ほんのり*和もの好き

歌舞伎や文楽、日本舞踊、着物のことなど、肩肘張らない「和もの」の楽しみを、初心者の視点で語ります。

歌舞伎・文楽

ART歌舞伎が素晴らしかった話。


お久しぶりです、と書き始めるのももどかしいくらいとにかく素晴らしかったので、大変失礼ながらもう一切合切抜きにして語り始めますね。

本当に本当に、配信でこんなに心打たれるものが、しかも新作が、今この時期に観られるとは思わなかった。

あの熱さ、美しさ、、
泣けて泣けて仕方ありませんでした。 

ART歌舞伎 公式サイト
↑ここから、7月19日(日)18時までアーカイブのチケットが買えます
7月19日(日)23時まで観られます!!

少しでも興味があるなら、どうかぜひ観てほしいです。

あらゆる文化芸能が行き詰まって、心が疲れてしまっている今こそ、ぜひ観てほしい!! 


***

ART歌舞伎とは何ぞや、という説明はもう公式サイトを見てください(丸投げ)
早くしないと自分のこの気持ちがどこかに逃げてしまうので、まずは語らせてください。一曲ごとに!!!


1.四神降臨

曲も踊りも文句なくかっこいい一曲で幕開け。

どの瞬間も観ていて気持ちがよくて、やっぱり踊りが大好きだ!!!と心から思った作品です。
そういう新作の踊りが観られる幸せと言ったら!(楽しみにしていた日本舞踊の公演がことごとく延期になってしまっていたので。。)

四神それぞれの一人踊りがあるのですが、それぞれ箏(中井智弥さん)、笛(藤舎推峰さん)、津軽三味線(浅野祥さん)、太鼓(山部泰嗣さん)の楽器に合わせて踊るのです。

これがすごくて。

それぞれの楽器の間、踊りの間ってあると思うのですが、楽器と踊りとの融合が見事で、「うわ、その音でそうやって動くのか!」というのが面白くてかっこよくて。

踊りはやっぱり楽しい。かっこいい。どこまでも可能性がある。

収録日は雨だったのですが(※屋外の能舞台での撮影です)この作品において雨は「生憎のお天気」ではないんです。
偶然拾われた雨音の、何とふさわしいことか。
映り込む雨すら、まるで演出であるかのような美しさです。

夜の能舞台、というところがまた儀式のような雰囲気を高めていて、とにかく曲・踊りに加えてシチュエーションまで完璧に噛み合っていました

シチュエーション、と書きましたが、でもやっぱりこれは劇場で生で観たら、また全く違った良さがあるんだろうな。
客席も一緒に熱くなるんだろうな。うわぁっと拍手が起こるんだろうな。
映像を観ながら、ちょっとそんな劇場の空気を勝手に感じていました。


2.五穀豊穣

浅野祥さんによる民謡と三味線、山部泰嗣さんの太鼓で奏でられる音楽。

これはぜひ生で聴く機会がほしい。生で聴いたら、音圧にやられること間違いなしです。
配信で観るときは、イヤホンもしくはヘッドホン推奨
私はヘッドホンで、結構な音量で聴きました。打楽器好きの血が騒ぐ。

地を轟かすような太鼓。
これまでの鬱屈した日々を切り拓くような三味線。

これなら、この音楽があるなら、ちゃんとまたいろんなものが蘇るはずだと思えるような力強さとエネルギー。

めちゃくちゃかっこいいです。もう言葉はいらぬ。


3.祈望祭事

これは途中から三番叟の節で、お扇子(これも作品に合わせた装飾に驚く)と鈴で踊るのですが、ここから先のエネルギーがすさまじい。
今しか出すことのできない熱量にガツンとやられてしまうんです。

いつもとは違った楽器編成で奏でられる三番叟、どんどん早くなっていって、踊りもどんどん激しくなっていって。

これまで何ヶ月もずっと堪えてきた想い、今こうして舞台を創り上げることができる歓び、そういういろんな感情が一気に爆発したような時間

その力に触れたのが、私は何だか嬉しくてたまらなくて、泣けるドラマがあるような演目ではないのに、涙が止まりませんでした。

ただもう、ありがとう、という気持ち。

多分、この踊りでこんなに泣けてしまうのは、今だからなんだろうな、と思います。
この踊りにあれほどまでのエネルギーが溢れているのも。

もちろん作品としてとても好きなのですが、これを今観ることができたことに、とても大きな意味があると思うのです。


4.花のこゝろ

見事。の一言に尽きます。(と言ってがちゃがちゃ語りますが)
一本の良質な映画を観たような充足感と余韻。映画と比べるべきか悩むけれど。。

陰翳や、思わぬところのアップなど、映像でなければ叶わないような繊細な表現に何度も感嘆しました。
写真だけ見ると奇抜な拵えかもしれませんが、全く負けていない、違和感がない、むしろこれでなければ成り立たなかったような気にすらさせる世界観。

