道を役者さんが歩き、
あんなに客席に近いところでお芝居が始まる。
盛り上がるところはツケがばたばたばたっと鳴って、
舞台上では役者さんたちが、
これでもか!というほど見せつけてくる。
はっとするほど美しい瞬間があり、
人間らしさにぐっとくる瞬間があり、
ずるいくらいかっこいい瞬間がある。
はっとするほど美しい瞬間があり、
人間らしさにぐっとくる瞬間があり、
ずるいくらいかっこいい瞬間がある。
幕間になれば幕の内側でトンカントンカン舞台を作る音が聞こえ、
また音楽が始まり、わくわくのうちに幕が開く…
華やかで生き生きして、
舞台だけでなく劇場全部を巻き込む、
あの空気に圧倒されて、どうしようもなく血が騒ぐ。
そこに理由なんてないのです。
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聞かれたときにはうまく答えられなかったけれど、
多分私の「好き」の中身はこんな感じ。
こうやってまとめてみると、
歌舞伎の音響効果ってすごいんですね。
私が音フェチというのもあるのですが笑
今、この文章を書きながら劇場の空気を思い出して
それだけでわくわくできるくらいには、
「歌舞伎が好き」と言えるのではないかと思っています。
それだけでわくわくできるくらいには、
「歌舞伎が好き」と言えるのではないかと思っています。