ほんのり*和もの好き

歌舞伎や文楽、日本舞踊、着物のことなど、肩肘張らない「和もの」の楽しみを、初心者の視点で語ります。

義太夫

2019年 思い出の舞台(歌舞伎・文楽・日本舞踊ほか)


あっという間に年の瀬ですよー!!!どうしてこうも時の流れは早いのか。。

今年もたくさんの古典芸能の舞台に触れられたこと、心から感謝しています。
今回は、今年観た思い出深い舞台を思い返そうという企画です!


★以下、それぞれの演目名をクリックしていただくと感想記事に飛びます!

■歌舞伎


ほぼ毎月観に行きましたが(7月だけばったばたで行けず)、「2019年歌舞伎ベスト10」を挙げるとしたらこんな感じ(上演順)↓

熊谷陣屋(2月)
吃又(3月)
関の扉(3月※国立小劇場)
実盛物語(4月)
野崎村(4月) 
め組の喧嘩(5月) 
封印切(6月) 
沼津(9月)
寺子屋(9月)
市松小僧の女(11月)
蝙蝠の安さん(12月※国立大劇場)

※劇場表記なしはいずれも歌舞伎座

だーいぶ偏りはありますが。笑
どれも時間を巻き戻してもう一回観たい。本当に大切な、幸せな時間でした。

で、みなさん。
お気付きでしょうか。


そうです、11個あります。笑
10個絞り切った後に安さんが楽しげにやってきたので…世界の喜劇王に免じてお許しを…


■文楽


今年は「中将姫雪責」「阿古屋琴責」に始まり、
妹背山婦女庭訓」の通し、「嬢景清八嶋日記」、「艶容女舞衣」、そして今月の「一谷嫰軍記」と観て参りました。

劇場公演以外では、明治神宮で行われた「にっぽん文楽」屋外公演も印象的。
日高川」と「小鍛冶」を、間近で楽しんできたのでした。
これは嬉しい体験でしたねぇ…甘酒もおいしかった。笑 

「妹背山」や「一谷嫰軍記」のように、通しで作品に触れることができたのはとても貴重だったなぁと思います。
歌舞伎との発祥の違い、芸の違いを、改めて感じる機会となりました。

一つの物語として語られる芸能であった浄瑠璃と、役者の芸を観る歌舞伎。
何となく一括りで語られがちですが、楽しみ方が全然違うんですね。

また、通しで観ておくと、ピックアップされる各場面の味わいも大きく変わってきます。 

***

2月の中将姫と阿古屋は特に凄かったなぁ。
今でも思い出すとぞくっとします。

吉田簑助さんの遣う娘の人形はとんでもない濃密さで、すぐに分かります。
先日テレビを観ていた際も、あまりに繊細な動きの人形がいたので確認してみたら、やはり簑助さんでした。
妹背山の雛鳥も凄かったですが、私としてはこの中将姫がとにかく衝撃的で、たぶん一生忘れないだろうと思います。

妹背山の「妹山背山の段」も忘れられない。
ど迫力のサラウンド浄瑠璃と、舞台の上で命を懸けている人形たち…圧巻でした。

「日向嶋」(嬢景清八嶋日記)も良かった。私は文楽のこの雰囲気にノックアウトされたんだったなぁ、と思い出すような舞台でした。


■日本舞踊


大きい公演小さい公演ちょこちょこ観ました。

日本舞踊協会公演この記事)は、今年は一公演しか行けなかったのですが、テレビでも放送した「夕顔棚」が印象に残っています。
長年一緒に過ごしてきた夫婦ならではの、お互い何も言わずに分かるみたいな空気感や温かみ、気心知れた関係だからこそ出てくるおかしみ…
そういう全てを踊りで表現できるのって、すごいですよね。
思わず笑顔になってしまう踊りでした。

それから檜゚男ですよね!
あれは良かった。日本舞踊の手法で大体なんでも表現できる、という自由さ、楽しさが伝わってくる舞台でした。

感想は書きませんでしたが、流派を超えた男性舞踊家集団「弧の会」の公演「コノカイズム」も素晴らしかったです。
衣装をつけない素踊りで表現される、踊りの幅の広さ
衣擦れの音、力強く踏む音、声…男性群舞ならではの迫力に熱狂
本当に会場の温度が上がっていました
お近くで公演がある際には是非っ!!!!