中村壱太郎さんと尾上右近さんが踊りで紡いでいく世界はどこまでも濃やかで、切なくて、表情一つとっても一瞬たりとも見逃せない。

そしてクライマックスの花柳源九郎さんと藤間涼太朗さんお二人の踊り、たまらなく心揺さぶるのです。
お二人の手許だけがアップになる場面があるのですが、私はここで涙腺崩壊でした。これネタバレになるんですかね、言わない方がいいんですかね。。

でもこれだけは言いたい、手許だけでこんなに胸打たれるのは、映像だったからなんです。
舞台では、ここまで手許がクローズアップされることはほぼないと思う。
一連の物語を観てきて、一番感情が盛り上がってきた場面で踊るお二人の、あの指先に込められたものを思うと切なくて。。

あと、この「花のこゝろ」、特筆すべきは音楽なんです。
兎にも角にも曲がいい。

二十五絃箏の中井智弥さんの楽曲が使われているのですが、彩り豊かで目が覚めるようで、もうこの演目にはこれ以外にない、というドラマティックさ。
演奏も熱くて、舞台にいるすべての演者さんの熱量がぎゅっと凝り集まってぶわっと広がるような、映像であるにも関わらずその熱がこちらにも直に届いてくるような舞台でした。

演者さんだけでなく、関わっているすべての方々の思う方向性、傾ける気持ちの量が、がっちり合っていらしたに違いない。

アートを、芸術を、芸能を、絶対にここで途絶えさせてはならないんだと、観終わったあとに強く思いました。

あぁだめだ、言葉が足りない。。どうしたら伝わるんだろう。。

***

正直、観るかどうかぎりぎりまで迷ったんです。
チケット買ったの、配信1時間前ですからね(割と本気のぎりぎり)

というのも、配信公演というものが私はどうしても苦手で。
チケットを買うのも、映像を観るのも、デジタルが苦手な自分にとっては何だか億劫な気がしてしまって…その上、舞台の臨場感にはやっぱりどうしても敵わないし。

と迷いに迷いつつ、でも壱太郎さんと右近さんだよな…きっと間違いないよな…えいやっ!とチケットを買った結果、

観終わった翌日の今日も一日余韻に浸っています。

あまり良くないことと思いつつ、見逃し配信でぎりぎりまで観させていただいて、またぼろぼろ泣いて。

あー、歌舞伎が好きでよかった。
踊りが好きでよかった。
思い切ってチケットを買ってよかった。

ART歌舞伎に出会えて、本当に本当によかった。

見た目でちょっと引いてしまった方、観終わったら絶対「このアートワーク以外にない」と思っているはずです。
「新作より古典の方が好き」という方、私もそうですよ。
配信に抵抗がある方、この作品は映像で観るからこその良さがいたるところに詰まっています。

もちろん生の舞台が大好き。
でも、この作品に関しては、映像として残していってほしいと心から思います。

このブログを随分止めてしまって、この先どうしようと思っていたところで出会ったART歌舞伎。
どうしても書いておきたかったんです。そういう作品だったんです。

もう一度リンクを貼らせてください。

ART歌舞伎の公式サイト

今、この時節にこの作品を作って届けてくださったことに、心から感謝しています。


 

「連獅子」初心者はこう楽しんだ!〜壽 新春大歌舞伎(令和2年歌舞伎座) 夜の部感想


行ってまいりました、新年の歌舞伎座です。

劇場前は新春らしい雰囲気!

【修正済み】新春芝居前

気持ちが高まります。いいですね。

***

さて、新年の歌舞伎座。いろいろ観ましたが、今月はこれに極まるかもしれません。

夜の部二幕目、市川猿之助さんと團子さんの「連獅子(れんじし)

正直、連獅子で泣いたのは初めてです。
こんなにドラマティックな連獅子はなかなかないのではないでしょうか。

最近何かといろんな機会に目にすることが増えてきた連獅子。
ブログの更新は遅くなってしまったのですが、あまりに良かったので、この機会に何とか!と思い、あまり歌舞伎を観ない友人にも薦めまくりました。笑
 
千穐楽を過ぎてから言うのも憚られますが、普段歌舞伎を観ない方が初めて出会った連獅子が今月だったとしたら、きっといい出会いになられたのではないかと勝手に思っております…!(誰目線)
 

 
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今月のポスター。右下に連獅子が見えますね。
左(白)が市川猿之助さんの親獅子、右(紅)が市川團子さんの仔獅子です。


■初心者でも楽しめるのか?


楽しめると思います。

後半の毛振り(紅白の毛をぐるんぐるん振るところ)がよくクローズアップされるので、どうしても「毛振り待ち」みたいなところがある演目なのですが、
実は毛振りは後半も後半で、バランス的には毛を付けていない前半の踊りが長めなのです。

そのため前半で飽きてしまうこともあるかと思うのですが(私も話を知るまではそうでした)、特に今回の連獅子、前半がめちゃくちゃいい

後述しますが、親子の表情に連獅子の物語がぎゅぎゅっと詰まっていて、踊りもすごい迫力で、胸躍らせながら観ました。

★ストーリーと見どころはこの記事にざっとまとめてあります。 


■私はこう見た!ここが好き!


