和ものの話ではないのですが、
歌舞伎や文楽を観に行くにつけ
最近よくこの問題にぶち当たります。

ちょっとこの場をお借りして雑感をば。 

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先日とある舞台を観にいったのですが、
周りが誰も泣いていない中で一人、
ぼろぼろと涙してしまいました。

伝統芸能にしろ現代演劇にしろ、
はたまた本や漫画や映画にしろ、
こういうことがときどきあります。

涙というのは正直です。
アタマを介さずに、本心を教えてくれます。

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世の中には、批評家がたくさんいます。
特に今は誰もが意見を公開できる、
一億総批評家時代だと思っています。

そのなかで、弱い私はついつい「正解」を探してしまうのです。

自分が良いと思ったものについて、
これを良いと発信することは世間的に見て正しいのか。

自分の見方は間違っていないのか。

本当は、こんなに作り手に対して失礼なことはないのに。
駄作だと思ってものを作る人なんていない。
みんなより理想に近いものを目指して
仕上げていった作品たちに違いないのに。

大概の場合、批評家ではなく
「批判家」に踊らされてしまうのがまた、哀しい。

(もちろん肯定的な意見があれば否定的な意見もあるのも道理で、
私自身 巷で「いい」と言われているものが
全く好きになれないことも多々あります。)
 

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どんなことを言えば大人に気に入られるのか、
子供のときから何となく分かっていました。

「正解」が分かると、特に小学校では何かと便利で、
あんまり深く考えずともそれなりの成績はとれるし、
そこそこいい思いもできるのです。

それがつまらないことだと気づいたのは、
小学校高学年の頃のこと。

何かを観たり、誰かの話を聞いたりした感想を
クラス全員分まとめて配られたとき、
自分の感想がいつも明らかにつまらない。
上っ面を撫でたようなことしか書けず、
耳障りのいいことしか言えず。

きっと無難なことは書いていたのでしょうが、
少しも本心ではなく、何の深みもないことは
よくよく自覚していました。

しかし悪い意味での「三つ子の魂」とでも言いますか、 

こんな大人になった今でも、
つい「正しい」「受け入れられる」感想を求めてしまう。

情けないですね。

あの頃 大人に気に入られるかどうかなんて、
大人になってから自分でものを感じ、考えることに比べたら
はるかに取るに足らないことなのに。

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遠回りしてしまいましたが、

だから私は、今回の涙が嬉しかった。

周りと違う反応だったし、
浮いていたかもしれない、

それでも抑えられなかった涙は
明らかに自分だけのものです。

自信を持って自分の感想を言えるようになるには、
多分まだまだ時間がかかります。

それでも一つずつ、自分の素直な感情に向き合いたい。

ブログという場は、そんな自分にとっては
いささか刺激が強いものではあるのですが、
流されないで自分の意見を言い続けられるように努めます。