歌舞伎のお弟子さんたちによる舞踊の会「ひとつなぎの会」も非常に印象深い公演でした。
衣装も道具もない手作りの会でしたが、踊りがとても丁寧で、観ていて本当に気持ちが良かった。 
来年も絶対に観に行きたい!
今年が第二回とのことでしたが、ぜひとも長く続いてほしい公演です。
ちょうど自分がお稽古していた曲も出ていて、そういう面でもとても勉強になりました。

それから、中村鷹之資さんと渡邊愛子さんご兄妹の舞踊の会「翔之會」
鷹之資さんの踊りの気持ち良さはもちろんのこと、愛子さんの「道成寺」は今でしか観られないようなエネルギーがあって忘れられません。


■その他


【狂言】

三鷹市の「東西狂言の会」に行ってみました。物心ついてからの初狂言!
いやぁ、楽しかったですねぇ。笑いました!
笑いの方向性って、そう大きく変わらないんだな、と思いました。
これ以来、テレビでも狂言を積極的に観るようになった気がします。

なお、この公演にご出演だった茂山千作さんは、今年9月21日に逝去されました。
素敵な舞台を拝見できて、本当に本当に有難いことでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。 


【女流義太夫】

今年はなんと、三味線と語りの体験にも行ってみたのです。

語りの難しさが!半端ではない!!!
何が求められていて、何を目指すべきか、そのために今何ができるのか…
最初の一歩すらどこにどう出せばいいのか分からず、こんなに何も分からない一時間半は人生で初めてだなぁと思いました。
多分ですが大学の数学科の講義に出た方がまだ理解できたんじゃないかと…(きっとそれも無理)

そんな経験をしてからの、「女流義太夫Special Live」。
竹本駒之助さんの語りと、鶴澤都賀寿さんの三味線です。
本当に鮮やかに、きめ細かく語られていくのを聴きながら、「物語る」ことの力を感じたのでした。
文章って、語られることによってこんなにも色彩を増すのか、という。

何というか、あんなにも難しいものを追究して、深い次元で芸能を成り立たせ続けていらっしゃる方々がいることに、自然と頭が下がるような思いでした。 


【素浄瑠璃】

そんな女義の経験から、ついに素浄瑠璃の会にも出向いてみました。
これまで文楽というと人形を観てしまいがちだったので、語りだけ聴きに行って飽きてしまわないか、ちょっと不安だったのです。

しかし全然そんな心配は不要ですね!
新たな楽しみを知ってしまったぞ!という感じです。笑
 
これも感想をアップし損ねましたが、国立劇場の「文楽素浄瑠璃の会」という公演でした。
竹本織太夫さんの「引窓」が素晴らしかった。泣いてしまいました。。

織太夫さんは、以前講演を聞きに行ったことがあり、そこから密かに応援しているのです。笑
去年観た「夏祭浪花鑑」の「長町裏の段」とか、今年の「日向嶋」(先述)もとても好きでした。

今まで人形メインで観ていた文楽ですが、義太夫の体験、素浄瑠璃の鑑賞を経て、語りそのものも以前より楽しめるようになった気がします。


■まとめ


ふぅぅぅ。
駆け足で振り返りましたが、これでもまだ全然足りないんだから、今年は充実した年だったのでしょうね。
健康に過ごせたこと、(ぎりぎりではありますが)金銭的な余裕があったこと、ありがたいことです。

来年も行ける範囲で無理なく、でも後悔なく楽しめたらいいな。
すでに観に行きたい公演がたくさん控えていて、嬉しい限りです。

***

本年も大変お世話になりました。
お読みいただいていることが、大きな励みと喜びになっております。
小さな拙いブログではございますが、今後とも何卒宜しくお願い致します。

それでは、どうぞ良いお年をお迎えください!


初めての素浄瑠璃!女流義太夫Special Live『艶容女舞衣 酒屋の段』に行ってきました!


初めての女流義太夫・素浄瑠璃!行ってきました!