最初から格調高くてとても素敵なのですが、特にぐっときたのは、親獅子(市川猿之助さん)と仔獅子(市川團子さん)それぞれの一人踊りが終わったあたりからです。
※正式にはこの段階では、役名は親獅子と仔獅子ではなく、狂言師右近と左近なのですが、分かりやすさ・伝わりやすさ重視でこのまま行きます。

親は仔を谷底に突き落とし、登ってくることができた仔だけを育てる、という言い伝えを踊りで見せていくところなのですが、ここがとにかくものすごくエネルギッシュ

今回の連獅子は、澤瀉屋(猿之助さんの屋号)の振りがついていて、普段よく目にする連獅子よりも振りの手数が多いそうです。
確かに見ていて、足の細かい動きの多さ、動きの激しさに驚きました。
そういう演出面での違いというのは、もちろんあると思います。

しかし、それだけでない気迫というか、痺れるような緊張感があったような気がします。

私が衝撃を受けたのは、縋り付く仔を親獅子が振り払う手の強さです。
決して妥協はしない、という親の覚悟のようなものが、びしりと払う手先から感じられました。
舞台から最も遠い4階で観ていたにもかかわらず、自分が振り払われたかのような衝撃。
 
対する仔も必死です。
仔獅子はとにかく振りが多く、常に何かしら動いているのですが、忙しく見えないのはきちっとしていたからなのかなぁと思います。

そしてこの親子の激しいやりとりが、後の再会を引き立てるのです。

仔が一度谷に落ち(花道が谷底に見立てられます)、なかなか登ってこないのを心配する親。
ここの猿之助さんの表情。
「登り得ざるは臆せしか あら育てつる甲斐なやと」の歌詞が沁みます。

それぞれの位置から、谷を流れる川の水面をのぞきこむ親子。
水に映ったお互いの姿に気付き、親の姿を目にした仔は奮起、谷から駆け上がってくるのですが、

ここ!ここの仔獅子の!誇らしげな表情!!!親獅子の安堵の表情!!!!

もう二人が舞台中央で再会したときは、思わず全力の拍手をしておりました。
良かった、良かったよ…!!!

私は連獅子のここが一番好きなんです。いっちばん好きなんです。
その一番好きなところを、こんなに濃密に踊ってくださるのを観ることができて、歌舞伎を好きになって良かった、この舞台を観にきて良かったとひたすら感謝でした。

ここからの二人で踊るところ。
親子が再会できたこと、仔獅子は自らが成長できたこと、親獅子は我が子が逞しく頼もしく育っていることに対する喜びがあふれていて、観ているこちらも思わず笑顔になってしまいます。

何せ踊りのキレの良さがあるからこそ、表情にも注目できるんですよね。

「宗論」と呼ばれる楽しい部分を挟み、いよいよ毛振りです。
「連獅子は前半が大好き」と言ってはいますが、やはり毛振りは迫力があって、テンションが上がります
軽快な音楽にも心を煽られますね!ここの太鼓の音が最高に好き…

どっしり構えた猿之助さんの貫禄と、團子さんの勢いが、そのまま親獅子と仔獅子の役柄に表れているようで、見事でした。


■まとめ


連獅子は、何度も書いていますがとてもドラマのある舞踊で、曲も動と静のバランスが素晴らしく、太鼓・大皮・鼓の作り出す緊張感や盛り上がりも素敵なので、割とどの役者さん(舞踊家さん)がやってもそれなりに満足して観られてしまうところがあります。

しかし、今回の連獅子はちょっと凄かった。
何度も観たはずの舞踊なのに、ぐいぐい引き込まれてしまう強さがありました。

古典の歌舞伎や舞踊は、同じものを何度も何度も上演するわけですが、「あの演目は一度観たからいいや」とならない理由はここにあるな、と。
知っている演目でも、役者さんによって全然違うし、いつだって新たな発見や感動に出会える可能性があるんですよね。。


ちなみに今回の澤瀉屋の型は初めて観たのですが、見慣れた連獅子と大きく違うのでとても興味深かったです。
おそらく他の型もあると思うので(すでに習っている流派は振りが違う)、いろんなものを観ていきたいと思います。 
 

満足!!