素浄瑠璃とは
「人形を遣わず、または立方の踊なしで、語りと三味線のみで演奏される浄瑠璃。」(広辞苑第五版)

つまり、人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎の「語り」だけを聴きに行くわけです。
舞台の真ん中に太夫さんと三味線さんが並び、 視覚情報なしで、耳だけで物語を味わいます

***

素浄瑠璃を聴きに行こうと思ったきっかけは、2018年末にNHKで放送していた『古典芸能鑑賞会』でした。

演目は『傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく) 新口村(にのくちむら)の段』。 

自らの犯した罪のためにお尋ね者となった忠兵衛と梅川が、もはや逃げきれないと悟り、父親に最後の別れをしにくる場面です。
忠兵衛の父・孫右衛門の、息子を想う心情が胸を打ちます。

が、

これ、歌舞伎座でやったときに笑いが起きたんです。

私はそれが初めての「新口村」だったこともあり、違和感を持ちながらも何となく一緒に笑ってしまったのですが、
「あそこは果たして笑うような場面だっただろうか…」とずっともやもやが残っていました。

その同じ演目を女流義太夫でやったのを、年末に放送していたのです。
語りは竹本駒之助さん。三味線は鶴澤津賀寿さん。 

あの日笑いが起きた場面。

私は家で一人で聴きながら、声を出して泣きました。

大罪を犯した息子のことが、それでも愛しくて仕方がなくて、何とかしてやりたいと思う孫右衛門の苦しさ切なさ。
その言葉がまっすぐに届いてくるのです。

テレビを通していながら、語りの力に衝撃を受けた体験でした。

それ以来、素浄瑠璃をちゃんと聴いてみたい、特に駒之助さんを生で拝聴したいと思い始めたのです。 

***

前置きがとんでもなく長くなってしまいましたが、この度その駒之助さんの語りを都内で聴くことができるとのことで、これは絶対に行かねば!!と足を運んだのでした。

三味線は鶴澤津賀花さん。
この「女流義太夫Special Live」という会を、2013年から開いていらっしゃるそうです。

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会場は神楽坂のライブホール・TheGLEE。
こじんまりとしていて、おしゃれで、落ち着きのある店内でした。

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***

今回上演する「酒屋の段」のざっくりあらすじはこんな感じ。

大阪で酒屋を営む半七は、お園という妻がありながら幼馴染の芸者・三勝といい仲で、子までもうけてしまいます。
これに激怒した半七の父・半兵衛は息子を勘当、お園の父・宗岸(そうがん)も怒り心頭で、娘を連れ戻します。(ここまではこの段の前提)
しかし嘆き悲しむ娘の姿に耐えかね、宗岸は「娘をもう一度嫁として迎えてほしい」と再び半兵衛のもとへ。
つれなくあしらう半兵衛。しかし、そこに隠されていたのは、半七が人を殺めてしまったという事実でした。
今お園を迎えたら、彼女が若くして後家となってしまうことを思い、半兵衛はわざとつれなくしていたのです。
お互いの親心に感じ入り、和解する宗岸と半兵衛。
落ち着かないのはお園です。お尋ね者となった半七を思いやり、いっそ自分がいなければ…と嘆くのです。
(このお園のセリフ「今頃は半七様、どこにどうしてござろうぞ」が大変に有名、らしいです。知らなかった)
お園、そして宗岸と半兵衛、半兵衛の女房がそれぞれ半七と三勝に想いを馳せる中、陰でその様子を聞いていた二人は、名残を惜しみつつ、心中へと向かっていくのでした。 

***

生で聴いてみて、やはり素敵でした。感動。
男親二人の切ない、子を想う心に打たれます。


前半、宗岸が娘・お園を再び半七の家に連れてきたとき。
宗岸の詞の中で、娘のことを「可愛い、可愛い…」と繰り返すのですが、この場面、宗岸としてはものすごくバツが悪いはずなんです。
一旦連れ戻した娘を、再びもとの家に嫁にやろうというのですから。

でも、それでも娘をかわいいと口に出してしまうほど、宗岸としては思うところがあったのですよね。 

この場面で娘を「可愛い」と言うことについて、宗岸は迷ったんじゃないかな、と思います。
でも一度認めてしまったらもう気持ちが溢れてしまって止まらない、という感じがしてとても切なかった。
一人の娘として心打たれました。