 

物知らずが行く歌舞伎#18〜新春浅草歌舞伎(令和2年浅草公会堂)今の知識と演目選び

この企画は、「知識が足りないから…」と歌舞伎への第一歩を踏み出せずにいる方の背中を押すべく、
歌舞伎歴2年の初心者が何をどのくらい知っていて、何を目的に観に行くのかをさらけ出す企画です。
初心者の無知っぷりと、この2年でちょっと学んだことを、背伸びせず、恥ずかしがらずにお伝えできればと思っています。


年末年始休みにつき、全力で更新しております。笑

新年はとにかく、いつも以上に歌舞伎公演が多い!
まだ遠征はしないワタクシ、専ら都内でしか観劇しませんが、今年は歌舞伎座に加え、新春浅草歌舞伎、国立劇場新春歌舞伎公演に足を運ぶ予定です。
(新橋演舞場は諦め。本日時点で1等以外は売切でした。「鈴ヶ森」と「め組」は観たかったのですが…)

今回は浅草公会堂で行われる「新春浅草歌舞伎」について、「こんな感じで観にいきますよ〜」というのをお伝えできればと思います。

ちなみに新春浅草歌舞伎は、若手の役者さんたちが主になって行われる公演です。
公演前に日替わりで役者さんがご挨拶される「お年玉」という大きなお楽しみがあるのが嬉しい!

新春を迎えた浅草の雰囲気が味わえるのも良いところです。

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写真は去年の浅草公会堂の様子。華やかですね〜!



■浅草公会堂 新春浅草歌舞伎の演目は?


令和2年の新春浅草歌舞伎、演目は以下の通りです。

【昼の部】
一.花の蘭平(はなのらんぺい)
二.菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
 寺子屋
三.茶壺(ちゃつぼ)

【夜の部】
一.絵本太功記(えほんたいこうき)
 尼ヶ崎閑居の場
二.仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
 祇園一力茶屋の場


■各演目について、現時点での知識


*そもそも知っている演目はあったのか?


【昼の部】


「寺子屋」は何度も観ている演目です。
直近では昨年の秀山祭、中村吉右衛門さんの名演が記憶に新しいところ。(この記事

「茶壺」も、映像で何度か観ています。楽しい舞踊の演目です!

「花の蘭平」は、歌舞伎「蘭平物狂」が元だろうとは思うのですが、この「蘭平物狂」が分からないんですよね。笑
 

【夜の部】

「尼ヶ崎閑居」も去年、歌舞伎座でかかりました。ちょうど一年前になるのですね!(この記事

「祇園一力茶屋」は、名前ばかり知っていて、とても有名なのも分かっているのですが、残念ながら内容が分かっておりません。。


*現時点で知っていることは?


◇菅原伝授手習鑑(寺子屋)


以前大まかにまとめたものを再掲します↓

------ 

「忠義のために我が子の命を犠牲にする」という、浄瑠璃に非常によく見られるお話の流れです。

ものすごくざっくり書きますと、

舞台は藤原時平(しへい)vs菅丞相(かんしょうじょう)という時代にあります。
時平側は菅丞相の息子・菅秀才(かんしゅうさい)の命を狙っており、これを避けるために菅秀才は田舎の寺子屋に匿われています。(※この辺りの設定は、特に芝居の中では触れられないはず。)

しかし実はこの居場所がすでにバレており、寺子屋を営む武部源蔵(たけべげんぞう)夫婦は、菅秀才の首を差し出すように命令されているのです。

何としても菅秀才の命は守らねばならない源蔵。

折しも今日、この寺子屋に新たに入門してきた男の子がいました。
ちょっとこの辺りでは見ないような、品のある顔立ちをしています。

そうです。
「菅秀才」と偽ってもおかしくないような雰囲気をたたえているわけです。
 
源蔵夫婦、苦渋の決断でこの子を身代わりにして、首を差し出すのです。

首実検にやってきたのは、時平に仕える松王丸。
差し出された首を見て(この「首実検」が見せ場!!)、子細ありげな様子を見せながらも「相違ない」と、この首が菅秀才の首であることを認めます。

しかし、歌舞伎において首が本物であることなんてほぼなく。笑

さてこの首の正体とは、松王丸の隠している真実とは、というところに大きなドラマがあります。

最後の「いろは送り」と呼ばれる部分が名文なので、ぜひ浄瑠璃にも耳を傾けてみてください。

【関連記事】
「団子売」「菅原伝授手習鑑」(文楽鑑賞教室@国立劇場)観てきました!
 「寺子屋」初心者はこう楽しんだ!〜秀山祭九月大歌舞伎(歌舞伎座) 夜の部感想
 

◇茶壺

狂言が元になっている、楽しい舞踊です。

主人の命で茶の買い付けに行ってきた田舎者の麻胡六は、酒に酔っ払い、あろうことか道端で居眠りを始めてしまいます。
そこにやってきた盗人の熊鷹太郎、この麻胡六の茶壺を盗もうと目論見ますが、そこに目代(代官)が通りがかり、この二人の茶壺の取り合いを仲裁し始めて…という流れ。

この麻胡六と熊鷹太郎のやり合いが面白い!
特に、後半の二人の連舞いが大きな見せ場です。リズムの良い踊りに観ていて楽しくなること請け合いです。


◇絵本太功記(尼ヶ崎閑居)