一方 半兵衛は、前半はひたすらお園のことを想ってくれるのです。血が繋がっていないにも拘わらず。
それもまた情に溢れている素敵な場面なのですが、私が半兵衛の詞で刺さったのは、後半の半七の書き置きが見つかった場面です。

それまで半兵衛は、息子への想いをあまり口に出していません。
しかしここにきて、息子が善右衛門という人間を殺してしまったことについて

「あのまた善右衛門といういふ奴が、大抵やおゝかた悪い奴ぢゃわいの。あんな悪者でも喧嘩両成敗。わが子の命を解死人にとらるゝと、思へば╱╲宗岸殿。おりゃ口惜しい、アヽ口惜しいわい、エヽ惜しいわいの」

と感情を露わにするのです。

やっぱり本音はここだよね、と。
息子の代わりに縄にかかるくらいなんだから、息子のことを強く想っていないわけがないのです。


お園ちゃんの有名な台詞、「今頃は半七っつぁん、どこにどうしてござろうぞ…」。

大罪を犯し、お尋ね者になっている半七。
三勝と通じ、妻である自分のもとに帰ってきてくれない半七。

半七はろくでもないけれど、お園は本当に純粋に、半七を恋い慕っています。
去年病気したときに、あのまま私が死んでいたら、きっと子どもに免じて三勝を家に迎えることになっただろう、こんなことにはならなかったかもしれないのに…と嘆く。

いや、違うんだよお園ちゃん、そんなに思い詰めないでおくれ。。

半七の書き置きの「未来は夫婦」という言葉を素直に信じ、喜ぶお園。
気が優しすぎるのよ…そこは「せめてマア一日なりとこの世で女夫にしてやりたいわい」という宗岸の詞が、お園としても本心じゃないのかな、と思います。

代弁してくれる人がいて良かったね、と。


この書き置き、半七と三勝がなした子・お通の守り袋に入っていたのですが、
そのお通にかける、半兵衛女房(=半七の母)の詞が忘れられません。

「コリヤ孫よ、モウ父も母もないほどに今夜からこの婆と一緒に寝いよ」

何とも温もりがあるではないですか。

こういう温かい台詞、あの語りで聴くと本当にしみじみといいです。
優しく赤子を抱き寄せているのが目に見えるようでした。

***

義太夫の何が好きかって、この語りで十分に感情を揺さぶられている上に、三味線が大いに煽るところなんですよ。

今回も後半特に、三味線が生み出す空気の震えみたいなものが伝わってきて、はっとしました。
小さな会場だったからこそ味わえた迫力もあったのかもしれません。

いわゆる「曲(唄)」ではないから、どんな風に三味線が鳴るのか予測がつきにくく、それではっとさせられるところもあるのかもしれませんね。

*** 

視覚情報がなくても、それぞれの登場人物の心情が浮き上がってくる。
どんな表情をしていたか、どんなに胸が痛んでいるか、聴き慣れない言葉遣いながらもちゃんと伝わってくる

逆に、視覚情報がないのがいいのかもしれない。
その分、語られる言葉を聴きとって、自分の中で物語を作っていこうと積極的になれる

そんな素浄瑠璃の良さを満喫した会でした。


文章そのものが文学、文芸としてあるのだから、なぜわざわざ語り聴きに行くの?と思うかもしれません。

しかし、語りはその文章に、物語として命を吹き込むための大事な存在です。

確かに文章は、そのままでも面白い。大好きな言葉がたくさんあります。
しかしそれが語られることで、より深く味わい、より深い文学世界に浸ることができるのです。

また行きたい。

なかなか勇気が出なくて一歩を踏み出せませんでしたが、行ってみてよかった。
好きな芸能が、また一つ増えました。

 
プロフィール

わこ

◆首都圏在住╱平成生まれOL。
◆大学で日本舞踊に出会う
→社会に出てから歌舞伎と文楽にはまる
→観劇5年目。このご時世でなかなか劇場に通えず悶々とする日々。
◆着物好きの友人と踊りの師匠のおかげで、気軽に着物を着られるようになってきた今日この頃。

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