主君を殺してしまった武智光秀(=明智光秀)と、その運命に巻き込まれる家族たち、光秀の苦悩が描かれる場面です。
光秀は途中からの登場ですが、この場面における主人公は、光秀と言っていいと思います。

事前にこのくらい分かっておいたら楽かなぁ、というのを以前ちょこっと書いていたので、ちょっと編集しつつ再掲します↓

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まず物語の前提として、「武智光秀vs真柴久吉(=羽柴秀吉)という構図があり、
その原因となっているのは「光秀が主君である小田春永(=織田信長)を討った」ということ。
久吉は春永の仇を討つために、光秀を追っているのです。 

加えて最低限分かればいいのは、舞台に出てくる人々の人間関係かと思います。

皐月(母)
 |
光秀=操(妻)
  |
 十次郎(息子)=初菊(息子の許嫁)


という血縁関係です。

このうち、光秀以外の人が前半の物語を進めていきます。 

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織田信長と明智光秀、豊臣秀吉が名前を変えて登場するお芝居です(この場面に出てくるのは秀吉と光秀のみ)。
「直接名前を出せないのでちょっとひねりました」パターン、歌舞伎でよく見る気がします。

【関連記事】「絵本太功記」初心者はこう楽しんだ!~壽 新春大歌舞伎 夜の部感想


■観てみたい演目と気になるポイント


今年の大河ドラマは明智光秀とのこと、光秀が出てくる「絵本太功記」はタイムリーかもしれませんね!(先日「にっぽんの芸能」(番組についてはこの記事でも取り上げられていました。)

「忠臣蔵」も、有名な場面にも関わらず私は観たことがないので、本当は観ておきたいところ。

と言いつつ、
舞踊大好きな私がチケットを取ったのは昼の部でして。。

「茶壺」が楽しい舞踊だと知っていればもう、行かないわけにはいかないのです。笑
まして麻胡六と熊鷹太郎が中村歌昇さん坂東巳之助さんとあっては。巳之助さんの熊鷹太郎は特に楽しみです。

「花の蘭平」も舞踊とのこと。中村橋之助さんの踊り、じっくり拝見したことがなかったかと思うのでとても楽しみ。
橋之助さんは、今年の日本舞踊協会公演にもご出演ですね!(公式サイトはこちら

「寺子屋」は繰り返し観ていますが、何度も観て初めて役者さんの芸を味わえるようになっていくのかなぁと思います。
尾上松也さんの松王丸、きっと熱いんだろうなぁ。。


■まとめ


縁あって、浅草歌舞伎は歌舞伎に本格的にはまる前にも一度足を運んでいます。
まだ右も左も分からなかったのですが、役者さんの年始のご挨拶(「お年玉」)がとても面白く(その時のご担当は坂東巳之助さん)、演目も分かりやすく楽しくて、大満足で帰ってきたのでした。

そんなわけで、きっと新春浅草歌舞伎は親しみやすい公演なのではないかと思うのです。

年がら年中大混雑の浅草、年始はいつも以上にごった返していますが、それもまた風物詩の一つ。
なんとなくおめでたい気分になれるので不思議です。

と言って人混みは大の苦手なのですが。笑
今年も浅草の活気に身を委ねてこようと思います!



物知らずが行く歌舞伎#17〜壽 新春大歌舞伎(令和2年歌舞伎座)今の知識と演目選び

この企画は、「知識が足りないから…」と歌舞伎への第一歩を踏み出せずにいる方の背中を押すべく、
歌舞伎歴2年の初心者が何をどのくらい知っていて、何を目的に観に行くのかをさらけ出す企画です。
初心者の無知っぷりと、この2年でちょっと学んだことを、背伸びせず、恥ずかしがらずにお伝えできればと思っています。


明けましておめでとうございます!
本年も、みなさまにとって素晴らしい一年になりますようお祈り申し上げます。

さて!新年早々2日から、各所で初芝居の幕開けです。早いっ!!!

ぎりぎり幕が開く前に、新春一発目の物知らず更新です。(もはややる意味)
 
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■歌舞伎座 壽 新春大歌舞伎の演目は?


1月の歌舞伎座。
演目は以下の通りです。

【昼の部】
一.醍醐の花見(だいごのはなみ)
二.奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
 袖萩祭文
三.新歌舞伎十八番の内 素襖落(すおうおとし)
四.河内山(こうちやま)
 松江邸広間より玄関先まで

【夜の部】
一.義経腰越状(よしつねこしごえじょう)
 五斗三番叟
二.澤瀉十種の内 連獅子(れんじし)
三.鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)

夜の部最後の「鰯賣戀曳網」、旧字ばかりでちょっと読みにくいですね。。
あとは「言われてみればまぁそう読めるよね」というものばかりではありますが、漢字が並ぶのでちょっとハードルが高いように見えます。
読んでしまえば「あぁそうだよね」となりますが(2回目)


■各演目について、現時点での知識


*そもそも知っている演目はあったのか?


【昼の部】


「素襖落」と「河内山」は、いずれも歌舞伎座で観ました!
が、まさかの感想がブログに上がっていない…よって過去の自分がどう捉えたかがいまいちはっきり思い出せない。笑

あとの二つは初めて見る名前だったはずです。
 

【夜の部】

「連獅子」以外は初めましてですね…。

***

新年早々なかなかの初心者感が出ていて誇らしい限りです。笑
筋書を買って、向こうで予習しつつ観劇する予定です。

 

*現時点で知っていることは?


◇素襖落


何だか割と最近これを書いた気がします…いつだったか…。
観たのは一昨年11月だったかと思います。尾上松緑さんの太郎冠者、ふふっと笑いました。

狂言が元になっている演目です。

主人から使いを頼まれた太郎冠者、使いの先で散々酒をふるまわれた挙句に素襖まで与えられ、上機嫌で帰宅。
大事の素襖を主人に取られまいと必死に隠すのですが、そこは酔っ払いのすることなので、もう先の知れたことですね。笑
酔っ払い具合が愛嬌とおかしみを生む、楽しい演目だったと記憶しております。
 

◇河内山

これ、観てはいるのですが筋をほとんど覚えていないんですよ。。
最後の河内山宗俊の捨て台詞「馬鹿め」があまりにも印象的ではあります。笑

確か河内山宗俊が、実際の身分とは違う偉い坊さんであると自らを偽って(半ば金目当ての)交渉に出向き、 見事に成功したかに見えた矢先に、黒子で正体がバレるという流れだった気がする(うろ覚え)

面白みを理解しないままあらすじだけ伝えることのつまらなさたるや。。作品殺しにもほどがありますね、申し訳ない。。 

初心者の観劇の記憶はこんなもんなんです、というところがお伝えできれば(逃げ腰) 


◇連獅子

最近よく出ている舞踊「連獅子」。
11月には松本幸四郎さん・市川染五郎さん親子の連獅子がかかりました。

以前ちらっとまとめてみたのを、ほぼそのまま引用させていただきます。

------ 

能「石橋(しゃっきょう)」が元になって作られた舞踊です。
とりあえず、次のストーリーが分かれば楽しめるはずです↓

●獅子を手に持って踊るところ

霊地・清涼山にあるとされる石橋の由来を語っていきます。

●獅子を置いてから

親獅子は、仔獅子を谷底に突き落とし、自力で登ってこられた仔だけを育てます

ここでは、

・無邪気に遊んでいた仔獅子が、親に突き落とされ、縋りつこうとするもやはり力尽きて谷底へ
・なかなか登ってこない仔に気を揉む親
・谷に流れる川の水面越しに、親子の目が合う!仔獅子、一念発起!!
・懸命に駆け上がってくる仔獅子と親獅子の感動の再会

というようなストーリーが展開されます。

「連獅子」といえば毛を振るところが有名ですが、私はここが一番ドラマティックだと思います。

●宗論

一旦二人が花道から引っ込み、新たに獅子の拵えで登場するまでの間を、狂言がつなぎます。
どっちの宗教の方が秀でているかを言い争う「宗論」 と呼ばれるところで、これは知らなくても聞き取れるのではないかと思います。楽しいところです。

で!ここから獅子が出てくるまでの音がかっこいいのでぜひ聴いてください!! 

●毛振り

何も考えずに観て楽めばよいと思います(ざっくり)

------

今回は「澤瀉十種の内」とあるので、見慣れたものとは演出が少し違うのかもしれません。それも含めて楽しみ。

個人的に踊りが好きな市川猿之助さんの親獅子と、市川中車さんのご子息・市川團子さんの仔獅子です。


■観てみたい演目と気になるポイント


まず「連獅子」は観ておきたい!
それはもう、連獅子が好きだし踊りが好きだし、猿之助さんがどう踊られるのかを観たいからです。

それから、中村勘九郎さんが久しぶりに歌舞伎座にご出演とあって、「醍醐の花見」「袖萩祭文」「鰯賣」は(少なくともどれかは必ず)観たい。
ちなみに「鰯賣」の禿役は、勘九郎さんのご子息・勘太郎くん長三郎くんが、それぞれ偶数日・奇数日にご登場。こちらも楽しみの一つです。

「醍醐の花見」はどのような演目か知らないのですが、歌舞伎総合公式サイト「歌舞伎美人」によれば舞踊劇とのことで、踊り好きとしてはたまらないですね。笑
「勢獅子」この記事や「お祭り」この記事で渋かっこいい踊りを堪能した中村梅玉さんはじめ、キレのある踊りが大好きな中村芝翫さん・勘九郎さん
最近ナウシカ歌舞伎のクシャナで巷を賑わわせた中村七之助さん、若手の踊り上手と言えば!な中村種之助さん・鷹之資さんなど、個人的に「この方が踊るなら観に行く!」という配役です。

「素襖落」中村吉右衛門さんの太郎冠者に中村又五郎さんの大名、中村雀右衛門さんの姫と豪華な布陣
「河内山」「五斗三番叟」松本白鸚さんが主演で、いずれも重厚感ある舞台になりそうだなぁとうずうずしております。


■まとめ


今月の歌舞伎座、何をいつどう観に行こうか決めきれないまま、先に「新春浅草歌舞伎」と国立劇場の「初春歌舞伎公演」のチケットを取ってしまっております。。
(※浅草の3等席は3,000円、国立にいたっては2等B席でも2,800円と気軽な値段設定なので、こちらもおすすめ!!!)

しかし!

歌舞伎座、やっぱり観たい演目だらけですっ!!!

新年早々スケジュール調整に難渋しておりますが、今月しか観られない貴重な舞台の数々、何とか後悔なく観に行けたらと思います。

***

1年半ほど続けております本ブログ、どなたかのお役に立てているかいないか分かりませんが、本年も地道に続けていこうと思います。
相変わらずマイペースな更新になるかと思いますが、自分自身の「好き」と全力で向き合っていく所存です。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします!



「一谷嫰軍記」観てきました!~国立劇場12月文楽公演 初心者の感想~


千穐楽から随分経ってしまいましたが。笑

東京で文楽を観られる月は絶対に観ると心に決めています。
文楽のチケットはすぐに売り切れてしまうので、今回も必死で取りました…。

さて、令和元年12月の演目は「一谷嫰軍記(いちのたに ふたばぐんき)
歌舞伎で「熊谷陣屋」の場面だけ観たことがあります。(感想はこの記事

通しとなると、同じ場面でもまた全然違う味わいがあるんだろうな、と思いながらの観劇でした。

で、実際その通りでした。笑

初めて通しで味わう「一谷嫰軍記」、そして初めて文楽で観る「熊谷陣屋」。
初めてづくしの感想です。

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今回の筋書の表紙・熊谷。かっこいい…!!!
 
***

以前 歌舞伎で「熊谷陣屋」を観たときに感じたのは、「この場面で誰も真実を語れないから分かりにくい」ということ。
きっと通しで観たら、流れが理解できるからもっと分かりやすいのだろうと思っていました。

しかし、通しでも敦盛と小次郎がすり替わったのは、知っていないと気付かない
「陣屋」で真実が語られるまで、ずっと敦盛が討たれたものとして観ていてもおかしくないのです。

「敦盛」とされている人物が、実は熊谷の一子・小次郎であると分かりながら観ていると、「組討」での熊谷と敦盛(実は小次郎)のやり取り、「陣屋」での熊谷と相模とのやり取りの一言一言が、全く別の響きで聞こえてきます。

結局分かりやすさという面では「熊谷陣屋」のみを観たときとそう変わりませんでしたが、歌舞伎とは別の深みと感動がありました。

***

通しで観たときに、やはり「熊谷陣屋の段」がクライマックスではあるのですが、個人的にはその二つ前の「組討の段」がとても好きでした。(太夫:睦太夫さん/三味線:清友さん)

『平家物語』では「敦盛最期」にあたる場面ですが、先にも触れた通り、この場面においての敦盛は「実は小次郎」、熊谷の一子です。

その二人が、親子であることを隠して戦い、熊谷が我が子を討つ。

最後まで凛と気高い敦盛(人形:一輔さん)と、悩み苦しみながら大きな選択をする熊谷(玉志さん)に抉られます。

熊谷、討ち取った敦盛の首を、何度も何度も見るのです。
ここでは小次郎のことは一切語られませんが、分かって観ていると切ない。

それを敦盛だと思い込んで死んで行く玉織姫(簑紫郎さん)にも、敦盛が本当は生きている、ということは伝えられない。
でもこの場面においては、玉織姫が「あの世で一緒に」という思いで旅立っていけるのは、唯一の救いかもしれません。

「エヽどちらを見ても莟の花」という熊谷の詞が刺さりますね。。
まだ咲いていない、咲くはずだった莟が、絶えなければならない世の中なのです。 

***

歌舞伎で「熊谷陣屋」を観たときは、この後の「熊谷桜の段」の途中あたりから話が始まっていたかと思うのですが違ったか。。(芳穂太夫さん/藤蔵さん)

歌舞伎で観ると、この陣屋に熊谷の妻・相模(簑二郎さん)や藤の局(勘彌さん)が来ている緊迫感がいまいち伝わりません。
しかしここまで観てくると、

・我が子・小次郎を討ってしまった熊谷
・それを知らない母・相模
・息子・敦盛が相模の夫・熊谷に討たれた藤の局(しかも最初は熊谷が相模の夫とは知らない)

という、それぞれに非常にぎりぎりのところにいる三人が揃う場面だと分かる。

歌舞伎で観た「熊谷陣屋」は、出だしからしてこんなに不穏な場面だったわけです。 

そこからの熊谷と相模のやりとり、先ほども書きましたがフラグに次ぐフラグで緊迫感があります。(織太夫さん/燕三さん)
小次郎の初陣が心配でならない相模と、武士である限り覚悟を持つべきだと厳しく諭す熊谷。相模に心の準備をさせているかのようです。
最後まで小次郎の死ははっきりと語られないものの、ここでじわじわとその事実が見えてくるんですね。

で、(一気に場面を飛ばしますが)事実が分かったあとが本当に切ない。(靖太夫さん/錦糸さん)
相模、我が子をたくさんたくさん抱くのです。
「持つたる首の揺るぐのを頷くやうに思はれて」なんて凄い詞章ですよね。。
本当にこの辺り、語りと人形とが三位一体となって哀切極まれりという感じです。

この後に、やっと敦盛と小次郎を入れ替えた真実が、小次郎の母・相模に向かって語られます。
全く筋を知らずに観ていたら、ここで初めて、「陣門」からの一連の流れの意味が分かるのです。
この作品の初演のときって、かなり衝撃的だったのではないかなぁと思います。。

さて、文楽の公演はやはり言葉を「聴く」ことにもかなり注力するわけで、字幕も出るので尚のことなのですが、
熊谷が出家するときの「十六年も一昔〜」に続く地の文が美しくてですね。。

「ほろりとこぼす涙の露、柊に置く初雪の日影に融ける風情なり」

というところなのですが、なんともここが切なくて。
泣きつく相模に対してずっと強い態度を取っていた熊谷ですが、当然ながら本音はこれなんですよね。
思わず「ほろりと」こぼれるその涙が見えるような表現だなぁと。

怒涛のドラマに翻弄されていると、突然こういう美しい言葉が混じり込んでくるので気が抜けません。笑

***

ここでちょっと方向性を変えて、歌舞伎との比較をば。
飛ばしてしまった場面も掘り返しますよ!笑

歌舞伎の大きな見せ場である「制札の見得」は、文楽でもほぼ同じ形でありました(というよりも、文楽の形を歌舞伎が持ってきたという順序でしょうかね)
熊谷の人形(玉志さん)、黒地に金の鎧で動きも良くて、とてもとてもかっこいいのですが、その極みがやはりここだなという気がします。

もう一つ、歌舞伎での熊谷の大きな見せ場として、最後の花道の「十六年は一昔、夢だ、夢だ」という台詞がありました。
しかし、文楽では意外とこのあたりがさっぱりとしていた印象。この台詞のあとにも、弥陀六や義経とのやりとりが続くんですね。

そして謎多き石屋・弥陀六。
この人が「一枝を伐らば一子を切る」の意味を理解したときの「忝い」という一言が、歌舞伎ではかなり重かった気がするのですが、これも文楽の方はあっさり進むなぁと思いました。

この二つを通して、歌舞伎の演出は役者の芸を見せるものなのだな、というのを再認識した次第。
本来であれば、一つの台詞のうちの一部分であったほんの一言を、「ここを見てくれ!」という役者の見せ場に仕立て上げて盛り上げていくんだなぁと思いました。

弥陀六は歌舞伎の方で歌六さんがなさったのも大好きだったのですが、今回もやっぱり良かった。
人形は文司さん、弥陀六としての軽さと、平家の武士としての重厚感がとても好きでした。
この二面があるから弥陀六という人物は面白いなぁと思うのですが、同一人物でこの軽さと激しさを語り分ける靖太夫さん、そして三味線の錦糸さんの床にも心を掴まれました。。
私、弥陀六好きなんだろうか。笑

***

以前にもこの記事に書きましたが、物語そのものを味わいたいときは、私は歌舞伎より文楽の方が好きなのです。
今回観てみて、改めてそう感じました。

歌舞伎で観た上で、同じ演目の文楽も観てみて初めて分かる二つの芸能の魅力。
双方の楽しみ方が、また一つ深まったような気もしています。嬉しいことです。

貴重な機会と、心に刻み込まれる舞台を観られた幸せで、今回の文楽公演も大満足でした!

次の東京での文楽公演は、2月の国立劇場(公式はこちら)。
2月の公演は3部制なので、比較的チケットが取りやすいと言われています。
どれも歌舞伎で観たことのある有名な演目ばかりなので、またまた楽しみが増えております。

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プロフィール

わこ

◆首都圏在住╱平成生まれOL。
◆大学で日本舞踊に出会う
→社会に出てから歌舞伎と文楽にはまる
→観劇5年目。このご時世でなかなか劇場に通えず悶々とする日々。
◆着物好きの友人と踊りの師匠のおかげで、気軽に着物を着られるようになってきた今日この頃。

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